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【文法から考える】”ずとまよ”「暗く黒く」歌詞徹底考察!

 ”ずとまよ”歌詞考察第2弾。今回は、映画『さんかく窓の外側は夜』の主題歌「暗く黒く」の歌詞を考察する。前回の記事でも言及したが、”ずとまよ”と言えば圧倒的な歌唱力で歌いあげられるメロディや物語調のMVなど、その魅力は語りつくせないほど存在する。また、「暗く黒く」に関しては映画の主題歌ということもあり、曲の内容が映画の内容とリンクしていると考える人も多いようだ。しかし、本記事ではそれらと歌詞とを一旦切り離し、”歌詞”のみに着目した考察を行う。それは、本記事執筆の目的が、既存の考えに囚われない新たな歌詞解釈を提案することだからである。

MVはこちら↑

歌詞全文(上記MV公式アカウントのコメントより引用)

触れたくて 震えてく声が
勘違いしては 自分になっていく
成りたくて 鳴らせないが息絶えても
確かめるまで 終わらせないで

ただ黙っていた
想ってるほど 堪えられた
冷え切った視界で 今日を燃やしてく

未読にした 美学でよかった
だいじょばないって言えた程
些細な痛み 割り切ったけど
君に出会って 赦されてく

全然取れやしない
やつが暗く黒く 塗り潰したとしても
決して奪われない
インスタントな存在でも
見えなくても 此処にある

守ってたいなんて 一切合切 自我の煩悩で
控えめになって 心をポイ捨てしても
きっと違うけど
学んでしまった 気づいてしまった
備えられた孤独が こんなに尊いならば
疑う必要はない 信じてる必要もない
連鎖よ続け

在り来たりな儀式も お上手に
切磋琢磨に踊れ 秒読み
トライアングルな縁に浸っても
何処に居ても場所 疑うけど
鍛えられた細胞 崩してよ
この人生が有ること 許してよ
今まで見てきたもの 全部背負って
生きてく怪我させて

守ってたいなんて 一切合切 自我の煩悩で
控えめになって 心をポイ捨てしても
きっと違うけど
学んでしまった 気づいてしまった
備えられた孤独が こんなに尊いならば
疑う必要はない 信じてる必要もない
連鎖よ続け

全然取れやしない
やつが暗く黒く 塗り潰したとしても
決して奪われない
インスタントな世界でも
触れなくても 此処にある

叶っていたいも 勝っていたいも
時間の翻弄で
目指してた果てに 行き着いた先
満たす孤独も あるのかな
止まってしまって わかりすぎたって
選び変える勇気が こんなに尊いならば
疑う必要はない 騙し合う必要もない
連鎖よ続け

1.主人公の置かれた状況分析/考察

 それでは、早速分析を始めていこう。

 ※本記事は曲の内容を断定・限定するものではありません。あくまでも筆者による一考察としてお楽しみいただければ幸いです。

触れたくて 震えてく声が
勘違いしては 自分になっていく
成りたくて 鳴らせないが息絶えても
確かめるまで 終わらせないで

ただ黙っていた
想ってるほど 堪えられた
冷え切った視界で 今日を燃やしてく

 まず前提として登場人物を確認しておくと、この曲には主人公のほかに「君」という人物が出てくる。しかし、ここまでの場面で「君」の存在は明記されていない。曲冒頭「触れたくて」の触れたい対象は何かと考えた時に(その後の歌詞を総合的に見れば「君」であるのだとは思うが)、それをこの時点は伏せておき、だんだん明らかにするという―何とも巧妙な手口が用いられている(褒めてる)。そして、—筆者は別にレトリックを指摘するために本記事を執筆している訳ではないのだが―「冷え切った/燃やしてく」に表されるような文字単位の対比も、見逃すには惜しいポイントである。

 そして、ここからが本論。主人公はどのような状況下にいるのだろうか、という観点から事実を拾い上げていく。
 とは言いつつも、筆者自身「これは……どの部分から考えていけばいいんだ!?」と早速頭をフル回転させて悩んでいるのであるが。暫く思案した結果、着目すべきは引用部分の下から2行目、「想ってるほど堪えられた」の部分だという結論に至った。これには根拠があるので示す。

