HoneyWorks『可愛くてごめん』からYOASOBI『アイドル』まで(どこかアイドルめく人々と日々:視聴MVと雑感)

HoneyWorks『可愛くてごめん』のほか、ボカロ系の曲など計20曲のMVを挙げ色々雑感を書いた(雑感内でほかのMVも引用してある)。体裁は前に書いた「meiyo『なにやってもうまくいかない』と併せて自分が視聴した曲(ボーカロイド(vocaloid)の曲が多い)と雑感」を踏襲しようとしたが、違いも生じた。カバーソングの紹介が多くなった。まず最初の曲を貼る。

HoneyWorks『可愛くてごめん feat. ちゅーたん(CV:早見沙織)』2022/11/18

『可愛くてごめん』は受け取りかたが割れるMVではないかと思う。その点でも『うっせぇわ』と似ているかもしれない。それはsyudouが作詞作曲してAdoが歌ってバズった曲だった(syudou自身もセルフカバーをしている)。『うっせぇわ』も、『可愛くてごめん』や『なにやってもうまくいかない』と同じくTikTokやSNSでバズったとの報が広まった楽曲だった。ポップだ。

同じようにバズったとはいえ違いもある。『可愛くてごめん』はまず2010年代初めから活動し始めたグループHoneyWorksが長らく発表してきた『告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜』の一環であるコンテンツだった。同シリーズに登場する人物のキャラクターソングだ。この点で『うっせぇわ』や『なにやってもうまくいかない』とは異なる背景を持つ。だからまず以下のような記事が先に読まれるべきだろう。ふたつの記事でもこの曲の捉え方は割れている。他からの目線が刺さっているか、それをはねのけているのかだ。ただし他の目線を織り込んだ自己表明、自意識の歌と見る点では一致している。

あるこほーる「可愛くなりたい→可愛くてごめん 」(2022年12月5日の日記)」(2022年12月6日)。同記事より抜粋:「明るい曲調だが、全盛期のハニワ[HoneyWorks]とは全く違う」「「可愛くてごめん」は自分に向けて唱えている魔法の呪文で、これによって自分を守るのに必死なのだ。[…]歌詞のスタンスは大きく変化したが、本質的に描いている不安は『可愛くなりたい』と全く同じで、そこが面白い」。「HoneyWorksは時間と共に歌詞が大人向けになってきており、曲の主人公となっているキャラクターたちもリスナー層と共に成長していっている」。
彼岸(ティラミス)孤高を往く修羅の曲【可愛くてごめん】歌詞考察。揺るがない「ヒロイン」の形を見よ」(2023年2月12日)。同記事より抜粋:「【可愛くてごめん】が最も対照的にしているもの、アンチヒロインたらしめているのは間違いなく【可愛くなりたい】という曲との対比だ」。「私は1人でも強く可愛い自分であれる。理不尽な我慢はさせない、自分を生きる。そんな自分を好きである。自己肯定感に満ち溢れているのではない、無理矢理奮い立たせ自己肯定感を分泌させているのだ」。「好きなものを好きだと言い、自分を曲げない。[…]私もまた、自分の味方は自分でありたいし一番大切にするし理不尽な我慢もさせない。私もまた自分の人生のヒロインでありたい」。

あるこほーる、彼岸(ティラミス)両名のnoteアカウントに掲載された記事より抜粋

自意識の歌なので、おそらく、受け手が「ごめん」の部分をどういう向きのどんな熱量の一節と解するかで全体の印象が変わる。その度合いは、これを誰が歌うか、これをどの曲と合わせて聴いたかなどにも左右されるはずだ。この曲のホンネの所在は複雑だ。装いが何層にもあるからだ。例えば、上のMVではアニメ版の担当声優である早見沙織が歌っているが、それは『ヒロインたるもの!』に登場する人物、中村千鶴としてだ。しかも中村が学校生活と別に労働(メイド喫茶)と消費(アイドルユニットのライブ)の場などで活動する際のペルソナ「ちゅーたん」の曲として歌っているのだ。演じられたキャラクターを、それを演じるキャラクターを演じる声優が歌っているわけだ。映り具合も響き方も、どの部分にフォーカスするかで異なってくる。

