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「さんかく窓の外側は夜」に関していろいろ

※「さんかく窓の外側は夜」の刊行分ネタバレをうっすらと含みます

今朝の目覚め一発にこのニュースが飛び込んできた。

はえ????? は?????? 優勝では???????

映画「さんかく窓の外側は夜」の重要キャラクターであるヒウラエリカ(漢字もちゃんとあるが、カタカナで表記されていることに制作の意図があるのだろう)に平手友梨奈さんが起用されることが発表されていた。

ま~~~~~~じ?????????
え??? 漫画から出てきた????? えりかちゃん??????? えりかちゃんすぎるのだが。

なぜこんなに動揺しているのかというと、まず最初に、BLをたしなむオタクであるところのわたしはかねてからこの「さんかく窓」の大ファンであった。
年1回ペースで発行される単行本を心待ちにし、どうしても待ちきれないときは連載誌を購入して、この物語の行方を見守り続けている。

そんな「さんかく窓」がとつぜん実写映画化されることが発表されたときもおおいに動揺しつつ喜んだが、現状公開されている映画の情報やキャスティングに一抹の不安(後述)があった。
ともあれヒウラエリカが登場することは映画あらすじの時点で明らかになっていたし、誰が演じるんだろう、と最近の若手女優さんをあてはめては想像をふくらませていた。

ところが、ヤマシタトモコ先生の描くキャラクターのイメージにしっくりくる人がなかなか思い浮かばない。
ヤマシタ作品の独特さはネーム(台詞)にあるとわたしは思っている。
漫画の中で発せられる台詞は場面状況に応じた適切さ・わかりやすさを損なわないよう整えられているものだ(と思う)が、ヤマシタ作品のキャラクターには、「思考の途中でしゃべっている」ような、ある意味でとてもリアルな”わかりにくさ”がにじんでいる。
文字だけで読んでいると、なんだか言葉足らずなような、訥々とした印象を受ける。しかし、人と対面で話しているときは、言葉を補いすぎなくても相手の表情や抑揚、文脈で理解できるものだ。そういう話し方が、「さんかく窓」を初めとしたヤマシタトモコ先生の作品には散見される。
”整えられすぎていない台詞”がかえって会話に生っぽさを感じさせ、人間としての厚み――「この人物はこういう姿でこの世界のどこかに生きているのではないか」をもたせている。と、思う。

そんなキャラクター自身のリアリティに勝てる実写キャストが、いるだろうか。
だいたい20歳前後で、あの明るさと、つめたい無邪気さと、ちょっと狂ってる感じをだせるひと。うーん…二階堂ふみさんとか…でもキャラとだいぶ年齢が離れちゃう…。

と、思っていたら平手友梨奈だった。てちだった。言われてみればこの人しかいなかった。
どうして思いつかなかったんだろう?!?!?!? てちだ!!!!

ヒウラエリカという少女のもつ複雑な境遇――家庭不和、宗教に入れ込む父、視える力をもつ娘との接し方がわからない母、「呪い屋さん」の仕事、新興宗教との密接な関係――と、それとはそぐわない"ごくふつうの女子高生らしさ"。あやういバランスの上に立ち、幼い頃から孤独にさいなまれ、”生”よりも”死”を身近なものとして生きてきた少女を体現できるのは、映画「響-HIBIKI-」でやはり孤高の天才を演じた平手友梨奈しかいないじゃありませんか。てちです。てちでした!
いろいろ言ったがまずもって「ヒウラエリカとしてのビジュアル」が圧倒的すぎる。説得力5億。最高~~~~!!!! えりかちゃん存在してた!!