ⅰ)「想」の字の秘密

 まず、「想」という漢字が用いられている点だ。「想う」は表外読み(常用漢字表に載っていない読み方)であり、「おもう」と漢字で書く場合、一般的には「思」の字が使用される。それではこの「想」は「思」と何が異なるのか。調べてみると、どうやら感情の程度が異なるらしい。(本来であれば辞典の記述や国立国語研究所などの信頼できそうなサイトが編集している記事を引用したかったのですが……見つからず。参考程度に閲覧した記事をいくつか載せておきますね。)

 「思」は広く一般に思うこと、「想」は特別な感情や強い感情を伴って思うこと。まあ確かに、といったところである。ちなみに、ちょっとした調べものの際に筆者がよく利用しているネット辞書「デジタル大辞泉」や「goo辞書」には、その相違点が明記されていなかった。何が言いたいかというと、上記の引用記事が信頼できるものかどうかは知らない(おい)。
 とはいえ実際、筆者も「『想』は特別な感情や強い感情を伴って思うこと」という主張には賛成の立場であり、上記引用記事の内容にも概ね納得している。そのため「想」が特別な/強い感情を伴ったものだと考えて考察を進めると、主人公は(恐らく「君」に対して)特別な/強い感情を持っているということになる(ここに若干の〇泉進次郎構文みを感じる)

ⅱ)助詞と助動詞が論理を導く

 次に着目したいのが「ほど」である。え?そんな細かいとこ見る?と思われるかもしれないが、筆者はこういう箇所が重要だと考えている。「こういう箇所」というのは、ずばり助詞である。
 少し専門的な話になるかもしれないが、「助詞」について軽く触れておこうと思う。そもそも「助詞」とは、学校文法においては「付属語で活用がなく……」などと説明されるもので、具体的には「佐藤さん図書館友達電話かけた」の太字部分のようなものである(咄嗟に作った例文の内容にマナーの悪さが滲み出ている)。これらの助詞は「格助詞」と呼ばれるもの。詳しい説明は省くが、日本語を話す者であれば誰もが使うものだろう。
 それに対して「ほど」という語は「副助詞」に分類される。副助詞とは、「アメリカ人」「一度きり」「怒ってばかり」など様々な語について特別な意味を付加する働きがあり、「係助詞」(古文で言う所の「ぞ、なむ、や、か、こそ」等)はこれに含まれる。そしてその中の一つ「ほど」は、主に数量等の程度や段階(ex:「どれほど」「驚くほど」)または打消しの語を伴って基準(ex:「昨日ほど寒くはない」)を表し、「くらい」などと似たような意味を持つものである。
 ちなみに、「『ほど』って名詞じゃないの?」と思った人がいるかもしれないので補足すると、もちろん名詞として用いられる場合もある。ややこしい話だが、「実力のほどはわからない」「いい加減にもほどがある」「ご確認の程、よろしくお願いします」のような場合の「ほど」は名詞。「ほど」が前後の語や文脈を繋いでいる場合は副助詞、単体で意味が通る場合は名詞だと考えると分かりやすいかもしれない。今回は、「ほど」が「想ってる」と「堪えられた」を繋いでいるので、副助詞だと考えて良いだろうと筆者は判断した。

 そしてここで考えなければならないのが、この「ほど」は「程度」と「基準」のどちらを表すものなのか、という点である。次に続く語「堪(こら)えられた」を見ると、打消しの語を伴っていないため、「基準」ではないと考える方が妥当だと仮定する。そうすると、「程度」の意味でとるしかない。しかし、ここで問題が発生する。……「想ってるほど堪えられた」って、冷静に考えてどういうことだ……!?(振り出しに戻る)(原点回帰)(ここまでの必死の説明は何だったんだ)(こんなのではさっさと考察が読みたいのに助詞だとかなんだとか小難しい話を我慢して読んでくださっている読者の皆様に顔を向けられないぞ)
 失敬。まあそのようになるわけだ。では、この部分はなぜ分かりにくいのか考えてみることとしよう。筆者が思うに、一番の要因は「堪えられた」の「られた」の部分にあるはずである。ここに用いられている「られる」(「れる」も同じ)は助動詞であり、受身・尊敬・可能・自発のいずれかの意味を表す(これは国語の授業で習った人が多いかな)。例えば、受身であれば「殴られる」、尊敬であれば「(先生が)話される」、可能であれば「(この子はピーマンを)食べられる」、自発であれば「(母のことが)案じられる」のような用い方をする。そして(「ほど」と「られる」の相性がとてつもなく悪いわけだが)、この中で考えると「堪えることができた」なら問題なく意味が通じるので、可能の意味で考えるのが適切。「られる」の部分を含め、問題の「想ってるほど堪えられた」を一般的な日本語()に意訳すると「(君を)想っている強さ/大きさの程度だけ、堪えることができた」といった意味合いとなり、一応文として成立するようになる(めでたし)。