星川サラ『可愛くてごめん ♡ 星川サラ(cover)/HoneyWorks』 2023/02/10

バーチャルライバー(にじさんじ所属)の星川サラによるカバー版。例えばここで元の『可愛くてごめん』のMVから何が引き算されているか見てみると興味深い。元のMVでちゅーたん(中村千鶴)が取っていたポーズを星川サラが代わりに行う、というだけではない。元のMVには、ちゅーたんが給与明細を確認して喜ぶシーンや街角でナンパする男性たちに絡まれ怒るシーンがあった。星川版MVではこれらが削除されている。その引き算によって元のバージョンではちゅーたんがその存在をほのめかしているようにも思えた〈裏の現実〉や〈暗いホンネ〉の影が払拭され、ただただ表向きの〈あざとかわいい〉ポーズが強調されている。バックヤードの殺伐は後景に引き、表舞台の華やかさが前面に出ているのだ。このように星川版『可愛くてごめん』は、星川の明るいコミカルさを引き立てる側面にフォーカスしている。

高嶺のなでしこ『可愛くてごめん(cover)』2022/11/18

HoneyWorksがサウンドプロデュースを担当してデビューしたアイドルユニットによるカバー版。寝巻きのような恰好からメイクアップして群舞に至るまでがメンバー相互の睦まじいやりとりを挟みつつ提示される。AKB48『ヘビーローテーション』(2010年)が踏まえられている。虻川実花の監督した同MVと、この『可愛いくてごめん』MVを比べると共通点と差異が浮き彫りになるように思える。極彩色の中でナポレオン・ジャケットとミニスカまたランジェリーをまとったアイドルたちがはしゃぎ踊る『ヘビロテ』MV。ロリータの流れには映るが比較的シンプルで、地雷系(ちゅーたん)の裏面としての量産型ファッションに属すだろう、なでしこのMV。両者のMVは、リフェクトリーテーブルやシャンデリアのある室内空間と、〈あざとかわいい〉と評されうる親密なじゃれあいの見せ方などの点で、通じあっている。

AKB48『ヘビーローテーション』 2010/09/08

蜷川実花はこのMVに関して、「男子不在の女子校のような女の子の世界を描きたいなあと思って作った」や「いくつか「蜷川実花らしさ」みたいなカードを持ってるので、負けたくないときにはそれを使うわけ。/調べたらそれまで男性の監督しかいなかったし、相手は女の子だし、得意技に持ち込めそうだと思ってつくりました」と述べていた。昔はこのMVへの反発の声が「レズ(ビアン)っぽい場面が多い」を理由として挙がっていたのを思い出し、2010年代初頭の日本の同性愛理解のありさまに思いを馳せる。もちろん当時、百合営業という言葉は知らずともt.A.T.u.の話は広まっていたはずで、だからヘビロテへの反発というか難癖に抗したくはあっても、全肯定するのもまた難しかった。なおアイドルとアイドルオタとしての自身をフェミニズムの文脈で語ろうとする女オタクも当時からいた。私が知る限りは。一方その頃の男オタクのアイドル語りで目立っていたものは余りフェミニズムに目を向けていたとは思えない。今は諸々が変わった。例えば香月 孝史 /上岡 磨奈 /中村 香住(編著)『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』(2022年)があり、長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』(2020年)がある。

Ado『アタシは問題作』2023/02/20

この記事の副題で「どこかアイドルめく人々と日々」という言葉を使った。それで言いたかったのは、SNSを日常的に使う人々の生活が、いわばアイドル的なものでイメージされているのではないか、ということだ。つまりは生活することの大変さがアイドル活動の大変さと重ね合わされているのではないか。アイドルと労働に関する次のような指摘が参考になるように思う。

