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来月、102歳を迎える人

『信長の「人間50年」って、実は幸せなのでは?』

人生100年時代に、その半分でいいと思ってる人なんて多分、少数派ですよね。
自覚はあります。

とはいえ、私は重い病気を持っているわけでも、病んでるわけでもないです。


ただ、田舎で医療事務という仕事をしていると、
どうしてもいろんなものが目に入ってくるんです。

"事務員と患者さん"という赤の他人として関わっているからこそ、患者さんとご家族の関係性であったり、絆みたいなものは一切わからない。

わかるのは、今目の前で行われているやりとりからわかるお互いへの態度だけ。

そう言う目線で見ているとやっぱり、
付き添いの家族はすごく疲れていることや時にイラついてることがよく見えてしまう。
シルバーカーを使って歩くのがやっとのお婆さんの付き添いなしの来院時、いつもと少しでも違う段取りがあると、ひどく不安そうにしているのがわかる。

それらを人ごとのように見ている自分は、
『将来、自分の家族に嫌がられながら介護をしてもらうのは辛い。とはいえ、1人で不安を抱えるのもしたくない。』
と思ってしまう。
(注:とても現実的ではない考えですよ!!!)

でも、順当に行くとまずは自分より先に、親の介護をしなくてはいけなくなる。

その時、よく見かける患者さんの家族のように
"疲れた顔で少しイラつきながら介護にあたる自分"
を私は許せないと思う。
でも、介護の大変さもよくわかる。

いずれ訪れるであろうその時の自分を思うと、
介護に疲れ果ててしまった自分自身に嫌悪感は抱かないでほしい。
どうか、親にも兄弟にもそして自分自身にも、上手く立ち回って欲しい。と思うことしかできない。



そして、自分は誰かに介護されることがない人生を送りたい。
病院で働くようになってから、自然とそう思うようになってしまっていました。
残される人の気持ちを考えていない、本当に自分勝手な気持ちです。


そんな私が先日出会ったその人は、来月102歳になるおばあちゃん。

『人間50年』が理想だ。
なんて思っている自分としては、その倍の時間を生きている人の存在なんてまず想像できなかった。

これまでの経験上、老いのスピードは本当に人それぞれであることはわかっていた。
現に私の91歳の祖父は1ミリもボケていないし、人の感情の機微に敏感でとにかく頭がいい。

それでも100歳を超えてるともなると、それは画面の向こう側のお話になってきて、目の前の現実としては意思疎通ができるイメージがわかなかった。

だから、その人を見た時は驚いた。

移動こそ車椅子だけど、自分の名前を私に向かってはっきりと言い、付き添いの息子さんともよくある世間話をしていた。
そして、何より肌も髪も100年も生きていると思ないくらい綺麗だった。

その時点で既に珍しいものをみたような気持ちでした。

そのあと、1人2人と知り合いがその人のもとに集まってきたんです。
『〇〇さーん、来たよ〜!』って。
他の科で診療を終えた人たち。
ただの病院の待合時間なのに。

普通、そんなことはありません。

みんな口を揃えてそのおばあちゃんに言うんです。
『いつも私のこと心配してくれるから〜』
『今日病院来るって聞いたから〜』(☜田舎のネットワークエグい)
って。みんな70〜80代くらいの人たち。

この人はボケてないだけじゃなくて、日頃から周りの人を大切にしている人なんだと、私にも伝わりました。

そしたら突然、おばあちゃんが受付の私に向かって
『ティッシュもらえますか?』
と聞いてきて。

何事かと思ったら、目元に涙が落ちていたんです。
周りの人たちも驚いて、どうしたと尋ねると
『こんな体で迷惑かけてばっかりなのに、こんなに心配してもらえて幸せだ』って


おばあちゃん、なんかね、私も泣きたくなっしまいましたよ。

周りからそれだけ慕われるのだから、きっと人格者だったんでしょう。

その数分間だけでも私から見たら、堂々と振る舞ってる人に見てえていた。
でも、やっぱりそういう不安を抱えていたんだなって。

一つもボケていない分、他人のいろんな感情を長年ダイレクトに感じてきたんだろうなって。

それでも、それを感じさせない振る舞いをするあなたはなんて人なんだろうなと。


やっぱりね、長く生きるっていいことばかりじゃない、むしろ苦しいことのが多いんだろうなって思う。
だから長生きだけが幸せとは思ない。

そこの意見は今も変わりません。

でも、長く生きるって価値のあることなんだなって、
強く生きてる証なのかもしれないなって、
その時私は、そんなことを思っていました。

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