 さあ、ここに主語と目的語を補っていこう。主語は言うまでもなく主人公(「僕」とでもしておこうか)である。なぜなら台詞の内容ではなく、地の文の内容だからである。そして問題なのは、何を堪えることができたのかという点である。ここに関しては、何しろ「堪える」以上の情報が存在しないため推測の域でしか語ることができないが、「堪える」と言えば「涙」か「感情」のどちらかではないかな~と筆者の主観では思う。どちらにせよ、「堪える」というのは「我慢する」の意味合いに近いので、この部分は「僕は、君を想っている強さの分だけ(超意訳:強く思っているからこそ)、感情を自分の中に抑え込むことができた」程度の意味に解釈してもよいのではないかな~知らんけど~~、と考えている。

 たった一行のために何千文字使うんだ、と自分でも突っ込みを入れたいところだが、同時に、たった一行のために既に何時間も溶かしているのでもう筆者にも余力がない。が、どんどん考えていく。

ⅲ)主人公の置かれた状況を考える

 さて、ここまで明らかになれば主人公の置かれた状況は判明したも同然だ。ここまで確認した事実として、①主人公は「君」に対して特別で強い感情を持っている ②主人公は「君」を想っているからこそ、何らかの感情を我慢している の2点が挙げられる。
 そしてこれから考えたいのが、①主人公と「君」はどのような関係性なのか ②そもそも「君」って誰なのか の2点である。②は解決が難しそうなため、本記事全体を通して考えていきたいと思うが、①はすぐに分かりそうである。先ほど述べた「想ってるほど堪えられた」の筆者による意訳をもう一度見てみよう。「僕は、君を強く思っているからこそ、感情を自分の中に抑え込むことができた」である。これを筆者がどう解釈しているかもっと具体的にいうと、「主人公は『君』のために(君に対する感情ではないかもしれないけど)何か堪えている」、さらに「もし僕がこれを堪えられなかったら、『君』は何か困ることになったり、不利益を被ったりすることになる」と換言可能なのではないだろうか。
 つまり、「僕が『堪える』ことで、『君』が困らないようにしている。また、僕が『堪えられ』るのは、『君』を想っているからこそだ。『堪えられ』るのは、『君』を想う強さや大きさの証だ」と考えることは可能である(これも筆者の主観。異論あると思います、ぜひお知らせください)。

 はい。そんな主人公と「君」。関係性としては良いのか?悪いのか?という点が気になるところだ。歌詞から読み取る限り、少なくとも、心から通じ合ってはいないと言えるだろう。どちらかと言えば、主人公が「君」に一方的に想いを抱いているのかな?と感じられるほどである。歌詞において、「君」の方が主人公をどう思っているのかについては一切触れられていないため、それ以上の判断はできない。しかし、「少なくとも通じ合ってはいない」を前提に引用部分の歌詞を眺めると、「触れたくて震えてく声」「勘違い」「成りたくて鳴らせないが息絶えても」「ただ黙っていた」「冷え切った視界」……全てマイナスイメージに見えてくる。「確かめるまで終わらせないで」も、「ああ、よくわからないけど『確かめられ』ない状況なのだろうな」のように、ネガティブに感じられる。ちなみに「終わらせないで」は命令のため、今のは「君」に向けた言葉なのかな、などとも勘繰ってしまう。……主人公は、そんなネガティブな状況の中にいるのではないか。ここまでが、長い長いイントロ部分の解釈である。