万が一、億が一、この映画の出来が悪かったとしても、
「ヒウラエリカ 平手友梨奈」
のキャスティングだけでプラマイゼロにできると思っちゃう。それくらいのパワー。公開に向けてますます期待の高まるうれしい知らせだった。

ところで少し気になっているのは、この映画がBL漫画原作であるとこれまで一度も言及されていないことである。

発表時のふれこみは「ミステリー・エンターテイメント」。この話題を取り扱ったニュースサイトの記事もいくつか読んだが、漫画原作であることと原作者名やそのキャリアには触れられているものの、「BL」あるいは「ボーイズラブ」の文字はどこにもない。
今日のヒウラエリカキャスト発表に合わせて公開された公式サイトにはまだINTRODUCTIONやSTORYの項目がなく、やはり「BL」の表記は見つからない。

なんとなくだが、BL作品としてではなく、「心霊」「探偵」「バディもの」としてこの映画をつく(り、売)ろうとしていると思う。たぶん。

リアルサウンドの記事は「さんかく窓」の肝となる「除霊シーン」に言及しているが、やはりBL作品とは紹介していない。まるで箝口令でも敷かれているかのようだ。

確かに、「さんかく窓」はいわゆるBLっぽさの少ない作品である。
掲載誌はMAGAZINE BE×BOYというれっきとしたBL誌でありながら、冷川と三門はキスやセックスはおろか、手をつないだり抱き合ったりしたこともない(同衾はしている)。
それどころか、明確な恋愛感情というものがない。「このちぐはぐなふたりがいつか思いを通わせるのかな…」と思って読み始めて今8巻。まだ、ない。

じっさい、漫画の内容を知らずにBL作品として――男子同士のイチャイチャが見られると思って観賞した場合、人によっては物足りないと感じるかもしれない(映画が完成していないのでまだなんとも言えないが)。
そういう理由もあって、あえてBLを標榜していないという可能性もある。

が、「さんかく窓」はまぎれもないBL作品である。
BL誌に掲載されているから、ではない。
前述の「除霊シーン」がエロいからでもない。
「これはBLです」と作者が名言しているからだ。

そういえばすごい瑣末なことなんですけど、こないだ人から「BLなの?ちがうの?」と聞かれたのでここでもお答えしておくと、さんかく窓はBLとして描いています。なぜならどういう形であれ冷川と三角が惹かれあっているからです…— ヤマシタトモコ (@beef_or_beef) 2015, 4月 8

最近「え…え〜っこの二人はまだセックスしてないだって〜っ!?なんていやらしい…!!」っていう一周まわったおかしな萌えが私の中で熱いのでそういう— ヤマシタトモコ (@beef_or_beef) 2015, 4月 8

※実際のツイートはリンク切れ

壮絶な生い立ちをもつゆえに、人としてどこか決定的に欠落している冷川と、霊が視えるという体質を誰にも打ち明けられず、孤独を抱えて生きてきた三角。ふたりは”霊”や”霊能力”――彼らの過去においては忌まわしかったはずの――によって出会い、「除霊」の相性もよく、なにより「人には視えないものを視ることができる」という非凡な経験を共有している。
誰にもわかってもらえなかったものを、”彼”だけはわかってくれる。
明確な恋愛感情ではないかもしれないが、常人には踏み入ることのできない域のクソデカ感情がお互いに向いているのだ。

わたしもヤマシタ先生の上記のツイートには完全同意である。
「愛し合っている」という同意の下にあるふたりが相手を好ましく思ったり、あるいは憎んだり、嫉妬に狂ったり、貞節を求めたりすることはなにも不思議ではない。
しかし、冷川と三角のあいだにその同意はない。ない、のに、三角は冷川の自分も他人も省みない考え方に激怒するし、冷川は思い通りにならない三角に失意をみせる。
愛し合ってはいないはずのに、ずかずかと相手のテリトリーに踏み込んで、言葉にならない感情を向けてしまう。まるで愛し合うふたりのように。

お互い丸裸みたいなもんなのに、かんじんのキスやらセックスやらはしていないなんて、一回寝てみたほうがかえって楽なんじゃないの?! と横やりを入れたくなるくらいのもどかしさ。それがいい。

そういうクソデカ感情が「さんかく窓の外側は夜」のおおきな魅力であると思っているので、まあ…BL映画としてではなくとも、ぜひ削ってはほしくない要素である。あと、けっこうがっつりホラーにしてほしい。原作最初のほうとかほんとうにまじでこわいので。
知らないうちに公開日も決まっていた。10.30。また生きる目的が増えてしまったな。

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