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CLS高知2024初鰹編の個人的なこぼれ話

CLS高知本編のイベントレポートはこちら

時々、「コミュニティ(とか面倒くさそうな活動)なんでやってるの?」という質問を受けることがあるけど、いまだにキチンと答えられない。
でも、参加するようになったキッカケだけは断言できる。それは2019年7月に行われた「八子クラウド座談会in広島」に参加したことだ。
当時の自分はコミュニティに一人で参加するのが恐ろしく、Jaws-UGに参加したことがある同僚を誘って、コバンザメ状態でなんとか参加したのである。(当日の懇親会は迷わず欠席に◯をした)
そして、その会場で「武闘派CIO」友岡さんの登壇内容に衝撃を受けたこと、また「相棒」ナカミチさんと出会ったことでコミュニティに参加し、運営するようになったのだ。

「武闘派CIO」友岡さん

その時の会場での友岡さんの言葉にはたくさんの勇気をもらった。確か以下あたりの内容を話されていた気がする。

若い頃、憧れの上司みたいな人が幾人か存在したが、歳を重ね、所属している狭いエリアで生きようとしていた当時の自分はそういった人々との出会いが完全になくなっていた。友岡さんの語る内容やその口調は面白く、カッコ良かった。「そっか、こういうところに居てはったのか!自分がアンテナ貼れてなかっただけやんけ!」と強く思ったことを覚えている。

ナカミチさん

その会場で見かけた彼は、派手なガラシャツを纏い、ガチガチに髪を整えていてインテリヤクザに見えた。彼と座談会のワークグループで一緒になり、ディスカッションで自分と彼が多く話し、2回あったテーマについての発表をお互いが担当しあって、ワークが終了した。そしてその日のLT枠で彼が登壇した。登壇内容はあんまり覚えてないけど、なんか自社のぶっちゃけ話みたいなやつで笑いを取ってた気がする。すげぇ、と思った。自分はなぜこの勇気を持てないのか?と凹んだりもした。懇親会で話したかったが欠席に◯をしてたので、Twitterで探して連絡した。なんやかんやあって、改めて飲みに行った時、その日の懇親会で友岡さんからLTのFBをもらった、という話を聞いた。「ひゃー怖ぇ、すげーな、よくそんなことするな」とか冷やかしてたが、実は心底うらやましかった。自分の憧れの上司から目をかけられてる同期を見るような、そんな気持ちである。

それから

その後、幾度か友岡さんが登壇される会に参加したことはあったが、お声がけすることはできなかった。あの日から4年と10ヶ月。とうとう、友岡さんに自分のLTを聞いてもらう日が来た。それが今回のCLS高知だった。Xで着艦ツイートが流れてるのを見て「これはもう声かけるしかない、LT事故ったとしても登壇したってことでFBを貰いに行こう。」と決めた。

自分のLT「最大最強の敵との戦い」

この資料はCLS高知のために作った。自分が知ってるコミュニティの良い所を、コミュニティ常連じゃない人達に伝えたい、という思いを表現したつもりだ。「ステキな出会い」のページの台詞に「腎臓を片方あげてもいい友人ができた」というフレーズを入れた。勿論、その友人とはナカミチさんのことだ。(このnoteの記事への返礼です。どうかご査収ください。)
発表中、最前列の個人スポンサー席に座っている友岡さんをチラ見したが、割と無表情だったのでそれ以上見ない事にした。

それからそれから

本編が終わり、後夜祭で友岡さんを見かけ、隣がちょっと空いてるのを見たた瞬間、今しかない、と意を決してお声掛けさせてもらった。
「広島の八子クラウドがキッカケでした、ファンです!」みたいな事しか言えなかったけど。
そしたら「広島の子やんね、LTよかったよ」という言葉をいただけた。めちゃくちゃ嬉しかった。 あとツーショット写真を取ってもらって握手もしてもらった。めちゃくちゃ嬉しかった。

友岡さん、中道さん。お2人は自分のコミュニティ活動のキッカケです。
コミュニティは自分の人生におけるとても良いスパイスになってます。心からの感謝を。そして今後ともよろしくお願いします。

おまけ
この話を後夜祭の3次会か4次会でCLS高知理事の藤田さんに熱っぽく話したら、おもむろにカバンから取り出した友岡さんのサイン本を僕に見せつけ「井上さんはまだ甘い!」とドヤられたので、次の機会に消化しようと思います。


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