そしてAKB48は、単に歌唱やダンスを披露するばかりではなくて、リアリティショー的な趣向で物語られていく感情労働にメンバーたちが真剣に身を投じていくそのひたむきな姿を売り物にしていたのであって、そのコンテンツはきわめて演劇的な性格をもっていた。今日の演劇における俳優の本人性や創造性の強調、セルフ・ドキュメンタリー的趣向の作品の隆盛は、これとパラレルな現象に思えてならないのである。
アイドルについてはまったくの門外漢であるわたしにこのことが重要なのは、AKB48がその集団運営においてマネジメントの手法を採用していることを様々な場で公言しており、グループの特徴として強く打ち出していたからである。AKB48メンバーの活躍は、今日の企業人がマネジメントされるひたむきな姿に重ねてイメージされる。だからこそメンバーはその感情労働にマジになることから降りられない。

植村朔也「その手のもとに「劇場」はある――渋革まろんの《ポスト劇場文化》論を検討する
『演劇最強論-ing』(<先月の1本>『サロン乗る場』)第4章注[****]、2023.03.31掲載。

感情労働とは何か。大雑把に言えば、自分の感情をコントロールして適切な振る舞いをこなすことである。自分がどのようなキャラで、友人知人や第三者のいる前でどう振る舞うのか。SNSはそれらを気遣うように促してくる。感情労働だと言えよう。アイドルの活躍と企業人の日々が、ひたむきな感情労働によって結ばれる。就職活動のことを考えれば学生であろうと否応なく感情労働させられているはずだ。いわば汎マネジメント的な体制において、人々の日々は一様にアイドル風になっているのだ(個々には小規模でも)。

『アタシは問題作』は、『うっせぇわ』ほかの楽曲を巡る喧々諤々に対するAdoからのアンサーのようでもある。「望まぬナイフ 握ってただけ」という歌詞の一節は象徴的だ。他方でサムネイル画像の引きつり笑い、「好き勝手 言いやがって でも ありがとうございます!わぁ」というシチュエーションなどは誰もが体験するものだろう。生活エッセイマンガ風の絵柄が示唆するように、このMVは、誰もが体験する苦労、その極大的なバージョンとしてアーティストAdoの苦労を歌っているのであり、「アタシは問題作? あんたはどうだい?」という結びで、人々はAdoほど大規模ではないかもしれないがAdoと似たような喧々諤々の中で日々をこなしている、どこかアイドルのような自分自身、そのアイドル的自意識へ対面させられることになるのだ。

HoneyWorks『可愛くてごめん (feat. かぴ)』2022/11/18

TikTokで1位をキープしたと言われているのは、かぴの歌うこのバージョン。現在確認できた限りでは、HoneyWorks『┗|∵|┓金曜日のおはよう-another story-』(2014/09/26)のカバーをかぴは翌27日に挙げており、これが最初の活動だろうか。ちゅーたん(中村千鶴)として早見沙織が歌う『可愛くてごめん』と、かぴの歌とでは声がどう異なるのか、丁寧に語るのは自分には手が余る作業だが、例えば「大好きなお洋服」末尾の「く」発声時のくぐもった響きの濃淡は示差的ではないかと思う。また様々な名のある役をアニメで演じてきた早見に顕名性を割り振り、声優的なキャスティング歴を持たずひらがな二字で特徴的とはいえ被りやすい名のかぴにありふれた誰かである匿名性を割り振ることはできるとも思う(10年近く歌い手活動歴があるとはいえ)。この曲の表現するキャラクターの自意識をどう解するにせよ、それをカワイイ存在の能天気な勝利宣言とは解せなくなるところがある。そうも解せるはずなのだが。思うに、HoneyWorks×かぴコラボ楽曲である『推し★ごと』を合わせて視聴すると、ここに捻じれた自意識を読み込みたくなる。