2.互いの存在

 【再掲】※本記事は曲の内容を断定・限定するものではありません。あくまでも筆者による一考察としてお楽しみいただければ幸いです。

ⅰ)「君」の存在

未読にした 美学でよかった
だいじょばないって言えた程
些細な痛み 割り切ったけど
君に出会って 赦されてく

 ここからはサクサク進むつもりである(!)。
 未読だとか美学だとかそういう箇所はそれ以上掘り下げようがないので置いておく。ここで注目したいのが2,3行目。
 いったん冷静になって引用部分を理解しようとしてみてほしい。「だいじょばないって言えた程」「些細な痛み」「割り切った」。些細な痛みなら普通に「大丈夫」なのでは?そして些細な痛みを割り切ったのなら「大丈夫」ってことだよね?でも「だいじょばない」って言ったの?ん?……この部分、どう考えても矛盾が生じるのである。

 些細な痛みなら、普通は我慢できるはず。些細な痛みを割り切ったというのなら、普通はもう痛みを気にしなくなるはず。それなのに「だいじょばないって言えた」なんておかしい。ここには意味がありそうだ。そもそも、「割り切る」は「個人的な感情を挟まず行動すること」なのに、「だいじょばない(個人的感情)」というのは矛盾だ。そして再び現れた「程」。今度は漢字表記だが、こちらも「程度」の意味で考えると……。

 筆者は考えた。色々考えた。そしてこの部分を直訳してみることにした。
 「『だいじょばない』と言うことができたくらい 些細な痛み 個人的な感情を挟んで行動することもなくなっているけれど」。……ここで筆者の脳裏にある仮説がよぎる。「些細な痛み」は間に挟まっているだけで、文章はその前後でつながっているのではないか……?だとすると、「だいじょばないって言えた程 割り切ったけど(だいじょばないって言うことができたくらい、個人的な感情を挟むこともなく行動できたけど)」。つまりこの「だいじょばない」は嘘(本当は大丈夫)で、主人公は割り切って(私的な感情を挟むことなく)嘘をつけるような状態になっていたとは考えられないだろうか?そう考えれば、次の「君に出会って 赦されてく」の「赦す(ゆるす)」が「許」でない理由も説明が付く。「赦」という漢字はに対してゆるす際に用いられるのである。

 この部分の仮説をまとめよう。
「僕は『だいじょばない』と言うことができたくらい割り切って嘘をつくようになっていたけれど、そこには些細な痛みを感じていた。しかし、『君』に出会うことで、その罪が許されていく。」
 
これなら意味は通る。正しいかどうかは皆様の判断におまかせするが、未読だとか美学だとかはやはり解釈が難しく触れられなかった。

ⅱ)主人公の存在

全然取れやしない
やつが暗く黒く 塗り潰したとしても
決して奪われない
インスタントな存在でも
見えなくても 此処にある

 「全然取れやしないやつ」って何だろうなどと考えたくなってしまうが、それは正直なところ誰にもわからない。
 ここで考えたい箇所が、3~5行目。「決して奪われないインスタントな存在でも見えなくても此処にある」。インスタントは「即席」という意味だが、「インスタントな存在」は誰にとってのインスタントな存在なのかと考えると、やはり「君」でしかあり得ないのではないかと。「『君』にとって僕は『インスタントな存在』でも、『君』から僕が見えなくても、僕の存在は確かに此処にある」というような意味合いになりそうだ。

 そしてこれは余談だが、筆者は「塗り潰した」の部分も気になっている。
 「全然取れやしないやつが暗く黒く塗り潰したとしても」。ここは「○○が△△を塗り潰す」という形になっている。例えば、「園児が図形の中を塗り潰す」のように、○○の部分には「塗り潰すという動作を行ったもの」が入るはずだ。筆者は当初、「全然取れやしないやつ」は暗く黒く「塗り潰された」のかと勘違いしていたのだが、文法上これは「全然取れやしないやつ」が(何かを)塗り潰したということになる。そして「潰す」がわざわざ漢字表記になっているところを見ると、「塗りつぶす(隙間のないように塗る)」ではなく「塗り」、「潰す」なのかなと考えてみたり。難しい。

3.主人公の気づき

守ってたいなんて 一切合切 自我の煩悩で
控えめになって 心をポイ捨てしても
きっと違うけど
学んでしまった 気づいてしまった
備えられた孤独が こんなに尊いならば
疑う必要はない 信じてる必要もない
連鎖よ続け

