あんな奴死ねばいいのにって思うとき。
私は人間ですから、普通に「あんな奴死ねばいいのに」と思うことがあります。
ニュースなどの情報から、ロクでもないヤツに対してそう思う時は、なるべくその情報から離れます。見ないようにしたり、聞かないようにしたり。
困るのは、人間関係のある相手に対して、「マジ死ねばいいのに」とかウッカリ思ってしまうとき。ムクムクと黒い感情が湧いてきてしまうって、私だけではないと思うんです。幸いなことに私はデスノートを持っていないので、実際死んだりはしませんけど。抱えていて気持ちの良い感情ではないですよね。
そういう負の感情って、ブーメランみたいに自分に返ってくるから、持っていてはいけない、と教えられたこともあります。うん、確かにそうなんでしょう。頭の片隅では分かっているんです。でもね、それでも思っちゃうんですよね。湧いてくる感情を止められないことってあります。人間ですから。
そんな時、いつも思い出す出来事があります。
娘がまだものすごく小さいとき、清水の舞台から飛び降りるような勢いで「お母さんなんか大嫌いっ!!!」と叫んだ時がありました。何でそんなことになったのかは忘れてしまったんですが。親にとっては些細なこと、でも娘にとってはよっぽど辛くて嫌で悲しい出来事だったんでしょう。子育てあるあるですよね。そして、飛んできましたね、言葉の刃が。私の心目掛けて。
でも、その時分かったんです。「大好きなお母さんのことを大っ嫌い!って思ってしまうくらい、辛くて悲しいんだよ!」っていうのが、彼女の本音だ、ってことが。私、何だか無性に娘のことが可愛くなってしまって「そっか、分かったよ。お母さんのことが嫌いなんだね。いいよ別に、あなたがお母さんを嫌いでも、お母さんはあなたのことが大好きだから。」と、返して、ギュとしました。
それ以来娘に「嫌い」と言われたことはありません。この人には言ってもムダ、と思ったのかな。「嫌いでも好き」って大人同士の場合はストーカー発言と取れなくもないですが。親子なので、そこはまぁ良しとしてください。
それ以来、ウッカリ「死ねばいいのに」が浮かんでくるときは「何がそんなに悲しいの?辛いの?悔しいの?」と、自分で自分に聞いてみるようになりました。そうするとね、あるんです。大きな悲しみの塊が。ドロドロの感情の底の方に。
「そっかー。死ねばいいのにって思っちゃうくらい、悲しいんだね。辛いね。」そんな風に自分の気持ちを肯定すると、もっと悲しくなることもあります。小さい子供がもっと激しく泣くみたいに。本当に泣けることもあります。でもそのうち、ゆっくりかもしれないけど、その気持ちにケリがついてゆきます。
死ねばいい相手は何も変わってなくても、自分が変わっていきます。ってことは、相手に関係なく、自分で勝手に楽になれるってこと。
悪い感情は怖いから「死ねばいいのになんて思ってはいけない!」って無理矢理手放そうとしたり、蓋したり、見て見ぬ振りしたりしていたら、かえってずっと心に留まってしまう。溜めて溜めて溜めきれずに大噴火すると、大切にしていたものまで壊してしまったりしますよね。
ドロドロの気持ちも、真っ黒な気持ちも、全部私の一部。大切に、丁寧に扱う。自分を大切にするって、こういうやり方もあるんじゃないかと思うのです。
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