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『スロウハイツの神様』私的感想文

辻村深月先生作 スロウハイツの神様
上下二巻の構成からなる長編小説

この本を読んだ人にとって、浮かんでくるキーワードは
"愛・執着・夢・作品"であり、
読み終わった後に押し寄せるのは、"優しさからくる暖かさ"だと思う。

愛と執着

この本の中でも特に有名なセリフの一つに

愛は、イコール執着だよ。その相手にきちんと執着することだ。

長野正義

とある。これはスロウハイツの同居人長野正義が恋人と別れたばかりの主人公、赤羽環に対して言ったセリフ。

このセリフの通り、登場人物達は自分の愛すべきものにしっかりと執着していると思う。
それが人であれ、作品であれ、夢であれ。
言われた当の本人環も憧れの作家チヨダコーキに対しては、きちんと執着していた。

そして、執着から来る愛というものはそれを傷つけることを絶対にしない。守ろうとする。
だから、このお話には暖かさがあって、読者に幸せな読後感を与えるのだと思う。


というのがこの作品に言えるマジョリティな感想。


私は本を読んだ時、作者的には大して大事ではないのになぜか自分の中で引っかかってしまう感想があると思う。
それらを私は勝手に"マイノリティな感想"と呼んでいる。

せっかくのnoteという個人媒体、私のマイノリティ感想をここからはつらつらと書かせていただきます。
鬼のネタバレ連発、個人の見解からの勝手な感想になるので、『この本に興味があって読んでみたいんだ!』と言う人は、ここから先はご注意を!!

私の鬼マイノリティ感想(というか思ったこと)は主に3つです。

①虚構の世界『物語』をどう向き合うか
作中で環の彼氏拝島が言ったこと

「だけど、僕は映画やドラマに感情移入する程に、残念ながらもう若くない」

拝島から言わせてみれば、
『大人になると物語を楽しめなくなる』と。
『子供の頃のように純粋な心を持ち、感情移入することが物語の楽しみ方である』と。
おそらく、物語愛好家からしたら違和感しかないようなセリフ。

でも、似たようなことはチヨダコーキを表現する時にも言われている。

チヨダコーキはいつか抜ける。中学、高校時代にハマっても大人になるに連れていつの間にか距離ができてしまう。
嫌いになっただとかそういう理由は全くないのに。
過去の作家として扱われていく。と。

でもそれは当然のことで、大人になるにつれて様々な体験をする。そして、虚構の世界『物語』を現実の世界『経験』が追い越す。
そうなった時に虚構が現実に勝てるわけがない。

私は今まで、小説を読む理由について深く考えたことがなかったので、これには正直納得してしまった。

現に私は小説を読むことで、今まで自分が体験したことのない人生や価値観を学ぶことを楽しみとしている。
私は正直言って人よりも経験が少なく、知識が浅く狭いと思ってる。
そして、それに対するコンプレックス的な思いがあって、経験豊富な人を前にしたり自分が全く知らない世界の話をされると萎縮してしまうところがらある。
(私はこうちゃんみたいに、経験しなくても、想像して書けてしまう人ではないらしい。)
私が小説を読む1番の理由は"無知な自分を変えていく"ためだ。

でも、私がもし様々な領域に足を突っ込み、人脈に幅をきかせて、そこから多大な経験を積んでいたとしたら、
多分今の理由で小説を読んだり、作品を見たりしていない。

だからこそ、拝島の発言は妙に引っ掛かり、そこから悔しさすら芽生えたのだと思う。

例えば、芦田愛菜ちゃんだとかおおよそ同い年の子達よりも幅広い経験を積んでいるにも関わらず愛読家の人は、こんな理由で物語に向き合っていないと思う。
彼女達は自分自身の経験を豊富に持ちながらも、本を読む理由を持っている。

読書を娯楽として捉えているのではなく、成長の手段として捉えている私では到底辿り着けない領域な気がしてならない。


多分、辻村さんからしたら拝島とスロウハイツの住人達(とりわけ環)との作品への温度差を表すつもりに過ぎなかったであろうセリフに、こんなにも考えさせられるとは、、、。

②エンヤという現実的感のかたまり
環の親友であるエンヤの役割は、天才である環やこうちゃんあるいは狩野、性善説に生きるスミレや正義を際立たせるための存在だと思う。

私が思うに、エンヤはこの物語の登場人物の中で1番違和感なく現実世界に溶け込める人だと思う。平凡で、夢には正直だけど、どこかでしっかり折り合いをつけて"人並みの幸せ"を保持する。上手くバランスをとりながら生きていく。

スロウハイツに住む他の住人達はみんな心が綺麗すぎると思う。正直、そんなわけないって思ってしまう。

私にとって、上巻の山場はエンヤがスロウハイツを出ていくシーンだ。それで、その時のエンヤに感情移入してしまう人は多いのではないかと思う。
なんだかこの辺りのエンヤの心理描写は全てが"わかる"

狩野以外の人間に漫画家を目指していることを言えないことも"わかる"
環や他の人の前では決して悔しさを見せない気持ちも"わかる"
自分と同じように泣かず飛ばずな狩野や正義に怒ってしまうのも"わかる"
環に対して面と向かってじゃなくて、地上から3階に叫ぶと言う形でしか宣戦布告できないのも"わかる"
達成するまで帰ってこないと宣言してしまうことも"わかる"

エンヤを見ていると本当に苦しくなる。 

そして、漫画家としては物語の最後でもなお目標を果たせていないエンヤ。どこまでも現実的な存在だった。

③『スロウハイツ』って結局なんだったのか
環が祖父からもらった大切な形見である建造物。大事すぎて人に言えない建物。そして、恩人であるこうちゃんを思ってつけたスロウハイツという名前。
これがスロウハイツという共同住宅の外枠。

作家達が寄り集まってできているため、一見トキワ荘のようにも思えるけど、共通の仕事をしている集団ではないところからして、決してトキワ荘ではない。

そこに住む人達は互いを思いやり、家族同然に接している。けれど、それぞれに帰るべき場所があるというところからして、決して家族ではない。

仕事に打ち込む場所でも、家族と過ごす帰る場所でもない。じゃあスロウハイツってなんなんだろう、、。

スロウハイツは多分、それぞれの通過点なんだと思う。今の自分に折り合いをつけて、望む幸せを手に入れるために成長するための場所。だから、スロウハイツで幸せに暮らすことは全員にとってゴールではない。だから最後、みんな散らばる。

多分、スロウハイツにずっといたら売れていない面々はそのまま売れていなかったと思う。かと言って、スロウハイツで過ごした時間がなければ彼らは自分が売れない理由である己の弱点を克服することはできなかった。

スロウハイツは通過点ではあるけれど、ゴールに辿り着くためには必須な通過点だ。

そしてそれは、こうちゃんにとっても、環にとっても。


この物語は本当に救われる。
読者の『こうなって欲しい』がほぼ叶う幸せな作品。
悪く言えば、意外性はないと思う。

今回は引くほどマイノリティな感想文を書きました。
スロウハイツの神様というとっても素敵な作品に対してこんな大クセ感想文を投稿するのは、おそらく私くらいでしょう。
ここまでクセが強いと、最後まで読んでくださった方がいたとしたとしたらそれはもう大感謝です。

私の自己満足にお付き合い頂きありがとうございました。

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