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さよならTwitter(X)!

しばらく放置気味だったTwitterを思い切って辞めてみることにした。

モノも思考もデータも身体活動も「何故それが必要か?」をひたすらに考え続ける断捨離を押し進めている最近。
スマホの中のアプリも必要最小限に減らしていく中で、すっかり遠のいてしまったTwitter(今は黒いXのアイコン)も必要のないものと判断しました。


辞める理由は大きく二つ。

まず一つは、世の中に溢れるノイズに少し疲れたこと。

とにかく情報量が多かった。そして少しでも"バズる"事を意識したそれらは刺激的な内容や見出しのものばかりであった。
誰かの注目を引こうとする情報というのは強い引力を宿している。そんな"強い"情報の羅列に感覚が麻痺してしまえば、日頃の小さな出来事のような"微弱な"情報には気づきにくくなるのではないだろうか。
例えば、「今朝近所のおばちゃんと笑顔で挨拶を交わした。」という出来事があったとする。この情報をTwitterに投稿したところでどうだろう。刺激的な情報群の中に割ってはいるにはあまりにも"無刺激"だと思う。
しかしこの無刺激の中にこそ、小さな幸せは存在する。
今の僕にとって必要だと思えるものは間違いなく後者だ。

それでも、自分にとって有益な情報は沢山落ちているし、それらをまとめたブックマーク機能の中には、自分が心躍るような素敵な情報が溢れていて、思い出しただけで気持ちが高揚する。それはスマホ/PCの中のちょっとした図書館だった。
それでもそんな情報は普段でもたまにしか目にかかることはない。それ以外のノイズを我慢して浴び続けることでやっと見つかるものならば、これまで溜めたブックマークに保存された(中々忙しくてうまく掘れてなかった).
情報群を一旦自分で漁ってみて、一つ一つを丁寧に掘り下げていく時間にあてたいと思う。

旧Twitterにはお世話になった。
今僕がレコードを買っている数少ないアーティストさんもTwitterで流れ着いてきた情報がきっかけで知ることが出来たし、あの人と大揉めしたのもTwitterがきっかけだった笑
本当に沢山のことを学ばせて貰った。侮る事なかれだ。


大きな二つの理由。
そのもう一つは、音楽をそこで発信していく事に意味を感じなくなったこと。

これも勿論地続きなのだが、前述した"刺激的な情報"を僕は投稿する気がない。
勿論以前は少しでも誰かの目にとまって、"あわよくば拡散されればな"と思っていた。
作った音楽を聴いてくれる人が増えるのは嬉しい事と言っていたが、視座を変えれば、それはやはり"バズりたい"という欲求の現れだろう。
でも今は気づいた。毎日粛々と、自分の身体が選択する事柄を続けることで、唯一性は自然と生まれてくる。大切なのは自分と向き合った時間量だと。
そうして自然と積み上がったものを人匙世の中に投げてみれば、少しではあるが、勝手に聴いてくれる人は増えていく。そういうものだと思う。

それらを投げる先として、Twitterは魅力的だとは思わない。
自分が作り出すものは、もっと人の顔が見える形で、人と人との繋がりの中に存在していてほしいと願う。
だからこそ、クリエイティブの観点で見ても、社会という観点で見ても辞めどきだと感じた。




インターネット上に存在する住所のようなものとしてのSNSは Instagramに、文字による発信はこちらnoteに、あとFBは友人や知り合い達との大きめの規模のグループラインみたいな感じでこれからも使っていく予定です。
しかしこれもいつ気が変わるかわからない。
僕は変化し続けていく人で、それは止まらない。だからその時その時の答えを見つけたら
、あっという間に気が変わるし、今はそんな自分を楽しんでいる。
人生はナマモノだな。

いつか携帯も持たない日が来るかもしれない。(実際よく考える)
でもそれはそれで間違いなく自分と向き合った先で導き出したもの。その選択が楽しいものであれば、きっとその世界は明るいだろう。
そう、いつだってワクワクして楽しくて仕方ない、そういう内なる反応こそが幸せの根源だ。それらに直結する選択を、これからも続けていきたいものだ。

これまでTwitterでお世話になった皆さん、ありがとうございました。
お互いの幸せを願って。さよなら!

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