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子ども心を忘れない大人は素敵だと思う

ふと思い出すことがある。

かつては「最高の状況」のみを想定して、ワクワクしていた、と。


いつからだろう。

「悪い状況」の想定をしておくようになったのは。

これはちょっと悲しいこと。

本当に小さい頃は、最高の想定だけして、ワクワクしていた。

でも、徐々に、年齢が上がるにつれて、
最高の状況の想定を否定する感情が湧き出るようになった。

「いや待て、もしかしたらこんなことになるかもしれない。期待しすぎるのはよそう。」と。

物事への期待が裏切られる経験を重ねるうちに、
そうなっていった気がする。

悪い状況を想定しておいた方が、
期待に裏切られずに済む。

悪い状況を想定しておいた方が、
結果的に嬉しいと感じるハードルが低くなる。

明日クラスのみんなと遠足に行くとする。

「原っぱで鬼ごっこして、クラスみんなで仲良くなれるかも!」
「お弁当の時には今まであんまり話さなかった〇〇ちゃんたちと仲良くなれるかも!」
と最高の状況だけを想定して、ワクワクする。

「もし友達の〇〇が休んだら、お弁当の時にひとりぼっちかもしれない」
「特にいつもと変わり映えすることなく、友達の輪も広がらず、つまらないかもしれない」
とあえて悪い状況を想定して、期待値を下げておく。


カフェスタッフの場合。

「明日もお客様をいっぱいおもてなしして、皆んながニコニコ笑える空間を作って」
と最高の状況を想定して、ワクワクする。

「あんな風にミスをして、お客様をがっかりさせてしまったらどうしよう」
と悪い状況を想定して、慎重に構えておく。


最高の状況を想定する心は
子どもの無邪気な心

悪い状況を想定する心は
リスクを想定した大人の心

に近いのではないかと思う。

年齢が上がるほど、後者の心が占める部分が増大してきた気がする。
なんとなく、つまらない人間になってきている気がする。

子ども心だけを持って生きられたら幸せそうでもあるが、リスクを想定する心がないのは、それはそれで怖い。

後者は、リスクヘッジや事前準備には欠かせない心だ。

両者のバランスが大事そうである。



後者の心を持っていながら、それが前面に出ず、
常に最高の状況を描く心を失わない人は、強い。
大人になっても無邪気に全力で楽しめる人は、強い。
そんな人が、私には生き生きして見える。

彼らはよく、「若いね」と言われる大人な気がする。
「幼い」ではなく「若い」である。

私もそんな人になりたい。


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