HoneyWorks『推し★ごと feat.かぴ』2021/09/25

これを視聴すると同じ歌い手/キャラの『可愛くてごめん』に屈託した自意識を見出すのが自然に思えてくる。描かれているのは感情労働(メイド喫茶の仕事)に打ち込んで得た金銭を「推し」へ「貢く」のに(つまり別の感情労働へと)つぎ込む人間の姿だ。それを中毒的な様相だと切って捨てる声にはこんな応答がなされるだろう。「私が稼いだの/説教される筋合いない/だから理解ももういらない/私の人生よ 文句ある?」(MVではこのくだりで画面に闇が差す)。資本主義による解放という難問があるのだ。小町碧音はTikTokダンス動画で切り抜かれるのが『可愛くてごめん』サビのフレーズにとどまる点から「楽曲に対してポジティブなイメージで終わるフレーズまでをユーザー側が上手に切り取ったことが大きい」とする。それも確かだが、しかし、MVの受け手の側に快活な顔をベタにとらず深読みするアイロニカルな意識があり、そんなイロニックな意識の浸透が広範に及んでいたとすれば、どうか。皮肉な響きの副音声が脳内では補足されていたのだとしたら? そんな想像をする余地はある。実際、皮肉を読ませる環境も整っていた。笑顔の裏を読ませるようなMVが、この前後には様々に見つかるのである。

ت『恋愛兵器!りーさるうぇぽんちゃん / feat.KAFU』2022/05/07

このケミカルとも形容できそうな水色と蛍光ピンクのカラーリングも様々な連想を誘う。血をピンク色にする点は『ダンガンロンパ』シリーズ(2010年第1作)が思い起こされ、また水色との組み合わせは湊あくあや夢見りあむのデザインをも思い出させる。また個人的にはあるエナジードリンクの缶を。フレーバー名はユートピアだった。また少女が手に持つのはハンマーだが、この造形はトゲ付き金属バットを持った、おかゆまさき『撲殺天使ドクロちゃん』(2003年第1巻)のキャラを踏まえたものなのかもしれない。さて、サムネイル画像でも明らかなように、ここでの快活さや軽快さは血腥く陰惨な病みイメージの裏面、〈にもかかわらず〉の皮肉な陽気さである。一方で『ドキドキ文芸部!』(2017年)や『NEEDY GIRL OVERDOSE』(2022年)などのゲームのキャラが近年印象づけたであろう、ヤンデレ・メンヘラ形象が想起されるだろう。他方で10年ほど前のボカロ曲、例えば、うたたP『こちら、幸福安心委員会です。』(2012年)、MARETSU『コインロッカーベイビー』(2013年)のデスゲーム感やサイコホラー感も連想されよう。そういえば貴志祐介『悪の教典』の映画版も2012年だった。笑顔〈にもかかわらず〉の裏での心の闇そして病み。つまりジョーカーによく託される、ヤバい笑みである。

Jagwar Twin『Happy Face』2020/12/22

この曲では「さあ、いい顔をしなさい Hey, Put on a happy face」と、笑顔が執拗に促される。それだけでなく「 'Cause we′re tick-tock, tick-tock Ticking like a timebomb だって僕らチクタク、チクタクと爆弾めいてる」と繰り返されるし、「Hollywood on your timeline Telling you what to weaer And what to like and how to be タイムライン上のハリウッド産業がきみに何をまとい何にいいねして何していればいいか教えてくれる」という一節もある。いうなればセルフ感情労働への疲弊、スマイル0円を自己発注しすぎたSNS疲れの気分が歌われているかのようだ。ぐったりした曲調と古めかしいブラウン管TV風の映像は、言ってみればヴェイパーウェイヴ感、チープなものの擦り切れた反復が皮肉な深みをも帯びているかのように思えてくる、あの麻痺的な雰囲気を帯びている。とはいえ、例えばMacintosh Plus(Vektroid)の曲『Floral Shoppe』(2011年)よりはLil Debbie『WORK THE MIDDLE』(2014年)などに近いと評するべきかもしれないが。あるいは、GHOSTEMANEのMVと表裏一体の作品と解するべきだろうか(例えば『AI』(2020年)を念頭に)?

