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2020年9月映画感想文 海の上のピアニスト/未来世紀ブラジル/グリーンマイル/ピーターラビット/他5本

9月はカロリーの高い映画を何本も観ていたので感想をまとめるのに2ヶ月かかりました。サボっていただけとも言いますが。
10月11月合わせても10本も観れなかったのは多分その反動。重い映画を数日でいっぺんに観るもんじゃない(教訓)。

今更ですが私の映画感想は基本的に結末までネタバレし放題なので、気にする方は気をつけてください。


それでも恋するバルセロナ

原題 :Vicky Cristina Barcelona
製作年:2008年
製作国:アメリカ・スペイン合作
(映画.comより)
鑑賞日:9月5日
鑑賞方法:レンタルDVD

ウディ・アレン4作目。ここまで観てきてようやく分かったのが、ウディ・アレンは男女のすれ違いや破局を描くのがめちゃくちゃ上手い、というか私好みだということ。
ストレートな感情のぶつけ合いや、お互いの汚い部分を露わにする泥沼の争いではなく、ちょっとしたすれ違いや、この人とはもう無理だな……が少しずつ積み重なって、さくっと恋が終焉していくから、後味の悪さを残さない。この映画も例外ではなく、男1人女3人の四角関係にまで発展しちゃうのに、なんだか奇妙なくらいにこざっぱりしてる。いや作中ではそれなりに怒鳴り合ったり拳銃持ち出したりして修羅場ってるんだけども、さっぱりした終わり方がとてもいい。

この映画の白眉は間違いなくペネロペ・クルス。天才肌のアーティスト気質で情緒不安定なのに、恋敵のはずのクリスティーナと親しくなっていくにつれて、だんだん落ち着きと優しさを見せるようになり、あまつさえ戯れのように彼女とキスして寝てしまう、独特のパーソナリティを持つ女性マリア・エレーナからあんなに目が離せなかったのは、ひとえにペネロペが演ってたからだろう。不安定と表裏一体の情熱を併せ持つ女があまりにも似合う。前々からタイトルだけ知っていたボルベール〈帰郷〉が観たいリストに加わった。
自分のやりたいように生き、自分のやりたいことを探し続ける自由奔放なクリスティーナ役のスカーレット・ヨハンソンも、それに匹敵するくらい魅力的で可愛かった。今まで興味なかったマッチポイントを観たくなるくらいにはハートをガッチリと掴まれた。
クレジットで一番上に来てたヴィッキーは、二人と比べると正直ちょっと印象薄かったけど、演じるレベッカ・ホールのクール系マニッシュファッションはすごく素敵だった。

問題は、この三人の女に惚れられるアントニオの魅力が全っ然わからなかったこと。三人ともあんな顔だけ男の何がいいのか最後までさっぱりだった。
でも旅先でのワンナイトラブならぬワントリップラブのお相手に、映画スターみたいな華やかでわかりやすい魅力はそんなに必要ないのかもしれない。だって異国の地、バルセロナでは、きっと目に映る何もかもが新鮮で刺激的で、素晴らしく見えるのだろうから。


アメリカン・ビューティー

原題 :American Beauty
製作年:1999年
製作国:アメリカ
(映画.comより)
鑑賞日:9月6日
鑑賞方法:レンタルDVD

この手のドロドロ系はあまり好んで観ないからどんなもんかと思っていたけど、一つの町と最低限の登場人物だけで構成された狭い世界が、いやらしいくらい丁寧に作り込まれてて、最後まで観入ってしまった。心底嫌な気分になるのにすごく面白い、っていう変な映画。湊かなえの書くイヤミスと同系統な気がする。

タイトルの『アメリカン・ビューティー』は薔薇の品種名らしく、現に本作でも薔薇は比喩として象徴的に使われている。が、それらが作中で意味するのは、主人公の妻キャロリンの『見栄』や、主人公レスターが娘の同級生アンジェラに抱く『欲情』。それらを『アメリカの美』と呼ぶ強烈な皮肉の効かせ方には思わず苦笑してしまう。いいセンスしてるよ。
娘の友達の未成年少女に本気で欲情、商売敵と不倫、隣人の娘を盗撮……といったインモラルな行為で、登場人物が他者から批判されたり、社会的制裁を受けることはない。不道徳に対する批難はあくまで家庭内でのみ為されるし、その批難と罵倒の応酬によって加速度的に溜まっていく家族への不満や怒りが、家庭崩壊とラストの悲劇に繋がっていく。要するにクズと社会不適合者の周りに止める人が誰もいない。
その点が、人によってはすごく嫌だろうなと思う。私も誰にも共感できないうえに、全員が自分のやってることに微塵の後ろめたさを感じず、恐ろしく堂々としてるから、観ていて不快感がすごかった。と同時に、何かの媒体で目にした『家庭(家族)は最小単位の社会』という言葉を思い出した。
作中の二つの家庭の交わりが、そのまま一つの小さな社会を形成している。あらゆるインモラルごと外界から隔絶された、鬱屈した箱庭のような世界。殺人沙汰にまで発展した後味の悪すぎるラストは、その箱庭がついに壊れて、押し込められていた不道徳が外界に露呈していく予兆に思えた。残された彼らはきっと世間からの非難を浴びるんだろうなという、バッドエンドならぬバッドスタート。
この"箱庭感"は、そもそも映画が主人公の独白で始まり、独白で終わることでも強く感じられる。最後に自分が死ぬとはっきり明言してしまう、物語の外縁を囲うような客観的なナレーションはすごく印象に残る。

