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僕・俺・私…。

先日のこと、僕は一人考えていたことがある。

というより、僕は常に何かを”考えている”。

とある一つの出来事を、頭の中で”勝手に”広げていくことが好きだ。

そしてこれは”誰にも”迷惑をかけていない。


話しはそれたが…。

僕は、一人で考えていた。

自分の事を呼ぶときに使う言葉がある。

例えばこのブログでは”僕”…と僕のことを読んでいる。

これは”僕”なりに考えがあってのことだ。

普段、フランクな場合であるが、自分の事を俺という。

しかしブログの読者さんには目上の方もいるだろう。

目上の方の前では、俺ではなく僕を採用している”僕”がいる。

もちろん”私”を使うことが、人前に出る大人の言い回しなのかもしれない。

しかし僕は、私と名乗る柄ではない。

”私”となる”僕”に出会うことはないだろう。今回の人生では、ということだが…。

ここで疑問を持った。

疑問を持つことが哲学であり、未来の始まりなのだ。

男性は、僕、俺、私を使い分けることができる。TPOに合わせて…。

では女性は?

私…。だけだよね?

”あたい”って呼ぶ女性が知人にはいるが、基本的には”私”だけとなるはずだ。

そしてその唯一の”私”すらも女性の特権というわけではなく、男性と共有しなくてはいけないのだ。

こんなバカな話があるだろうか。

女性の社会進出を広げる前にもっと大切なことがあるではないか。

だからなのかもしれない。

女性は自分のことを名前で呼ぶ。

それを聞いた男性は、ぶりっ子してると思うかもしれないが違うんだ。

呼び方が無いんだよ 

だから仕方なく自分の名前で呼ぶというわけさ。

昔は女性が自分を主張できなかったのだろう。

力がすべての時代があったわけだ。

それにしても男性よ、せめて”私”は女性にあげるべきではないだろうか。

スーツを着て、かしこまって”私”なぞと言っている場合ではない。

そこは硬派に”自分”でいけばいいのだから。

だからどうだろう。

令和では男性の”私”を禁じてみては。

是非とも国会の議題にしていただきたいと思っている。


コロナが消滅してからで結構だが…。

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