The Living Tombstone『My Ordinary Life』2017/11/24

ということを考えていてこれも挙げたくなった。ポストモダンギャグ漫画を標榜する『日常』のアニメ版(2011年)の音源をサンプリングしている一曲で、始めから間違えていた夢の大冒険とでも呼べる内容が陽気な曲調と陰鬱な歌詞で展開され、最後には夢から醒めて閉塞感が残る皮肉さ具合である。

和田たけあき(くらげP)『チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!』2016/02/23

ベタを誇張しての皮肉を、という気分が2010年代のボカロにも散見される。例えば、密告での脱落が横行する教室で勝ち残る意思を表明するお祭り騒ぎ調のこの曲は、ت『恋愛兵器!りーさるうぇぽんちゃん 』に見られたような皮肉な笑顔とデスゲーム感を備えている。同じアーティストの『チェチェ・チェック・ワンツー!』(2016年)が、この曲と同じボイスロイドの歌うある種のヤンデレソング(先生に執着する生徒)だったこともあり、教室の先生すら殺ってしまおうとするこの曲にも、ヤンデレ感が波及して感じられる。ディストピア≒デスゲームを笑顔で言祝ぐ(褒め殺しする?)ヤンデレだ。

森七菜『スマイル』2020/07/21

そんな風に考えていくとこんなベタベタなはずの曲も不穏なイロニーに思えてくる(実際、私はこれを恐ろしい曲としてひとに教えてもらったのだったが)。1996年にアニメ『こち亀』(正式には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)のED曲として登場したホフディラン『スマイル』は、2020年3月、栄養ドリンクのCMソングとして森七菜により歌いなおされる。同年4月には、星野源の公開した「うちで踊ろう」の弾き語り動画のSNS上でのミーム的利用が広まり、安倍晋三による同動画の利用が取り沙汰されるに至る。その直前に発表されたカバーソングだった。それだけではない。同年7月に公開されたこのMVでは、ブルーインパルスの展示飛行と思しきシーンが、次の一節の流れる最中に登場する。「もうすぐだね/あと少しだね/その時の笑顔がすべてをチャラにするさ/もうすぐだね/長かったね/はやくスマイルの彼女を見せたい」。それは明るく穏やかな生活様式を喧伝しており、その暮らしへ誘導している。ここに現在の時代精神を見て取ることもできるかもしれない。いわば、ポスト「ほしいものが、ほしいわ。」(糸井重里、1988年)としての「すぐスマイルするべきだ/子供じゃないならね」。森がアニメ映画『天気の子』のヒロインで、「晴れ女」として労働に勤しむも環境維持のために地上から消滅しかける少女、天野陽菜の声を担当していたのにもひとは気づかされる。こうしてJagwar Twin『Happy Face』(2020年)の不穏がダブりもする。

藍月なくる『FAKE IDOL』2022/10/27

おそらくはSNSの浸透により誰もがそこらじゅうで自分対他人や身内対外野の寸劇を意識するようになった。労働力の流動化の印象(例えば転職を煽るネット広告が溢れている)と合わせて、自身の日常社会での自意識的な振る舞いを託すアレゴリーの側面が今のアイドルなる形象には露骨だと思われる(小説家やミュージシャンの形象が過去にそれを担ったと似たやり方で)。やけに明るいサビと暗く殺伐としたほかの部分へ分裂したこのMVは、まるでパラメータの割り振りが変わったHoneyWorks『推し★ごと』(2021年)という趣がある。『FAKE IDOL』の「私」が自分の稼ぎを推しにつぎ込む様子は容易に想像できるし、『推し★ごと』の「私」がSNSでヘラるのを想像するのも容易だろう(ちゅーたん=中村千鶴というキャラの実状とは別個に)。