ところで何故この映画を観ようと思ったのかと言うと、ヒプマイの推し(伊奘冉一二三)の格言『今日という日は残りの人生の最初の日」が本作で使われているとTSUTAYAのサイトで知ったから。その格言の使われ方にもまた笑ってしまった。
本当に何から何までいいセンスをしている。精神が健康な時にもう一度観てみたい。


海の上のピアニスト イタリア完全版

原題 :The Legend of 1900
製作年:1998年
製作国:イタリア・アメリカ合作
(映画.comより)
鑑賞日:9月12日
鑑賞方法:映画館

嵐の夜、荒れる海を征く豪華客船。船は大きく揺れ、船内の家具や調度品は廊下を滑って壁にぶつかり、まっすぐ歩くこともままならない。
そんな中、主人公1900(ナインティーン・ハンドレッド)は、何度も壁に衝突しかけるグランドピアノを自由自在に操る。彼はピアノと共にホール中を縦横無尽に駆け巡って、一夜だけの即興演奏を披露する。

そのシーンだけで、わざわざ恵比寿まで行って映画館で観た価値は十二分にあった。いや十二分どころじゃなかった。「船の中で滑走するピアノを演奏する主人公」なんて、現実でも創作でも、この先二度と見ることはないと思う。発想がすごすぎる。
1900の奇想天外な生涯もそう。赤ん坊の時に船の中で拾われ、船の中で育ち、一度も船を降りることのなかった天才ピアニストという生い立ちは、手塚治虫の『奇子』や『オペラ座の怪人』を彷彿とさせるぶっ飛んだ設定なのに、その数奇な物語にどっしりとした骨があるから、これって実は史実に基いてるんじゃないか、と勘違いしそうになる。そして1900が心から楽しそうに生き生きと奏でるピアノが本当に素晴らしい。作中で、彼の自由な演奏が何度も人々を沸かせ、惹きつけていたように、見ているこちらも心が躍る。

この物語の主要な舞台となる、大西洋を横断する豪華客船には、地平線の彼方に自由の女神像を真っ先に見つける乗客が必ず1人いる。その人が「アメリカだ!」と歓喜の叫びを上げると、人種、性別、身分を越えて、他の乗客たちも一斉に狂乱して沸きあがる。
乗客にとって「船を降りる」ことは、長い船旅をほんの少し名残惜しく思いつつ、見知らぬ土地への希望や期待、ようやく帰ってきた我が家への愛おしさに胸を膨らませ、その最初の一歩を踏み出すことなんだろう。私に船旅の経験はないけど、その気持ちはすごくよくわかる。

でも、生まれてからずっと船の中で、ピアノと共に生きてきた1900はそうじゃなかった。人種も年齢も身分も異なるものすごい数の乗客を見てきた彼は、一目見ただけで相手の人物像を感じ取り、その人自身をピアノで表現してしまう。彼は船の外をまったく知らなくても、ピアノを通して誰よりも広い世界を識っていたし、誰よりも自由な心と、のびのびと音楽を愛する気持ちを持っていて、それだけで彼の世界は完結していた。
そんな彼にとって外の世界はあまりにも広すぎた。あまりにも多くの情報、多くの音、多くの可能性に溢れる世界は、彼の自由を奪い、自分を見失わせ、押し潰してしまう場所だった。恋をしたのがきっかけで陸に下りる決意をした1900が、目の前に広がる外の世界を見渡してから、陸に背を向けて船に戻っていくシーンは、言葉にならないやるせなさと切なさで胸が締め付けられた。
船の中でのマックスとの最後のやり取りも言うまでもない。最後まで船を離れなかった彼だけど、「何かいい物語があって、それを語る相手がいるのなら、人生は捨てたものじゃない」。この言葉が、1900の生き様を見て私が感じた切なさとやるせなさに対する、最大のアンサーだろう。

