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僕より若い偉大な先輩方

特攻隊。
この言葉を聞くとき、皆さんはどのような思いを抱くでしょうか。
私はこれまで、「自軍の飛行機で敵に突っ込んでいった"悲劇的な隊"」とくらいにしか、イメージしていませんでした。どのような背景があり、どのような人たちが選ばれ、どの地域から特攻に向かっていったのか、そんなことは一切知りませんでした。恥ずかしいです。

23歳も11か月を過ぎ、もうすぐ24歳を迎える時期となった2024年2月9日、私は鹿児島県の知覧という町にある、特攻平和会館を訪問しました。2023年の年末に「20代を無難に生きるな」という自己啓発本を読み、その本の最後に「人生に迷ったら知覧に行け」と書いてありました。その当時、若干人生に迷っていた部分もありましたが、それ以上にその本の内容自体に感銘を受けており、その本を書く人が勧めている場所に訪れない理由はないと、知覧訪問を企画し始めました。

日程の都合で2月9日訪問を決めましたが、なんとびっくり。このタイミングで人生大迷走中です。「迷走」と表すとなんかネガティブに聞こえますが、そういうわけでもありません。でも、確実に人生のターニングポイントにいます。インターネットに出すものなので詳しくは書きませんが、これから自身がする決断、起こす行動で人生の方向性/楽しさ/ぶち上がり度が変わってくることは間違いないです。鹿児島に飛ぶ日は迷いもピークレベルの迷いで、何かきっかけを知覧でつかめないかと期待しているレベルでした。

前置きが長くなってしまいました、こんな背景で僕は知覧に訪問してきました。(そのあと鹿児島市街地に行って1泊しました。)この知覧訪問と鹿児島旅行の経験を忘れたくないので、noteにしています。ここからはメモや日記に近いです。僕の見てきたもの、感じたことを表すので、よかったらご覧ください。

同じ本を3周したのは初めてです。

ホタル館「富屋食堂」を訪れて

最初に訪れたのは、特攻平和記念館ではなくホタル館「富屋食堂」。
戦時中に軍指定の食堂となり、知覧飛行場に近かったために特攻隊員の方も多く訪れた場所。この食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんと特攻隊員の方のかかわりや、特攻隊員の方それぞれのエピソードをたくさん見ることができました。

僕がホタル館を出た直後に残したメモを載せます。

明日死にます
自らの生が明日終わるとはっきりわかっている時、僕は何を思うだろうか。誰に会いに行くだろうか。何を伝えるだろうか。

なぜ生きているのか、なんのために生きるのか、普段はあまり考えない。
だけど、いつかは死ぬ。その終わりを他者や社会に定められ、それを受け入れて前向きな言葉を残し、たっていく。今の僕にできるだろうか。

特攻隊員の多くが亡くなった年齢は、僕より若い。彼らよりも僕はすでに、長い年月を生きている。そして、明日も死ぬ予定はない。

だからこそ、いつか来る自らの「死」に向き合う。自分が死ぬ時、胸を張って言葉を残せる男でありたい。家族に、子供に、周りに感謝し、何かを伝えられる人間でありたい。

これからの世界、何が起こるかわからない。周りから自分の運命を決められる、そんな瞬間があるかもしれない。何も考えずに生きていては、その瞬間に後悔するだろう。

もちろん、そんな未来が僕にも、周りにも、誰にも来ないことを祈る。でも、当たり前の日々をありがたいとも思わず、惰性で生きることはしたくない。もうしない。

「足立俊輔」という生を授かって、もう24年近くなる。すぐに残せるものは多くないかもしれない。でも、自分が人のため、社会のため、世の中のためにできることは必ずある。

このような文章を書きながら、「今日以降も生きる意味」を考えることができる状況に感謝する。そして、「誰かの、世の中のためにできること」を考え、体現する。

死ぬ間際に、後悔ではなく希望を残したい

初めて知った特攻隊の世界。死が明日訪れるとわかっている人たちの覚悟や思いに触れ、鳥肌が止まりませんでした。そのうえで、もちろん厳しい検閲を見越しているのでしょうが、両親や奥さん、子供に対して、まっすぐかつ思いやりのある言葉を残していった隊員の方々に、尊敬という言葉では言い表せない熱い思いを感じました。

隊員の多くは、現在の私(23歳)より年下です。そんな年下の大先輩が、胸の奥のさみしさや悲しさ、怖さを抑えて、周囲を気遣い勇敢に飛び立っていったこと、何か今の自分に足りないものを突き付けられた気がしました。