和田たけあき『プレシャスシンドローム 』2023/04/03

アイドル活動を日常生活のアレゴリーとした楽曲で、さらに露骨なものが、これである。『チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!』(2016年)など、かつてくらげPとしてボカロ系MVで展開していたブラック・ユーモアが、和田たけあきとなったあとの曲でも余すところなく表現されている。なおMVを担当したのは『URUSaaA愛』(2017年)などで印象深いYMである。シニカルなキャラ画像を使い倒すシニカルなテイストに、どこかゼロ年代の久米田康治的な(『さよなら絶望先生』などの)殺伐の気風を思い起こされる。

米津玄師『KICKBACK』2022/10/25

アイドルソングのアイロニカルな本歌取りとして、この曲も容易に想起されうる。モーニング娘。『そうだ! We're ALIVE』(2002年)の一節「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」という言葉が、元のアイドルソングと同じフワフワ感のままで殺伐とした世界に持ち込まれている。次のインタビューが示唆的だ。

――サビでは<ハッピーで埋め尽くして>や<ラッキーで埋め尽くして>といった歌詞もあります。“幸せ”という言葉がひとつのキーワードになっているんでしょうか?
米津:デンジってめちゃくちゃ恵まれない環境で生まれてきて、ああいうとんでもなく不幸な状況では、人間って具体性を失っていくと思うんですよ。「とにかく幸せになりたい」っていう。「じゃあ幸せになるためにはどうしたらいいか」というところにまで考えが及ばない。だから“ハッピー”とか“ラッキー”みたいな、ある種の平坦な言葉、わかりやすい言葉で構築していく必要があるなと思いましたね。

<インタビュー>米津玄師が語る「KICK BACK」制作時の“直感”——『チェンソーマン』と結びついた「ドラムンベース」「モーニング娘。」「常田大希」」(Interview:柴那典)『Billboard JAPAN』2022/11/08掲載。

紋切型の笑顔のようにフラットな表現。そこに形になっていない様々な殺伐が封印されているかのようだ。(実は存在しない相手に対抗して)ケミカルなピンク色のプロテインのようなものを飲み、両腕にムキムキの筋肉が付いたかのようなコスチュームを装着する『KICKBACK』の展開も、ただたんに馬鹿馬鹿しくコミカルなだけではなく、さらにホラーに通ずる凄みを帯びているように思われる。最後、米津が声をかけようとする常田の姿が監視カメラ越しには消失してしまう瞬間、実はそれがウィリアム・ウィルソン的なドッペルゲンガーのたぐいだったのかと思わされてかなりゾッとする。ホラーの手ごたえを持つ関連曲としてAzari 『Who?』や柊キライ『アワーグラス』も挙げておく。どちらも2022年の作品で、固まったような笑顔に不気味な雰囲気が貼りついてあるボカロ系のものである。それは異様なハイテンションで車に轢かれて飛ぶ『KICKBACK』の米津の姿同様の作り物感を持つ。こうして人形めいた笑顔の〈裏〉を読ませるようなホラー風の演出が、アイドル的な感情労働と自意識にさいなまれる日常生活を描く演出の傍に存在してきたのであり、そのようなわけで、直接には暗黒面が溢れ出てはいない『可愛くてごめん』の中にもアイロニーやブラック・ユーモアが読み取られがちだったのではないか、というのが、ひとまずの自分の見方である。言ってみれば、誰もが〈裏〉の深読みをするのがデフォルトになっているのではないか。

ノリアキ『unstoppable』2009/08/01

そのような〈裏〉の深読みによって凄みを持つ(かの)ようになったのが、このMVではないかと思われる。ノリアキについては長久手「There will be da Music.」(2020年12月15日)の次の評言が要を得ている。こう評される。

