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「秒針を噛む」を文法面から徹底考察―「僕」に隠された葛藤と苦悩―

はじめに

 ネット発アーティストとして頭角を現す「ずっと真夜中でいいのに。」。そのデビュー曲であり代表曲である楽曲「秒針を噛む」は、既に8500万回以上の再生回数(2021年3月10日現在)を記録し、若い世代を中心に爆発的な人気を誇っている。そんな「ずとまよ」の「秒針を嚙む」だが、幅広い音域のメロディやアニメーション仕立てのMVなど、魅力は多岐にわたる。その中でも、難解で独特な歌詞は非常に特徴的な点であり、「ずとまよ」を語るうえで欠かすことのできない重要な要素である。今回は、「秒針を嚙む」の歌詞に着目し、この曲の歌詞は具体的にどのような内容となっているのか、筆者の一考察を示す。

MVはこちら↑

歌詞全文

生活の偽造 いつも通り 通り過ぎて
1回言った「わかった。」戻らない
確信犯でしょ? 夕食中に泣いた後
君は笑ってた

「私もそうだよ。」って 偽りの気持ち合算して
吐いて 黙って ずっと溜まってく
何が何でも 面と向かって「さよなら」
する資格もないまま 僕は

灰に潜り 秒針を噛み
白昼夢の中で ガンガン砕いた
でも壊れない 止まってくれない
「本当」を知らないまま 進むのさ

このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

消えない後遺症「なんでも受け止める。」と
言ったきり もう帰ることはない
デタラメでも 僕のためじゃなくても
君に守られた

目も口も 意味がないほどに
塞ぎ込んで 動けない僕を
みつけないで ほっといてくれないか
どこ見ても どこに居ても 開かない

肺に潜り 秒針を噛み
白昼夢の中で ガンガン砕いた
でも壊れない 止まってくれない
演じ続けるのなら

このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

縋って 叫んで 朝はない
笑って 転んで 情けない
誰のせいでも ないこと
誰かのせいに したくて
「僕って いるのかな?」
本当は わかってるんだ
見放されても 信じてしまうよ

このまま 奪って 隠して 忘れたい
このまま 奪って 隠して 忘れたい

このまま 奪って 隠して 話したい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
「疑うだけの 僕をどうして?」
救いきれない 嘘はいらないから

ハレタ レイラ

※歌詞は下記リンクコメント欄の「ずっと真夜中でいいのに。」公式アカウントのコメントより引用しています。
https://www.youtube.com/watch?v=GJI4Gv7NbmE

歌詞分析に至った経緯

 早速分析!……と行きたいところだが、ここで、筆者が「秒針を嚙む」の歌詞分析をするに至った経緯を説明しておかなければならない。というのも、「ずとまよ」の、特に(代表曲である)「秒針を嚙む」については、既に数々のアーティストやライターがその魅力を語っており、既に数々の分析がなされているためである。
 それではなぜ筆者は本記事を執筆しているのか――それは、それらの記事とは別の、新たな「解釈」を提案したいためである。

 現在、「秒針を嚙む 考察」と某検索エンジンにて検索を行うと、この曲を「二人の失恋ソング」と解釈しているものや、タイトルの「秒針」に込められた意味を中心に解釈しているものが上位にヒットする。しかし、それらを一つ一つ確認していくと、歌詞とMVをリンクさせて考察しているものや、中にはほとんど憶測で書いているであろうものまで様々。もちろんそれはそれで興味深いのだが、「歌詞」のみに着目して、省略されている主語や目的語を補って分析しているものは、(管見の限り)見当たらなかったのである。
 そこで、「それならこの(どの)私が『秒針を嚙む』の歌詞を文法的側面を根拠に徹底解説してやろうじゃないか!」ということで、一念発起した次第。それでは、順を追って考察を始めていく。

※本記事における考察は筆者個人のいち意見であり、曲の解釈を断定するものではございません。また、解釈を限定する等の意図もございません。ご理解いただいたうえでお読みいただければと存じます。

1.語り手と登場人物

 先に引用した歌詞全文はご覧いただけただろうか。この曲を理解するうえでの大前提として、歌詞に登場する人物を知っておかなければならない。一人は語り手の「僕」、もう一人は「君」の、計2人である。そう、2人であるはずなのだ。そこで、次に示す、曲冒頭の歌詞をもう一度ご覧いただきたい。(引用内の太字は筆者によるもの)