ホタル館を出る直前、鳥濱トメさんの言葉が目に留まりました。この言葉を常に自分に問いかけ、僕が目の前の大事な人、周りの人、そして今を生きる世界中の人や社会全体に対して何ができるのか、考え続けます。

なぜ生き残ったのか考えなさい。
何かあなたにしなければならないことがあって生かされたのだから。


入口
広角、指入っちゃった

特攻平和祈念館を訪れて

昼食をはさみ訪れた特攻平和祈念館。
抱いた感情はホタル館と共通する部分が多いです。しかし、より深く、各隊員1人1人の思いや背景を知ることができました。

ホタル館と同様に、記念館を出た直後にメモを残しました。

一言、皆さん本当にかっこいい。真の男だ。

死ぬ前に、泣き言一つ言わず、他者を気遣える優しさ。自身が先に逝く虚しさを持ちながらも、残されるものの未来を思い言葉を送る姿。

前夜はどんな思いで寝床についたのだろう。どんな夢を見るのだろう。元気な体で、明日最期を迎える気持ち。想像がつかない。

僕は今、生きている。明日起きても、生きる。
僕よりも若くして散った、僕の人生の大先輩方が残してくれたものを、受け継ぐ1人として胸を張って生きていく。

穴澤さん
自分が置いていく相手の幸せ、今後を願う。
死を前にして過去を振り返らない。心底相手の幸せを願う。でも、自らの果たしたかった思い、やり残した思いを綴る人間味。全てに惹かれた

宿で両親に別れ告げた人
父親が特攻に行くことを察した後も、母に対しては気丈に振る舞い続けた。心配させまいと事実と異なることを伝えた。最後まで他の人のことを思える。素晴らしい人。

内容があいまいな部分があり恐縮ですが、生々しくそのまま載せます。「かっこいい」とか、そんな言葉で片づけてはいけないことはわかります。でも、かっこいいと感じるんです。明日死ぬとわかっていて、その感情と向き合いながら、残される人のことを100%気遣えるだろうか。人の知らないところで泣いていたとしても、表に出れば全力で笑うことができるだろうか。若者たちの色とりどりの感情を受け止め、最大限の誠意をもって送り出すやさしさが僕にはあるだろうか。いろんなことを考えた。

特別に印象に残った隊員はいる。印象に残ったエピソードもある。でも、それだけじゃなく、400以上の命が知覧から散っていった。その1つ1つに、私の想像を超える物語と覚悟、悲しさ、そしてかっこよさが詰まっている。

とりとめのない話をずっと書いているが、そんな僕は明日からも図々しく生き続けるつもりだ。だからこそ、自分が誰かのために、世の中のために何ができるのか、何をしたいのか、何をすべきなのか、問い続けたい。そして体現する。

「明日死ぬと思って生きる」
たまに聞く言葉だが、それは正直難しいと思う。毎日その思いのみで突っ走っていたら、僕レベルのメンタルではパンクしてしまう。だが、「死ぬときに何を残したいか、どんな人間だったといわれたいか」は、常に考え続ける。いつ死ぬかはわからないからこそ、目の前の日々をどう生きるか、僕なりの「あり方」を探求していく。

入口
特攻隊員の方が寝泊まりした三角兵舎
会館の中はほぼ撮影禁止です

鹿児島旅行の思い出

最後に、鹿児島旅行の思い出を少しだけ。

知覧訪問後、鹿児島の市街地である天文館に行き、一人で繁華街に向かいました。目的は一人飲み。1軒目に立ち飲み屋に行き、2軒目に焼酎barに行きました。
この2軒で、私は名前も知らないいろんな方に話していただきました。立ち飲み屋では明らかになれていない様子を察して、隣で飲んでいた地元バレーチームの方たちがオーダーの仕方から鹿児島の名産まで、優しく教えてくれました。焼酎barではバーテンダーの人だけでなく、左にいた常連さんや右にいたカップルさんにも絡んでいただき、楽しいひと時を過ごすことができました。(1軒目では割引クーポン、2軒目ではカップルの方に現金をいただいてしまいました。。)

本当に、人の優しさに感動した夜でした。知覧でも皆さんの「かっこよさ」に感動しましたが、市街地でも皆さんの「かっこよさ」に感動し、憧れました。私も他の人や環境に対して、これまでの関係性にかかわらず手を差し伸べることができる、そんな人間になりたいと思いました。いえ、なります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました

立ち飲み屋
いただいたクーポン券、使わせていただきました
焼酎バー
2日目は桜島も行きました
また来ます、鹿児島
ありがとうございました。

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