[……]ノリアキは偶然にも天才だった。つまりリアルを名乗り、しかし存在としてはフェイクであるノリアキが作った音楽が、さらにフェイクを飛び越えた本当にリアルなものだったということだ。
 結果として、ノリアキは作られたカリスマでありながら、期せずして本当のカリスマになってしまった。ノリアキは、かっこよくないことによって誰よりもかっこよく、リアルでないことによって誰よりもリアルなのだ。この複合的な二重性が絶えず受け手を幻惑しながら捉えて放さない。

長久手「There will be da Music.」『note』長久手アカウント、2020年12月15日掲載。

合わせて、ノリアキのフェイク性について確かめるために「晋平太に聞いた「ノリアキ」とは」(YouTubeチャンネル『Yo!晋平太だぜ Raps』2021/07/14)などを視聴した上で、長久手「ノリアキ、夜の共犯者」(『note』長久手アカウント、2020年12月31日掲載)を読んだりすると、ノリアキのどこにリアル感が見出されているのか、つかめてくるように思える。が、ここでノリアキを取り上げたのは「複合的な二重性」つまり深読みされる〈裏〉に関して、洞察を与えられるからである。長久手も指摘するようにノリアキは「演出陣(古屋雄作氏+水野敬也氏)によって作られたキャラクター」であり、歌詞もファッションもいわば「やらせ」的にノリアキへ押し付けられたものだといえる。その上で、このノリアキというキャラが演じ切られるところに凄みというかリアル感があるわけだが、これは「単に歌唱やダンスを披露するばかりではなくて、リアリティショー的な趣向で物語られていく感情労働にメンバーたちが真剣に身を投じていくそのひたむきな姿を売り物にしていた」(植村朔也「その手のもとに「劇場」はある」第4章注[****])という点でAKB48的なアイドルの活動とも通ずる、感情労働の凄みだったのではないか。体を張るお笑い芸人の姿が、何か崇高なものの顕現に映るかのような倒錯、その原理がこれではないかとも思える。テンプレ的なギャグの〈裏〉に、それを愚直にやり抜く(やり抜くように強いられている)心身の蠢き、屈託などが推察されて、観客にはそれが芸の凄みと感じられるのである。

ツユ『アンダーキッズ』2022/07/27

HoneyWorks『可愛くてごめん』には「生まれてきちゃってごめん」という一節がある。〈あざとかわいい〉調子で歌い上げられるこのフレーズをどれほど真に受けるのかはともかく、そこには広い意味での反出生主義、というより厭世感のような情念が持ち出されていると解せる。ツユのこのMVはそうした反出生的パッションをいわゆるトー横的な現代ストリートキッズ形象と組み合わせており、メンヘラ的連帯のイメージを、明確な形にしている。歌詞は直截的だ。「そもそも頼んでもないのに産むのやめて?/最初から居なければ楽だったのに/それなのにお前らのせいだ/居場所の一つもろくに無いわたし達の/反撃の日々だ」。むろん、そうして地雷系ファッションで「街」で群れ続けようとしても実際どうにもならないという閉塞感までがここでは歌い上げられており、刹那的な快の背後に、金銭的な負担や愛情への飢えが重たくそびえている様子が描かれている。『可愛くてごめん 』と『アンダーキッズ』の大きな違いは自己肯定感であるが、「私が私の事を愛して何が悪いの?嫉妬でしょうか? 」(『可愛くてごめん 』)と「愛の正解も知らないけど今が楽しければそれで良いよね?」(『アンダーキッズ』)の距離は、おそらく、見た目ほど遠くはない。またやはりここでも、感情労働にすり減る姿の凄みが提示されているという点では、これまで挙げたMVと変わりない。

