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伏線回収と、理想と現実とプライドの折り合い |はたらく、ということ

Panasonic×noteの投稿コンテスト「#はたらくってなんだろう」。色んな職場で働いてきた経験を通して、いま自分の中にある“はたらく”ことについての思いを、ここに書き記しておきたい。

まず、私にとって“はたらく”とは、自分自身と向き合うこととイコールである。

社会人13年目にして転職した回数は繋ぎのバイトを含めると両手に収まりきれない。
その事実をつい最近まで大きな恥だと感じていた。

「同じような経験値・実力の2人が応募してきたら、転職回数が少ない方が選ばれる。」
転職活動をする中でマニュアル本やWeb上の記事を読むたびに、目にする文言だ。
なるべく転職をしないように!と言いながら、より良い職場への転職方法を語る彼らの言葉に私の心は乱され、大きな劣等感を抱えることとなった。

『人生詰んだ。』
こんな風に、自分の悲劇的な状況を手軽に分かりやすく強調できる言葉は多用される。その言葉の攻撃性や影響力は、発した本人には分かり得ないほど強いというのに。

仕事を辞めた。職場で揉め事があって精神的に参ってしまった。転職活動をしても次の仕事がなかなか決まらない。転職する度に環境が悪くなっていく。こういう時に、「人生詰んだ」と感じると思う。私は実際にそう感じていた。

だけど、人生はそんなに簡単には終わらない。そしてどんなクソみたいな経験でも、のちに予想もしなかったような角度で役に立つことがある。

「伏線回収」という言葉がある。大好きな言葉だ、気持ちがいい。伏線回収とは、ミステリーの分野でよく使われるが、伏線で事前にほのめかした部分が後の展開として実ることを言うらしい。

私が働いていて唯一自分の転職回数を誇らしく思うのは、これまでの経験が絡み合って今の仕事に役立った!と感じる瞬間だ。それはまるで人生というドラマを通した壮大な伏線回収のように感じる。

今の仕事はWebデザイナーだ。冒頭にも書いたけれど、これまで多くの職場で働いた。印刷会社のDTPデザインや接客業、事務職、軽作業など業種や業務内容は様々である。場当たり的に就いた仕事もあるため、それらの繋がりはあまりない。だけど不思議なもので、ゆらゆらクラゲのように生きる中で得たこの散漫な経験たちが何だかんだと役に立つのだ。

例えば、デザイン制作時には、グラフィックソフトを扱ってきた経験や実務で身につけたレイアウト・カラーリングの感覚的な発想力を生かす。顧客訪問時には、接客業で色んな人に対応してきた経験を生かす。コンテンツの見せ方を考える時は、事務職で資料作りをしていた経験を生かす。コストや利益率の計算時には、苦手な存在だった商社の社長が口うるさく言っていた考え方が役に立ち、言葉巧みな営業さんへの免疫もついた。

「伏線回収」と言っても、そのほとんどは小さな出来事だ。あのバイトやってて良かった…とか、あっこれ前の職場で聞いたことある、とか。きっと他人にとっては取るに足らないような小さなことでも、気持ちを上げるには十分だ。あっ今回収したよなーってウキウキする。そういうのが意外と大事なのだ。

そして、“はたらく”上で一番大事なことについて。私にとって、それは『理想と現実とプライドの折り合い』だと思う。

世代のくせに今更なから観たドラマ「池袋ウエストゲートパーク」。そのドラマの中で窪塚洋介演じるキングのセリフで共感しまくったものがある。

『悪いことすんなって言ってんじゃないの。 ダサいことすんなって言ってんの。』

ダサいかどうか、その感覚ってめっちゃ大事だと思う。
理想を追い求めるのは大事だ。だけど一人で突っ走って一緒に働く人の気持ちを考えなかったり、自分のエゴだけで作り上げたものはひとりよがりで何の価値もないし、ダサい。
だからなるべく周りの人に嫌な思いはさせたくないし、誰かの意見を聞く耳を持ちたい。

現実ってものは、否応なしに襲ってくる。自分には思い描いていたような「すごい」ことなど出来ないと気づく瞬間。そして時間は平等に過ぎ去る。どんな仕事にも納期があった。これを守れなかったら、ダサい。
自分ひとりではすごいことが出来ないので、教えてもらうし理解したいから質問する。納期は守る。間に合わせるために、助けを求める。

プライドはどうだろう?自分の仕事に誇りをもてるかどうかで働くモチベーションはかなり違ってくる。だが、つまらないプライドは捨てないと得るものも得られない。
現実に直面して、自分がすごくないと思い知ったり自分が間違っていたと気付いた時に、それを否定したり隠したりするのは、ダサい。
出来るだけ素直に謝りたいし、なるべく誰かのせいにはしたくない。もちろんイライラしたり人になすりつけたくなってはボヤくけれど。

理想も現実もプライドも、でっぱり過ぎたらダサくなる。そして、自分自身が納得できる形で「折り合いをつける」ことが大切なのだ。

かっこいい女になりたい!とつねづね言っては、ほど遠いと笑われ笑う人生だけど、心の中にはハードボイルドな自分がいる。

いつも正しく誠実に生きられるわけじゃない。人間だから、ずる賢いことや恥ずかしいことをする時もある。おおむねダサくないって思えるように生きるくらいで丁度いい。

もしかしたら、“はたらく”って自分を好きになれるいい機会なのかもしれない。

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