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溢れでるものを止めないこと。


2018年頃から活動を続けていた私たちのバンド「Solmo(ソルモ)」ですが、2/1をもって無期限の活動休止に入ることに決めました。

メンバー同士は変わらず仲良くやってます。
理由はシンプルに、僕が今Solmoの曲を書くのが難しいからというところです。
その"難しい"は所謂スランプという表現よりも、"そういった気持ちにならない"というのが正しいかもしれない。

今は自分のソロの活動や、その自由な表現の先で出会う者との共演が楽しいので、そちらしか向くことが出来ない。
といった感じです。


元々バンドを始めた頃は、僕が音楽を一人でやってる様子なんて想像出来ずにいました。
すっかり家庭と仕事に重心が傾いて、音楽から離れていた自分を「まだまだ世の中に向けて発信したいものがある!」と奮い立たせて、でもやはりその表現は"バンド"というイメージだった(それしか持たなかった)ので、メンバーを集め、そこで僕の考えや作る世界に共感してくれた二人と共にSolmoを結成しました。

おかげさまで、とても良いクリエイションが出来たと思います。幸い周りの協力にも恵まれ、どんどん前進しているような感覚でした。

でもバンドの曲を作ってた頃って、鬱だったし、世の中に吐き出すとか、叩きつけるとか、ようは"心の叫び"みたいなものを練り上げていってるような気持ちだったように思います。
そして兎に角、カッコよくて"すごい曲"を作らなくてはいけない!と自分を鼓舞していました。
それはある意味すごいエネルギーを含んでいたし、それでしか生まれ得ないものがあった。

けれども、いざ自由になるために仕事を辞めて、自分の好きな音楽や土いじりを通して自己と向き合い続けると、そのある種の気負いみたいなものがスルスルと解けていくように、もっと柔らかく、丸い言葉や感覚が生まれていく感覚に変わっていきました。

そうすると、バンドの曲を歌うことにすごく違和感があるようになってしまい。
"すごい曲"を書かねばならないってなんだったんやろーと楽曲を作る手も止まりました。
代わりに、何の変哲もないただのフレーズ一つや、音一つをすくいあげて「良いねー」って愛でるようになっていったと思います。
これは今の僕のソロ活動のこころです。

結果的に自分が心地よいと思う音に没頭していくと、全く違うものが練り上げられていって止まりません。
バンドの曲では、すごいものを作らねばと思うあまり、沢山の楽曲の断片たちを「お前はダメだ!(そしてそんなものしか生み出せない僕もダメだ!)」と沢山のボツの山に突っ込んでしまいました。
今は全て逃しません。生まれてきてくれてありがとう。かわいいなお前。と頭を撫でてやるように(同時にそれを産み出した自分の頭も撫でてやる)、全ての断片を楽曲としてアウトプットしていく構えなので、最早リリースが追いつかなくなっていきそうです。

という心境の変化があり、今はこの流れに身を任せることが、なによりも『自然』であると判断し、バンドの活動をお休みすると決めました。


川が流れ続けるように、僕のアイデアも溢れては流れ、イディオムは次のどこかへと運ばれていきます。
この流れを無理に変えるよりは、今はただ流れていきたい。そう思います。

流れの途中にはバンドという時間もありました。間違いなくその時間に生まれたものや考えた事柄の断片が、今の自分に繋がっています。

でもその溜まりに留まり続けるのが自然ではないと感じるなら、そっと手を離すことも重要なことかもしれません。

またどこかの流れで時間を共にするかもしれませんしね。そういう時期が来るのも一興です。


さてさて、僕はよく「目標を立てない」と言ってはいますが、それは先程の川の流れで言うと、"辿り着く先の場所を予め決めない"というような意味です。
流れていった先で、そういえば何の因果かこんな場所にも辿り着いたなーと思い返すくらいで丁度良いと。

しかしまあ、興味や関心というのはびっくりするくらい次から次へと溢れていきます。

例えばアフリカの部族や仮面に恋焦がれてアフリカに旅立ってしまうような人ですからね。やはりこの興味や関心は行動を導く強いエネルギーがあります。

アフリカの部族に会いたい、風習を体験したいという気持ちが以前にも増して強くなると、同時に日本の伝統的な風習や、民間信仰に強い関心が湧いてきました。
自分は日本のことを何も知らないなと。日本の事をもう少し知った上で、アフリカのプリミティブなものを体験すると理解も更に広がるかもしれない。
そしてそれは僕が日本人として表現を続けることの大きなアイデンティティにも繋がる可能性があるような気がします。

最近、絵の構想が色々と浮かんでくるし、映像も撮りたいものがあるし、ほんとに溢れ続けてくる。止まらない。

映像に関して言うと、SolmoのMVの構図を考えていく時も凄く納得のいくもの、魂の震えるものがありました。

勿論編集や後半のダイナミックな画を撮ってくれた映像スタッフはほんとにすごいなと思うんですが、今回の話で重要なのはど頭の曲のタイトルが出るシーン。
個人的にこの構図が気持ち良すぎるんですよね。このMVの前半は基本的に決め込んだ構図を固定カメラで抜くという構成にこだわったんですが、この自分の感覚(凝り)は良いなと改めて感じます。そこに気づかせてくれたこの撮影は僕にとって大きな経験となりました。

思えば小さい頃からある感覚なんですよね。風景画よく描いてたんですが、構図選びにすごく熱心なやつでした。そして思った画に出会うと心踊り、急いで鉛筆で下書きを始めるのですが、集中力が切れて辞めてしまう。その繰り返し。
でもあの頃の感覚を今アウトプット出来てるのは本当に楽しい。

思えばSolmoの最初のアー写も、間違いなくその視点によって生み出されたものだった。


南アフリカでもこの固定カメラでひたすら気持ち良い構図を切り抜いていくという方法で、MVを撮影しています。

2/3から公開しますので、宜しければチャンネルのチェックをお願いします。

話が逸れた。

結局この感覚で撮りたいものが沢山あるし、最近『小津安二郎』という人を恥ずかしながら初めて知って、彼の映像を見て、恐縮だけどその構図を考え抜く視点に強く共感して、彼の作品も色々と観てるところで、まあほんとやりたい事だらけなんです。

あとは最近、自分が満たされている事で、改めて社会や世の中というものを見つめ直すようになったんだけど、そこで自分と社会を接続する方法というか、どう共存できるかとかそんな事も考えています。
小さい芽は沢山あったけれど、今人生で初めて、自分が社会のために出来ることは何かと本気で考えてる。
自分が満たされると自然と周りに目が向いてくるとは本当かもしれない。まさに自己愛の先の他者愛。


そんなこんなでまだまだ溢れてくるものが沢山あるので、今はそれを止めずにひたすら流していきたいと思います。

バンドを応援してくれている人に申し訳ない気持ちは多少あるが、メンバーをはじめ、この僕なりの自由を理解してくれる人に恵まれてる事に感謝したい。ありがとう。

ひとまずそれぞれの道を邁進しよう。

2023年も、きっと良き1年になると思う。

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