わがままでない
たとえば。
起き抜けに化粧を落とし忘れたことに気が付くということ。朝も早よから受け取りあぐねていた荷物を受け取り、先日ぶっ壊したドアの修理代の振り込みに行かねばならぬことを思いだす。すべてが溢れている。昨日はむしゃくしゃするだけして、涙を無理やり擦りながらタクシー乗り場まで歩いた。涙がでるような生活はいけない。目に付いたガチャガチャを回すことで事なきを得た。えてない。
白い腕の外側にまた刃を入れて、「まにあった」と思ってまた涙が出て、イライラしたまますこしねむった。生活に気持ちがついていかない。腕を切るのはなんでかな。わからないけど、そういうのって、はちきれそうに膨らんだ気持ちに刃を入れて、気持ちのキャパに余裕を作ろうって膿を出そうとしているだけなのかなって思う。
こころは丸い球体で、増えたり減ったりする液体が入っている。かなしかったり、どうしようもないときは球体の膜が薄くなるくらいキリキリと増えすぎたときだ。だから切って、すこし出す。いつまでこういうふうに進んでいけるだろう。
通販で買った服は、やけに肩を出すようなデザインが多くてあくびが出た。やっぱりもうだめなのかも? お湯に浸かりたくて、いまは湯が張られるのをただ座って待っている。歯を磨きたい。あたまがいたい。傷がいたい。もうすぐ本が出ます。
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