ツユ『アンダーヒロイン』2023/05/01

笑顔に〈裏〉がある(はずだ)という感覚が広まれば、当然ながら個々人が仲良くすることは難しくなる。〈裏〉を読もうとしてエネルギーが割かれもする。〈裏〉をあけっぴろげにしたところで〈裏〉の〈裏〉そのまた〈裏〉が探られ続けるだろう。共創という語が広まるくらいには皆の念頭に競争の語がこびりついている。連帯の困難である。和田たけあき『プレシャスシンドローム』がそんな孤立ありきの世界の見方をわかりやすく形にしていた。このMVは『アンダーキッズ』と対応している。地雷系的トー横ストリートキッズ的な『アンダーキッズ』のキャラクターに、量産型ファッションで別のコミュニティで泳ぎ回っていた『アンダーヒロイン』のキャラクターが手を差し伸べる。ベタかもしれないが、連帯はそのように始まるのだろう。

勇魚『メンヘラじゃないもん!feat.初音ミク&音街ウナ』2020/12/19

今このMVを見返すと、ツユの『アンダーキッズ』と『アンダーヒロイン』で描かれていた地雷系と量産型を横断する連帯のイメージが、コミカルな形で先取りされていたかのような印象になる。感情労働で擦り切れていく自意識や推しへの依存や金銭の不安、「素直になれないこのご時世」でアイドルに託されるような様々な心情が軽快な曲調に乗せて述べられていく。しかし「誰にも愛されてない/自分が好きじゃないけれども」の前半と後半をミクとウナが歌い分け、続けて「私メンヘラじゃないもん」を二者が合唱するサビが象徴するように、ここでは、心情の吐露を素直に分かちあう集まりが意識されている。考えてみればそもそも、ここまでのMVはどれも孤独な〈裏〉を明るみに出して歌うことで、それを視聴者たちが分かちあうという契機をもたらしていたのだった。『可愛くてごめん』もまた、そうした感覚や気分を表で分かちあうためのハブとして機能していたことだろう。

YOASOBI『アイドル』 2023/04/13

この記事で様々な曲を挙げながら書いてきた話をまとめなおせば、笑いや笑顔に〈裏〉を見出すのが人々の気分のデフォルトとなっており、その気分は一方で感情労働の広がりや労働の流動化に、他方ではSNSでの公開を念頭にした日常生活が培う自意識に対応しており、それらはアイドルやメンヘラという形象に託されているのではないか、ということだった。例えば藍月なくる『FAKE IDOL』のようにアイドル生活の〈裏〉を人々の日常的な気分に重ねつつ歌いあげるMVもあれば、Ado『アタシは問題作』のように日常的な生活の苦労を歌うかのようでネットで喧々諤々される立ち位置からのアンサーをするようなMVもあった。HoneyWorks『可愛くてごめん』もまた、そうしたMV群が立ち並ぶ中で受容されたはずだ。何層もの装いがある自意識の歌い上げは、アイドル的なもの、メンヘラ的なものに現代の自分たちの象徴を見る姿勢と合致して、様々な受容の仕方を引き出したはずだ。「生まれてきちゃってごめん」を最大限に引き寄せて広義の反出生主義ないし厭世感に寄せることも、「人生楽しんでごめん」を最大限に引き寄せて天然ボケ的な無敵感に寄せることも、「努力しちゃっててごめん」を最大限に引き寄せてザコを蹴散らす無双感に寄せることも、可能であるMVだろう。YOASOBIのMV『アイドル』はもちろん、2023年4月から放映のアニメ『【推しの子】』のOP曲である(原作漫画は2020年から)。映像はもちろん『【推しの子】』のストーリーを踏まえたものになっている。しかしここまで見てきたような様々なアイドル的・メンヘラ的なものに託された自意識、気分、感覚を踏まえて受容することも可能であり、そのように受容しても凄みが感じられる、そういうMVであると解してみたい。笑顔、〈裏〉、労働、バックヤード、連帯そして愛。

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