 サビに入る。この部分は特に補足することもないので適宜言葉を補いながらまとめていく。
 「(『君』を)『守ってたい』なんて気持ちはすべて自分自身の欲望で、だからといって控えめになってその欲望を捨てるのは本意ではないのだけど、(人間に備わった)孤独(でいられる能力)がこんなにも価値があって貴重なものならば、(『君』を?)疑う必要もなく信じている必要もないということに気が付いてしまった。(このように、新たな気づきの)連鎖が続いてほしい」……こんな感じだろうか。主人公には「君」を「守ってたい」という欲望があるが、それは自分自身の問題であり、その気持ちは捨てられない。ただ、何かの拍子に孤独でいられることの価値や貴重さを学ぶ。それなら、「君」を疑う必要もないし、信じている必要もない。つまり、これ以上「君」に振り回される必要はないということだろう。

4.明らかになってくる主人公と「君」との関係

在り来たりな儀式も お上手に
切磋琢磨に踊れ 秒読み
トライアングルな縁に浸っても
何処に居ても場所 疑うけど
鍛えられた細胞 崩してよ
この人生が有ること 許してよ
今まで見てきたもの 全部背負って
生きてく怪我させて

 この部分まで見れば、主人公と「君」との関係は大体想像がつくようになる。今までの歌詞から読み取れる内容を時系列順に並べかえて整理してみると、①割り切って嘘をつくようになっていた主人公は、「君」に出会ってその罪が赦されていくと感じていること。②主人公は「君」に対してある強い想いを持っているが、「君」との関係はあまり良くないこと。③「君」に対して主人公は一方的に「君」を「守ってたい」という欲望があること。④何かのタイミングで主人公は孤独であることの価値を知ってしまったこと。⑤孤独の価値を知った主人公はもう「君」に振り回されなくていいと気が付いたこと。
 そして「4.」で「何処にいても場所疑うけど」「この人生が有ること許してよ」「生きてく怪我させて」などの言葉が出てくるわけだ。「何処にいても場所疑う」は「疑う必要もない」と気づく前の話だろうか。「この人生が有ること許してよ」。否定されるような人生かもしれないけれど肯定してほしいということか(ちなみにこちらの「ゆるす」は「許」だ!)。「生きてく怪我させて」。生きることは怪我をすること(辛い思いをすること)だ、という思考のもとで成り立っている論理展開。

 この辺りも含め総合的に考えると、1-(ⅲ)-②そもそも「君」って誰なのか問題が解決できそうである。うーん。この時点での筆者の主観では、主人公は「君」の浮気/不倫相手なのかな~と考えている。「在り来たりな儀式もお上手に」の「儀式」が「告白」やら「記念日のプレゼント」やらを表すのだとしたら、そういったものを「お上手に(慣れた様子で/巧みに)」こなすという点であり得る。また、「トライアングルな縁」を文字通り「三角関係」だと捉えれば、曲全体を通してほぼ全ての内容の辻褄が合う。ただ、この説は他に提唱している方がいるようである。そのため、筆者は悔しい(感情論)。そこで、本記事の最後に筆者による新たな解釈を提案する予定だが、皆様はどう考えているだろうか。

5.触れなくても此処にある

守ってたいなんて 一切合切 自我の煩悩で
控えめになって 心をポイ捨てしても
きっと違うけど
学んでしまった 気づいてしまった
備えられた孤独が こんなに尊いならば
疑う必要はない 信じてる必要もない
連鎖よ続け

全然取れやしない
やつが暗く黒く 塗り潰したとしても
決して奪われない
インスタントな世界でも
触れなくても 此処にある

 この部分は1番とほとんど同じ歌詞であるため大部分の説明を省略するが、異なっている部分を2点取り上げたい。
 まずは引用下から2行目、「インスタントな世界でも」。1番では「インスタントな存在でも」であった。1番では、主人公が「君」にとってインスタントな存在だと言っていたのに対し、2番は最早「世界」自体がインスタントだと述べているのだ。「インスタントな世界」。筆者の考えでは、世界的にあらゆる技術が発展し、バーチャルで様々な体験ができたり遠く離れていても指一本ですぐに連絡が取れたりといった、現代ならではの情報通信の速さ(速さ≒即席=インスタント)、利便性(便利≒速い≒インスタント)を想起した。
 次に引用最終行、「触れなくても此処にある」について。ここで明らかになるのが、主人公と「君」とはこの時点で触れられない関係にあるということだ。直接会えないということか。主人公は、「『君』とは触れていないけれど、僕の存在は此処にある」ということを伝えたいのだろう。

