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大声出したもん勝ちみたいな政治から抜け出すために @革命のレシピ#2

2016.4/15 CGL主催の革命のレシピ#2
「ネット時代の民主主義ってなに?」に参加してきました。

ゲストは社会学者の西田亮介さん。

前半は西田さんの基調講演。
後半はCGLの上保大輔さん谷崎テトラさんを交えての
パネルディスカッション。

かなりエキサイティングな時間だった。

ーその空間で感じたことをざざっと書きます(全然難しくないのでワンピースを読むくらいの気持ちで読んでいってください)

以下よりの文章は組織、団体を代表するものでなく24歳政治素人個人の所感です。言葉、理解が不適切な可能性がございます、ご容赦ください。ー

冒頭

政治は”情”と”理”によって完成されるが
日本の政治は「統治サイド」も「抵抗サイド」も”情(イメージ)”で動いているとのこと。

ロジックで理解するフレームワークの欠如や
本来のジャーナリズムが機能していないことなどがあげられるよう。

つまりは”教育”と”報道”に課題があると。

その中でも今回は特に報道について。

日本の報道は

”強力なマスメディア”VS””弱いネットメディア
という関係性が明確で、情報源の信頼度においては
TV、新聞の信頼度はネットメディアのそれと桁が違うみたい。

そして(一部)マスメディアは政党のコントロール下に置かれ
本来のジャーナリズムは停滞する。。

保育園落ちた!みたいなツイートが取り上げられるようにはなったけど
高齢化の現状もあるし、情報発信のフェアはまだ時間がかかるのだと思う。

その上日本のネット文化は2chを例として
日常の掃き溜め、公衆トイレの落書きのように使われ盛り上がってきた。

このようなネットリテラシーに加え
情報量は72時間で2倍に増える時代だから
ネットメディアのブランディングには随分な努力を要する。

とはいえネットメディアの信頼度をあげてマスメディアから脱却すれば
市民の情報発信が広がり民主主義は完成するのかというとそういうわけではなく

そもそもの情報を判断するだけのリテラシーがまず必要で、民主主義とはなんなのか、現代の民主主義の意義とは何かを、それぞれ考えることからはじまる。

マーケティング化された政治の掌に自分たちがいることを理解して
1人1人が少しでも学んで、少しでも考えることが、きっと一泡吹かすことにつながるのだと思う。



これは
国を変えよう!なんて大義を持って望まなくてもいいことで
単に、自分の未来には自分で責任を持ちたいよねっていう
人間として当たり前な”自由”の話。



じゃぁ各個人のリテラシー向上に何が有効かって考えてたけど、3.11の時にTwitterで日本人が壊れてレジの機能を失ったコンビニにも行列をつくっていたりとか、美談をまとめたツイートがバズっていたのを思い出した。

あの日、失ったものは多く居た堪れない事態で、決して肯定することはないのだけれど、「そうか、日本ってこういう国だ」っていう一体感は確かにあって、その日を境に日本人全員の何かが底上げされた感覚があった。

この一体感、危機の共有はリテラシー向上、ひいては革命のヒントになる
ポイントかもなぁと思った。

ここにツイートまとまってます。


でも日本にいると日常で政治に対して「今すぐ変えなきゃ!」って感じられることって、普通に生きててもなくて(本当はたくさんあるんだけれど)例えば今回でいうと安保法とか、有事の際だけ慌てて対策を取るのだとまだそれが間にあう時代ではなくて。

日常で政治に危機を感じるためにいい観点だなと思うのは、ネイティブアメリカンの”セブンジェネレーション”っていう教え。

これは7世代あとの生活を考えて今を生きるっていう価値観。
例えば資源の枯渇問題っていうのは、いまより前の世代が受け継がれるものだし、逆に環境問題への対策や、文化っていうのはすぐに形になるものではなくて自分たちが生きている間には反映されないかもしれないけど、7世代あとの世代はそのせいで苦しむかもしれないし、幸せになるかもしれない。
ネイティブアメリカンは7世代あとを考えて持続可能な生活を選択していた。


国が言うように「ただちに影響が起こること」なんてそうはないんだよ。本当に大事なことは良いことも悪いこともカタツムリの速度で動くんだから。

時間軸を超えた一体感を感じるなんていうと、スピリチャルな領域ってすぐカテゴライズされる日本だけど、最高に頭のいい学者たちはいま本気でそんな可能性を論証しようとしている。

そもそも狼に育てられた子どもは時間を知らないんだから、そんなのは常識とは言わない。

で、やっぱり自分たちは理想を追い続けていたいし
そうでこその人生だから、理想が何かも含めて考え続けて
仮説検証を繰り返して、ずっと続くハッピーな生態系そのものを遺したいと思う。


で、理想かどうかを確かめるのは体験するしかなくて

話を政治に戻すと、”理想的な未来に向けての原体験の共有”
これが超大事だと思うわけです。

自分のやる”フェス”っていうのはそういう位置づけ。
あれは希望を1日限り形にできるものだから
そのプロセスも結果もきっちりオープンソース化して
より精度の高いやり方を遺す。もちろん楽しみながら。


来る参院選に向けても、役割をしっかりやるつもり。
結局何が言いたいのかっていうと、選挙っていう国の半分以上が動く
ビックイベントに向けて、楽しむために予習しておこうぜってこと。

出演アーティスト(候補者)が分かっててよく聴いているフェスに行くのと
知ってるアーティストが1人もいないフェスに行くのだとやっぱり自分の盛り上がり方も違うし、たぶんそのほうが楽しい。

その上そのアーティストの曲が良かったら、そのジャンル(政党)を調べて、歴史を掘っていくうちに更にいい音楽に出会えてっていう風に。
政治ももともと政(マツリゴト)なんだから、楽しんだら罰があたるようなものではないはず。

マツリはみんなが参加してこそのそれだから、一緒に楽しみましょう!
日程は恐らく7月10日か、17日、24日のどれかのはずだから予定あけといてくださいー。


ではでは。



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若者と政治のタッチポイントとなる場を
音楽でつくろうとしていて、ちょっとアイディアがあるので
ご興味ある方下記までご連絡ください。
一緒にやりましょう!

雨宮優

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「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。