村

それでも私は戦わない理由

思えば逃げてばかりの人生だった。

最初に思い返すのは幼稚園の頃。
友達がしていたからサッカークラブに加入したのだけど
人とぶつかりに行かなくてはいけないのが嫌で辞めてしまった。
そのあとはネットで壁を挟むテニスに転向して、そこからは長く続いた。

進学においても一度もチャレンジした覚えがない。
指定校推薦で行ける範囲で、どこか妥協しながらも無理なく進んだ。

大学をでてからは逃げっぷりが加速する。

新卒で入った会社は半年も経たずに退職し、”現代の駆け込み寺”というコンセプトのシェアハウス「リバ邸」を横浜に立ち上げ、ゆるい就活という週3で15万稼ぐための就活プログラムに参加し、そこで入れてもらった会社ではVRのマーケティングをして仮想現実の世界に逃げ込み、サイレントフェスというワイヤレスヘッドホンを使い外界の音を塞ぎ自分の世界に没入する音楽体験の事業を始める。

始めたはいいが初期投資でお金を使い切ってしまったので、熊本のエコビレッジ「サイハテ」や大阪西成の通称「あいりん地区」に行きお金がなくても行きいけそうな新たな生活の様式を模索する旅にでる。

昨年つくった「Ozone」という会社ではSDGsという世界を変革するためのグローバルゴールに取り組んでいるのだが、未来を変えるための課題提起、啓蒙をするのではなく、こうなったら良さそうだなという未来を今フェスとしてつくってみようというアプローチで、できるだけ変革を促さないようにしている。要は現実を直視せず、理想的な場所をまずつくってみようということなのでめっちゃ逃げている。


逃げるは恥だが役に立つ?

「負けないこと、投げださないこと、逃げださないこと、信じ抜くこと、駄目になりそうなときそれが一番大事。」

日本には諦めないことを推奨する多くの素敵な歌がある。
石の上にも3年、そうだ、努力とはそれ自体が美しいものなのだ。

そんな美学に違和感を持ったのはおよそ生後直後だった。
生まれるまでにどれだけの忍耐の物語があっただろうか。

ありのままに生きるなんて常套句を都合のいいように使っていた節もあったけれど、それでもやっぱり納得のいかないことを続ける生き方なんて想像できなかった。

たぶん世の中というのは1つのフロアのことをいうのではない。
アンダーグラウンドシーンなんていい言い方だなと思うのだけど地下もあるし
2階も3階も屋上もあるように思う。

人のいる場所に人は集う習性があるから、今は資本主義というフロアに人が密集しているようだけど、どうやら人が多すぎて酸素が薄く、脳がうまく働いていないみたいだ。

屋上にいけば新鮮な空気をいっぱいに吸い込めるけど、外気温や風を直接感じるから自然の厳しさを感じることだってあるだろうし、人がいなくて不安に思うこともあるだろう。

人間はほとんど気分でできている。

人口密度の高いフロアでプチョヘンザップしてつながりを感じたいときもあるし、私のことなんて放っておいて!って誰にも会いたくないときもある。

ダーウィンの進化論よると、環境に適応して変化する生物こそ生き残っていくらしいが、なんと人間は嘘の世界をつくりあげることができる。(そしてそのように嘘の世界を共有することで文明は発達(?)してきた)

居心地の悪さに対する解決策は、その場を変えるということだけではないようだ。戦わずとも場はつくれる、つくったらそこに逃げ込める。


革命はもう起きない

フランス革命という有名な市民革命がある、偉い人の首がギロチンでぶっ飛ばされたあれだ。たぶんあれはもう起きない。

当時の貴族と庶民のような所得格差はもう生まれないように統制されているので、やけくその共鳴で生まれるレジスタンスは現れない。もし起きるとしたら人間でない、何かに対してかなと思う。

政治に対する不信感も、世の中一般に感じる嫌悪感も、だれか1人にやけくそを起こさせるには十分だが、フロアを一変させるパワーには成り得ない。

そもそも「敵」がいない。現代には覇者がいないので、こいつ(ら)を倒せば世の中変わるぞ!なんて構造には既にない。仮想敵をつくることは団結するにはいいアイディアだが、大抵は楽しい打ち上げにしか着地しない。


だれかに変化を求めるのはもうやめよう

気分屋なぼくらはレッテルを貼るには流動的すぎるし、ほとんどの行動は無意識だ。無意識には口出しできないってのが、確かこの世のルールだった。

そして無意識は環境の奴隷だ。自然もそう、周波数もそう、特に人間は人間にひときわ影響を受けやすい。変えたい誰かを知っているあなたは、その人の環境の一部だ。

世の中には絶対悪がいるのかもしれない、それでも私は戦わない。

自分と真逆の思想や感性を持つ人と意見がぶつかり合うかもしれない、それは進化のチャンスだ。相手を変えてしまうことはもったいない。互いの正義は研磨しあうためにある。

ディスることをディスってるわけではなく、例えばフリースタイルラップのように新たなディスり言葉を生み続ける破壊的創造精神が重要だ。その繰り返しにグッとくるパンチライン(イノベーション)が生まれる。

圧倒的成長ができないかもしれない、それでも私は戦わない。

マズローの欲求階層の頂点は自己実現の欲求とされているが、その上にはコミュニティ欲があるのではと噂されている。それはきっとシャンパンタワーのように自分を満たしたら家族へ、家族を満たしたら友達へ、友達が満たされたら社会へというように、自然に溢れていくのが摂理なのでしょう。

誰かを制圧して満たされる自尊心なんて、遊戯王カードを卒業した時にちょうど置いてきた。


私は変化を望まない。

新たな選択肢を無数に増やし

魅力的なフロアづくりを推し進める。

結果的にその場がメインフロアとなるようであれば

後付けでそれをかくめいとでも呼んでおこう。


あめみやゆう (amemi_c5)

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【Ozoneのことをもう少し知りたい人へ】
SDGsとクリエイティブで想像機会の多発を狙うよ。
こちらHP https://www.social-fes.com/

【あめみやのことをもう少し知りたい人へ】
いくつか取材してもらったのでこんな感じ

IDEAS FOR GOOD
http://ideasforgood.jp/2017/11/09/sooo_sound_festival/

START UP HUB TOKYO
https://startuphub.tokyo/magazine/abc01

HUFFPOST
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/29/silent-fes_n_17329624.html






「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。