生活の偽造 いつも通り 通り過ぎて
1回言った「わかった。」戻らない
確信犯でしょ? 夕食中に泣いた後
は笑ってた

もそうだよ。」って 偽りの気持ち合算して
吐いて 黙って ずっと溜まってく
何が何でも 面と向かって「さよなら」
する資格もないまま

 「君」「私」「僕」……あれ?1人称が3つあるぞこれ。え?何?実は3人いるのか?混乱混乱。(追記:「君」は2人称です。あほがバレました。ごめんなさい。)
 よく考えてみよう。注目すべきは「『私もそうだよ。』」の台詞。結論から言えば、これは語り手の「僕」の台詞だと筆者は考えている。歌詞から読み取る限り、「偽りの気持ち合算」可能なのは/「吐いて黙ってずっと溜まってく」状態を感じているのは/「何が何でも面と向かって『さよなら』する資格もないまま」でいるのは、地の文の思考の主体:「僕」以外にあり得ないためだ。
 もう少し詳しく説明しよう。そもそも、歌詞に限らず「地の文(台詞ではない文)」というものには語り手の内面が表されている場合が多い(国語の授業で習いましたかね)。事実、本記事の地の文には筆者の内面や思考がだだ漏れな訳で。……そして、それは裏を返せば「鍵括弧内の台詞はあくまでも台詞であり、そちらではいくらでも嘘をつくことが可能だ」ということになる。内面を表す地の文で「僕」という一人称が使われている=語り手の本来の一人称は「僕」。しかし、台詞の中での一人称は「私」。すなわち、「僕」は内心では自分のことを「僕」と呼称しているけれども、「君」に話すときは「私」という一人称を使う。……ここまでどうですか。かなり突飛なことを言っていますが、納得できるものですか。
 さらに、「『私もそうだよ。』って偽りの気持ち合算して」の「って」にも着目したい。

 「って」の用法を説明すると長くなりそうなので割愛するが、「私もそうだよ。」という方法で/と述べることで「偽りの気持ち」を「合算」(=複数のものを合わせて計算)している、と取るならば、この部分を「『僕』が『私』と述べることは偽りであって、その偽りのために他の偽りをいくつも重ねているのだ」と捉えることは不自然ではない。(もう一点気になるとすれば「私もそうだよ。」の「そう」はどういう内容なのでしょう、という点。ここまで主語やら何やらに囚われつつ色々考察してしまったけれど、普通に考えれば単純に「そうだよ」が「偽り」だと捉えられるので。その前の「確信犯でしょ?」に対する/続く発言なのだろうが、詳しい状況の判定は難しそうだ。)

 ここまでを一言でまとめると、「僕」は「君」の前で「私」という一人称を用いており、それは様々な「偽り」の気持ちを積み重ねた結果だ、ということが、少なくとも読み取れるのである。へえー。保証はしません。

2.秒針を噛みたい「僕」と分かり合えない「君」

灰に潜り 秒針を噛み
白昼夢の中で ガンガン砕いた
でも壊れない 止まってくれない
「本当」を知らないまま 進むのさ

このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

 「秒針」が本当に「時間」のことを指しているのかどうかにこの場で言及するつもりはない。しかし、この部分にはいくつかの因果関係が存在する。
 まず「僕」は「秒針」を噛み・砕き・壊そうとする。だが「秒針」は一向に壊れない・止まってくれない。壊れない「秒針」を前に「僕」は、「『本当』を知らないまま進む」と言う。言い換えれば、「『秒針』が壊れないので、僕は『本当』を知らないまま」。さらに言い換えれば、「『秒針』が壊れれば、『本当』を知ることができる」ということになる。「本当」って何だろう。
 そして曲はサビに入る。「このまま奪って隠して忘れたい」。まず誰から何を奪うのか。「奪われる」ことのできる対象は、現時点で「君」のみだから、「君」で良いのかしら。そして奪いたいものは忘れることのできるものだから「記憶」?うーん、やはりこの辺りは憶測にならざるを得ない。ただ、そのあとに「分かり合う○1つもなくても」と続くため、「僕」は「君」に多くの嘘をついているだけでなく、互いに分かり合えていないことが明らかになる。そうして「僕」は「君」に会っても「ごめん。」と返されたくない。返す?何に対して?直前の台詞「私もそうだよ。」に対してか。「形のない言葉はいらないから」。「形のない言葉」の意味は取りづらいが、「僕」が「ごめん。」という言葉を拒絶していることは確かだ。
 この部分をまとめると、「『僕』は『秒針』を壊せなかったことで『本当』を知らないまま進むことになった。『僕』は『君』と何も分かり合えていないけれど、『君』から何かを『奪って隠して忘れたい』」。歌詞から読み取れるのはこのくらいだろうか。