映画館での鑑賞時は、1900の人生や彼の想いが壮絶すぎて、絶句してしまって、泣くどころではなかったけど、家で落ち着いて観たら自分でも引くほどボロ泣きすると思う。本当に素晴らしい映画だった。ものすごく久しぶりにサントラと円盤が死ぬほど欲しくなった。ソシャゲ課金ばっかりしてないでマジで買おうか。


マッドマックス 怒りのデス・ロード

原題 :Mad Max: Fury Road
製作年:2015年
製作国:アメリカ
(映画.comより)
鑑賞日:9月13日
鑑賞方法:ネット配信

この映画についてはもっともらしいことをごちゃごちゃ、つらつら、長々と語るのは野暮だと思うので、簡潔にスパッといきます。


私もウォータンク乗りたい!!!!!
あんな強いババアになりたい!!!!!
びょいんびょいんするやつで飛び移りたい!!!!!
太鼓叩きたい!!!ギターかき鳴らしたい!!!!!
安直に恋愛関係にならない男女コンビマジ最高!!!!!


以上です。シリーズ1〜3も観ます。


実写版ジャングル・ブック

原題 :The Jungle Book
製作年:2016年
製作国:アメリカ
(映画.comより)
鑑賞日:9月13日
鑑賞方法:ネット配信

アニメよりも普通に出来がいい。というかこっちの方が私は断然好き。
ジャングルにいたがるモーグリをバギーラが人間社会に帰したがる理由、シアカーンがモーグリを狙う理由が、オリジナルでしっかり描かれてるのが一番よかった。そのおかげでモーグリ、バルー、バギーラにそれぞれ感情移入しやすくなってるし、シアカーンの行動理由もわかりやすくて、全体的にアニメよりもすっきりと見やすくなっている印象。筋の通った理由付けは大事だと教えてくれる。

シアカーン様はアニメよりも強さと横暴さと恐ろしさが強調されてた。大人のオオカミの首根っこに噛み付いて崖下にぶん投げられる顎の力を持つトラってもはやトラじゃねーよ。新生のクリーチャーか何かだよ。自然界に存在していい生き物じゃないと思う。
キングルーイがキングコングと化してたのはびっくりした。最初こそめちゃくちゃ笑ったけど、自分の誘いを断ったモーグリにキレて暴れ出すのはすっごい怖かった。あの巨体で『君のようになりたい』を歌われても怖いだけだわ!!キングコングかよ!!!調べたら、ジャングルに本来オランウータンはいないという理由でキングコングと同じ品種のサルに変更されたらしい。ウケる。

アニメ版からの一番の改変点であるラスト、モーグリがジャングルで生きることを選ぶのも良かったと思う。アニメ版は、モーグリがジャングルと人間社会で揺れる描写がほぼ無く、それどころか人間キャラすらほとんど出て来なかったのに、ぽっと出の女の子に惹かれてあっさりジャングルを去るのが、あまりにもあんまりだった……。よく言えば無常感があるけど、悪く言えば唐突で描写不足だったから。
人間の知恵を駆使してジャングルの脅威シアカーンを倒したから、人間の姿をしたオオカミとしてではなく、道具(知恵)を使う人間としてジャングルで生きることを許され、モーグリはそれを選んだ、という終わり方はとてもきれいだった。私の中ではディズニー実写映画の中でも上位にくる作品。
そしてほぼ全編CGの中、たった1人で演技を頑張ったモーグリ役のニール・セディ君は本当にすごいと思う。


未来世紀ブラジル

原題 :Brazil
製作年:1985年
製作国:イギリス
(映画.comより)
鑑賞日:9月20日
鑑賞方法:レンタルDVD

夢と現実が入り混じる狂気のディストピア。観る前から私が好きなやつだなと思ってたし実際そうだった。
きらびやかで毒々しいネオンライトと、街中に張り巡らされたダクトが印象的な、どこかの未来の監視社会。不気味で悪趣味だけどユーモラスな世界観は、まさにギリアムワールド。主人公が見る夢の、シュールで大仰な"つくりもの"っぽさ、私がとても大好きなタイプのアートだった。サムライモンスターはセンスあり過ぎると思う。最高。整形ババァも歪んだ近未来感があって好き。