6.クライマックスへ

叶っていたいも 勝っていたいも
時間の翻弄で
目指してた果てに 行き着いた先
満たす孤独も あるのかな
止まってしまって わかりすぎたって
選び変える勇気が こんなに尊いならば
疑う必要はない 騙し合う必要もない
連鎖よ続け

 ラストのサビは歌詞が大きく変化する。言葉を補いながら読んでいこう。
 「(望みや夢が)『叶っていたい』と考えるのも(君に)『勝っていたい』と考えるのも、時間の翻弄(思うがままに弄ぶ)であって、目指していた果てに行きついたその先で孤独を満たしたって良い。(『君』との関係が?)止まってしまっても、(『君』のことを)わかりすぎたとしても、(関わっていくべき人を)選び変える勇気が、こんなにも貴重で価値のあるものならば、(『君』を)疑う必要もなく、(互いに)騙し合う必要もない。(このような気付きの)連鎖が続いてほしい。」ざっとこのような感じにはなるだろう。

7.まとめ・筆者による新たな歌詞解釈

 いよいよ最終章である。ここまで考えてきたことをまとめてみよう。(ただし、筆者の推測を含みます)

――割り切って嘘をつくようになっていた僕は、「君」に出会ってその罪が赦されていくと感じていた。そんな僕は「君」に対して強い想いを持っている。何処にいても(「君」の)居場所を疑ってしまう。しかし、「君」にとって僕はインスタントな存在だった。
 僕は一方的に「君」を「守ってたい」という欲望があるが、何かのタイミングで主人公は孤独であることの価値を知ってしまった。孤独の価値を知った僕は、もう「君」に振り回されなくていいと気が付いた。
 僕は、否定されるような人生かもしれないけれど許してほしいし、辛い思いをしながらでも生きたい。たとえ現代がインスタントな世界だからって、「君」に直接触れなくたって、僕の存在は此処にある
 望みを叶えたいのも君に勝っていたいのも、時が経てば忘れてしまうもの。孤独を満たすのは今でなくてもいい。「君」との関係が止まってしまっても、「君」のことをわかりすぎたとしても、関わっていく人を選び変える勇気が、こんなにも貴重で価値のあるものならば、もう「君」を疑う必要もなく、互いに騙し合う必要もない。このような気付きの連鎖が続いてほしい。――

 いかがだっただろうか。こうして改めて見てみると、やはり主人公は浮気/不倫相手説が濃厚だなあ……と思うのであるが……(でも新たな歌詞解釈提案するって言っちゃったからにはこのまま終わるわけにはいかない)

 提案というほど大層なものでもないのだが、本記事を書きながら考えていたことを述べることにする。

 主人公と「君」の関係を模索する中で、主人公にとって「君」は「推し」なのではないかと筆者は考えていた。上記のまとめの部分の「君」を「推し」だという前提でもう一度読んでみていただきたいのだが、考えれば考えるほど全体的に辻褄が合うような気がしないだろうか?「推し」への強い想い。「推し」の居場所を常に探す。「推し」にとって自分はインスタントな存在(いくらでも代わりがいて、情報にすぐに反応するファンの存在)。一方的な想い。わかりすぎてしまうほどネット上に溢れている「推し」の情報。決して奪われない存在。そして何より、触れられない存在。大抵の「推し」は画面の中か、紙の上か、舞台の上だろう。

 「暗く黒く」の歌詞を分析(筆者による推測や妄想を含む)してきた。しかし、本来曲の解釈は各自が自由に楽しむべきもの。本記事には曲の解釈を断定したり限定したりする意図は全くなく、本記事の内容は筆者による一考察だと考えていただければ幸いである(万が一不快な思いをされた方がいらっしゃいましたらご連絡ください、すぐに対応いたします)。今回はなんと1万字を超える大ボリュームな記事となってしまったが、ここまでお付き合いいただいたすべての読者様に感謝の意を表したい。それでは、また次の機会に。

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