3.少しだけ明かされる「僕」と「君」の関係

消えない後遺症「なんでも受け止める。」と
言ったきり もう帰ることはない
デタラメでも 僕のためじゃなくても
君に守られた

目も口も 意味がないほどに
塞ぎ込んで 動けない僕を
みつけないで ほっといてくれないか
どこ見ても どこに居ても 開かない

肺に潜り 秒針を噛み
白昼夢の中で ガンガン砕いた
でも壊れない 止まってくれない
演じ続けるのなら

このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

 この辺は特に補うべき文法事項も少ないため、歌詞から読み取れることを筆者の独断と偏見と憶測で述べていく。
 「なんでも受け止める。」という「君」の言葉に、たとえそれが「デタラメでも」、守られたと感じる「僕」。しかし、「君」は「言ったきりもう帰ることはない」。信じていた「君」の言葉に騙された、ってことか。それが「僕」の「後遺症」となっているのだろうか。だから「僕」は、「塞ぎ込んで動けない」。そんな「僕」を、見つけないで。ほっといて。「僕」の複雑な感情、「君」との過去と「僕」の本心。この部分にぎゅっと詰め込まれている。
 そしてまた「僕」は、今度は「肺」に潜り、「秒針」を壊そうとする。しかしながら、またもやそれは壊れないし止まらない。「演じ続けるのなら このまま奪って隠して忘れたい……」。演じ続ける主体はどちらだろうか。何を演じるのだろうか。……もしかして、「僕」が「私」を演じることか……?そうだとしたら。最初の部分と繋がってきそうだ。

4.「誰のせいでもないこと」

縋って 叫んで 朝はない
笑って 転んで 情けない
誰のせいでも ないこと
誰かのせいに したくて
「僕って いるのかな?」
本当は わかってるんだ
見放されても 信じてしまうよ

 この部分も推測の域を出ないことをご理解いただきたい。
 縋って叫んで笑って転んで……「僕」が実際に縋って叫んだかどうかは分からないが、「僕」はそれほどの心情に陥る。「誰のせいでもないこと誰かのせいにしたくて」。ここで、「僕」の周辺で起こっている問題が「誰のせいでもない」ことが明らかになる。え?「君」が騙したのが悪いみたいな雰囲気だったじゃん。誰のせいでもないの?へえ。
 「僕っているのかな?」必要とされているのか、この世界に?「君」に?「本当は分かってるんだ」「見放されても信じてしまうよ」。必要とされていなくても、必要とされていることを信じてしまう、ということだろうか。

5.ついに本音を漏らす「僕」

このまま 奪って 隠して 忘れたい
このまま 奪って 隠して 忘れたい

このまま 奪って 隠して 話したい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
「疑うだけの 僕をどうして?」
救いきれない 嘘はいらないから

ハレタ レイラ

 これまでは「奪って隠して忘れたい」だったのが、ラスサビでは「話したい」に変化する。これには着目せざるを得ない。「僕」は「君」と「話したい」と思うようになったのである。「奪って隠して」という条件付きで。そして、こう訊くのだ。「疑うだけの僕をどうして?」
 どうして?、の後には何やら言葉が省略されているように思えるが、今注目すべきはそこではない。筆者が伝えたいのは、「僕」だ。
 この場面では、「僕」は「君」と「話したい」と願っているだけであって、実際に話しているわけではない。それでも、「君」と「話したい」のである。「僕」は「君」に、「疑うだけの僕をどうして?」と訊きたいのである。そう、「私」ではなく、「僕をどうして」、と。
 曲の冒頭において、「僕」は「君」に対して「私」という一人称を用いていた。それが、最終的には「僕をどうして?」と話したいと思うようになる。「君」に「僕」の一人称は「僕」なんだと「話したい」、そう思うようになったのだと考えられる。

6.歌詞から分かる「僕」の葛藤と苦悩(考察)

 長々と分析(や憶測や推測)を続けてきた。恐れ多いことではあるが、以上の記述を踏まえて筆者なりの一解釈を示しておこうと思う。

 ――「僕」は「君」に対して偽りを重ねながら「私」を演じていた。「私」を演じることは、「僕」にとって負担となっていた。「僕」は「私」を演じたが、「僕」と「君」は互いに分かり合えなかった。「君」の「なんでも受けとめる。」という言葉に守られたこともあったが、「君」はもう帰ってこなかったため、「僕」は塞ぎこんで動けない。このまま「僕」が「私」を演じ続けなければならないのなら、「君」の記憶を「奪って隠して忘れたい」。そして、「僕」が「私」を演じなければならない事、「君」と分かり合えない事、すべて「誰のせいでもない」。しかし、「君」は「もう帰ることはない」。だから、「君」の記憶を奪って隠せるのなら、「君」と話がしたい。散々「君」のことを偽って、欺いて、疑った「僕」を「どうして?」と訊きたい。それでも、「救いきれない嘘」の言葉ならいらない。――

おわりに

 noteデビュー記事が6000文字超という、ロング駄文となってしまったことをお許しいただきたい。大学の授業でもそんな書かんわ。
 そして、この駄文は個人の解釈であるため、ここまでお読みいただいた方の中には、もしかしたら不快な思いをされた方もいらっしゃるかもしれない(何かありましたらご連絡ください)。それでも、筆者としては一度だけ出てくる「私」の存在について考察することができて良かったと思っている。様々なご意見があるだろうが、筆者としては文章を書く良い機会となったため、これからも不定期で歌詞考察など積極的に行っていこうと思う。

※再掲※本記事における考察は筆者個人のいち意見であり、曲の解釈を断定するものではございません。また、解釈を限定する等の意図もございません。ご理解いただいたうえでお読みいただければと存じます。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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