世界観がユーモラスと書いたけど、夢の中に出てくる美女と現実で出会って、徐々にタガが外れて、彼女に執着するあまりヒロイックに奔走・暴走していく主人公サムの姿が、そもそもちょっと滑稽ですらある。正直な感想を述べるならストレートに気持ち悪かった。彼女もよくあんな男を受け入れたな。私だったら気持ち悪くて相手にしない。
とはいえ、管理社会に反逆するきっかけなんて、案外こんなしょうもないことがきっかけになり得るのかもしれない。J・オーウェルの1984もまだ全部読めてないけどきっかけは女だったような気がするし。(いつか読みます)

この映画を語る場では必ず話題に挙げられている(気がする)衝撃のラスト、観るまでまったく知らなかったけど、あんなにうまく逃げられるわけないじゃん夢オチか幻覚か?→まぁそりゃそうだよなぁ……って結構あっさり受け入れられた。主人公にあんまり感情移入も共感もしないで客観的に観ていたからかな。
ただ、あの怒濤の逃走劇のシークエンスはすっっっごく好き。テンポが良くて無駄が一切なくて完成度が高すぎる。もし私が独裁者になったらラスト含めて人民や官僚の洗脳教育に使いたいくらい好き。(そんな日は来ません)。エンディングのブラジルも良すぎるよね。あくまで幸せな夢を見ながら主人公が廃人と化すエンドにぴったり。
そして出番は少ないけど、ロバート・デ・ニーロ演じるタトルがとんでもなく超かっこよかった。ダクト逆噴射で修理屋を汚水塗れにするところは腹抱えて笑った。あの後もタトルは変わらず果敢なテロ活動を続けてるのかと思うと、余計にサムのしょうもなさと哀れさが引き立つ。


グリーンマイル

原題 :The Green Mile
製作年:1999年
製作国:アメリカ
(映画.comより)
鑑賞日:9月21日
鑑賞方法:テレビ録画

刑務所を舞台にしたヒューマンドラマかと思いきや、ガッツリとファンタジーなのに驚いた。次いでスティーブン・キング原作だということに驚いた。私は無知です。
一言で言うなら、ド重いテーマを真っ正面から豪速球でぶん投げてくる映画だった。最高級のお肉と、最高級のソースを使ったステーキを食べて、涙がボロボロ出てくるような作品。超一流のキャストと超一流のスタッフが丹精込めて練り上げて、フルパワーのストレートで殴ってきたから、ストーリーもキャラクター設定も、何もかもがずっしりと重い。

死刑囚を送り出す看守の務めの重さ。
命で償わなければならないほどの大罪を犯した囚人が不必要に残酷な方法で死なせられたことの罪の重さ。
コーフィの人生と、苦悩の重さ。
語り手ポールに課された神罰の重さ。

せめてどれか一つか二つにしてくれれば、きちんと私の中で消化して自分なりの言葉にできたのに、全部をいっぺんに出されたら、一度の鑑賞じゃとても受け止めきれない。この文章を書いている11月末時点でも、グリーンマイルの断片は私の中にいまだに残り続けている。Mr.ジングルス可愛かったな……という逃避すらできないくらい余韻を引きずってる。

まだ三十年も生きてない私のような薄っぺらい人間には、コーフィが死を選んだ理由を言葉で説明されても、たぶん本当の意味では理解できていない。それらを噛み砕いて自分のものにできるほどの人生観、人生経験は持ち合わせてない。
私の中に残されたのは、純朴で心優しい奇跡のようなコーフィがどうして罰せられ、死ななくてはならなかったのかというやり場のない憤りと、ポールがそんな彼の死刑執行をしなくてはならなかったという事実に対する悲しみだけ。(この物語はフィクションだけどあえて事実と書きます)。
観賞後、ジョン・コーフィのイニシャル(J.C)が、かの磔刑に処された救世主(Jesus Christ)と同じだと知った時は、鑑賞中に泣けなかった分まで泣いてしまった。

唯一何もかも軽いのは悪役パーシーだけだよ。鑑賞中は本気でイラついてたけど、作品そのものの余韻と衝撃に今でも苦しんでる今となってはコイツの思考と行動の軽さはもはや清涼剤だよ。所業はことごとく最悪だから二度目以降の観賞でもまたムカつくだろうけど。
作中の悪人らしい悪人がコイツ(とワイルドビル)くらいだから、ありとあらゆるヘイトがここに一点集中してるの、鬼滅の刃の鬼舞辻無惨みたいだ。


TENET

原題 :Tenet
製作年:2020年
製作国:アメリカ
(映画.comより)
鑑賞日:9月22日
鑑賞方法:映画館

インセプションもそうだったけど、設定も構造も筋立てもこんなに複雑な物語を(考えるだけなら誰でもできるけど)徹底的に構築して、一つの物語に仕上げられるノーラン監督の頭の中、マジで一体どうなってんだ。脳細胞が私の3倍か5倍くらいありそう。理解を深めるためにも2回目観たかったけど、結局行けそうにないのが本気で悔しい。

「どうしてそうなったか」の理解は早々にあきらめて、「今何が起こってるのか」展開だけでも把握しようと話の流れを必死に追ってたんだけど、それでもかなり大変だった。全体の構成が一発理解不可能なレベルで本当にややこしいし、たぶん私自身まだちゃんと理解できてない。
でも各チャプターでの主人公たちの目的は、〇〇に接触する、〇〇を強奪する、といった具合に結構シンプルなので、多少取りこぼした事項や理解の追いつかなかった箇所があっても、振り落とされたり完全に置いていかれることは最後までなかった。なんとなく理解った気になっただけとも言うが。
ジェットコースターで例えるなら、どんなコースを走ってるのかさっぱりわからないし、周囲の景色も全然見えないけど、シートベルトがしっかり締まってるからなんとか終着までは連れて行ってもらえた、みたいな鑑賞後感。具体例を挙げるなら東京ディズニーランドのスペースマウンテン。あれに目を開けたまま乗れた試しがない。

と、お話への理解レベルはこんなにお粗末でも、目まぐるしいハイスピードアクションを見てるだけで相当に満足はできた。小難しいお話を小難しい理屈だけで進めず、映像でも魅せるエンタメとして作れるのは、映画制作にどかっとお金かけられるからできることだよな。
杉谷庄吾先生の漫画『映画大好きカーナちゃん』で(SF愛を拗らせた面倒臭いオタクがやりがちな)SF特有の設定面や専門用語の複雑さ難解さを、映画という大衆娯楽に落とし込むことがどれだけ大変かということが描かれていたから、尚更この映画の景気のよさに良くも悪くも嘆息した。撮影の為に飛行機一つぶっ壊すの爽快すぎる。そういうの嫌いじゃない。

そんな調子での観賞だったから、テネった結果私の中で一番印象残ったのはニール君のかわいさと、キャット役のエリザベス・デビッキ様の、自分と同じホモサピエンスとは思えない美しすぎるハイパー頭身でした。

やっぱりもう一度観なきゃダメだね!!!!!


ピーター・ラビット

原題 :Peter Rabbit
製作年:2018年
製作国:アメリカ
(映画.comより)
鑑賞日:9月27日
鑑賞方法:レンタルDVD

「死なないホームアローン」だの「マッドマックス怒りの湖水地方」だのと言われてるのは知っていたけど、どうせウケ狙いのTwitter民が表現盛ってるだけだろと少し思ってた。結論から言うとそんなことはなかった。
本当に、"今回は"、"たまたま"、"奇跡的に"、死人が出なかっただけの、本気と書いてマジとかガチとか読む殺し合いムービーだった。どっちかっていうとアウトレイジとかヤクザ映画と同類じゃないかな(観たことはない)。そもそも監督が参考にした映画がプライベート・ライアンとかもう笑うしかないだろ(観たことはない)。
まず開始10〜15分でピーターたちの宿敵マクレガーじいさんがポックリ逝っちゃう展開の早さにシビれ、調子づいた動物たちが空き家と庭をさんざん蹂躙しまくるのに大爆笑して、甥っ子のマクレガーとの戦いの火蓋が切られてからは、もうずっと笑いっぱなしだった。電撃、爆発、アナフィラキシーショック狙い、と世紀末顔負けの命(タマ)取り合いの連続だからずっと目が離せない。映画館で観たかったなぁ!!

この映画で描かれてるのって、人間と動物のミクロな生存競争だから、お互いに本気の殺意に溢れているのは当たり前だし、しょうがないんだよね。どっちも自分たちの生活がかかってるんだから、それを脅かしてきた存在を全力で排除するのは当然っちゃ当然……なんだけど、ピーターもマクレガーもやり口が超過激で度を越してるから、どっちにもあんまり同情できない。その絶妙なバランスが本作を、何も考えずに観れる純然娯楽映画に仕上げてる。良いと思います。爆発シーンはいい歳してキャッキャって喜んじゃった。

物騒な話ばかりしてるのもどうかと思うので話題を変える。ピーターやベンジャミン、妹たちはみんな(見た目は)モッフモフですっごい可愛いし、全員大変いいキャラしてた。特に末妹カトンテールのクレイジーっぷりがドツボだった。後から本国の吹き替え声優の豪華さを知って眩暈がした。
なんだかんだ和解エンドだったのもスッキリ終わってよかったです。続編も楽しみ!!!





(了)

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