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一矢報いること、ユーモアを持つこと

 夫の暴力から逃れて家を出る直前のこと。義両親と私達夫婦の4人で家族会議をするタイミングがあった。夫にも義両親にも散々傷つくことを言われてきた私は是非その場で一矢報いる台詞を言いたい、と思っていた。

 一矢報いると言っても、自分の怒りを余すところなく伝えるためには一体どのような言葉を使えば良いか分からない。前日に信頼できる友人と食事をしながら作戦を練った。

 「『自分の娘が同じことをされたらどう思うか想像してみて下さい』というのはどうか」
 「『配慮が足りないです!』ときっぱり言うのはどうか」

 私たちが考えられる案は遠慮がちで弱々しく、たちまち押し返されてしまいそうだった。友人も私もミッション系の学校で青春時代を過ごし、穏やかな人に囲まれて育ってきた。自分の怒りをストレートにぶつけるような言葉にはそもそもあまり馴染みがない。私たちの会話は迷走を極めた。

「強い日本語のボキャブラリーがないならさ、いっそギャング映画でも参考にして、英語で言えば良いんじゃないの」

 この馬鹿馬鹿しいアイデアに私たちは大いに盛り上がった。私は「ブレインバッド」という麻薬の密造をテーマにした海外ドラマに夢中だったことがあり、汚い英単語のストックには事欠かない。そしてグローバル企業で仕事をしている友人は英語が堪能なのだ。 
 義両親や夫を前にしてギャングばりに「FXXK!」とか「Bitch!」とかいう単語を連発する場面を想像しては、そのあまりに不自然さと滑稽さに私たちはけらけらと笑った。

 「一矢報いる台詞」は全く思い浮かばなかったけれど、たくさん笑った私は不思議に満足して穏やかな気持ちになった。

   *

 次の日の家族会議では案の定「一矢報いる台詞」は言えなかった。

   *  

 古典落語に「大工調べ」という演目がある。
 大工の与太郎は少しぼんやりした若者で、滞納した家賃のかたに道具箱を大家に取り押さえられる。商売道具を取り上げられたら仕事ができなくなって、ますます家賃を滞納することになってしまう。大工の棟梁は与太郎の道具箱を取り返すために大家の家に乗り込んで交渉をするのだが、ケチな大家は一歩も譲ろうとしない。怒った棟梁は大家に向かって啖呵を切る。

「何言ってやがるんだこの丸たん棒めェ。てめぇなんざあ目も鼻も血も涙もねぇ丸たん棒だ。てめぇに頭ァ下げるようなお兄さんとはお兄さんの出来が違わァ」

こんなフレーズから始まって、ぽんぽんと胸のすくような台詞が並ぶ。
 熱のこもった江戸弁で捲し立てる啖呵は本当に恰好良いもので、寄席では見事な台詞回しにうわっと拍手喝采が起こる。

 しかし、私が本当に好きなのはこの後だ。
 棟梁に「お前も何か言ってやれ」とけしかけられた与太郎がたどたどしく必死に毒づこうとするのだ。

「やい、この大家さん」
「『さん』なんぞいらねぇ」と棟梁。
「やい、この大家、てめぇなんざァ、てめぇなんざァ、偉いぞぉ。」

こんがらがって大家を褒めだしたりして、訳が分からなくなってしまう。
 客席の空気は一転してほんわかした笑いに包まれる。

 もしも与太郎がこうしてとぼけた台詞で笑いを誘う場面がなかったならば、「大工調べ」は随分と後味の悪い演目だっただろう。
 どんなに啖呵が恰好良くても、それは大家と棟梁という二人の大人の男性が声高に罵り合う喧嘩なのだ(しかもその喧嘩はその場で収まらなくて奉行所に持ち込まれる、つまり裁判沙汰にまでなる!)。この喧嘩を聞いても嫌な気分が残らないのは、与太郎が棟梁の台詞をことごとくまぜかえして笑いに変えてしまうからだ。
 与太郎は「棟梁、もう帰ろうよぉ」と小心者ぶりをみせたり、おかしな台詞で周囲をあきれさせたりする。与太郎の存在で緊張がゆるむからこそ、気持ちよく笑って噺を聞いていられる。 

   *

 棟梁は自分の怒りをまっすぐに相手に伝える人物だ。萎縮せずに堂々と相手に一矢報いることの清々しさを見せてくれる。確かにそれは一瞬で胸がすっとするようなことだ。
 でもきっと真の救いはそれだけでは得られない。必要なのは与太郎の「ユーモア」だ。 

 誰かに不当に扱われたとき、怒りの対象にむかってまっすぐな表現で本音をぶつけることが時には必要になる。しかし、相手に本音をストレートに言い返すことができたからといって、自分が不当に扱われたことの痛みや辛さが癒される訳ではない。癒しになるのはきっと「ユーモア」なのだ。しかし、ユーモアだけでは人は前に進めない。
 棟梁だけでは後味が悪い。与太郎だけでは弱すぎて話にならない。
 それでも二人が揃えば、不当な出来事にまっすぐ立ち向って、そして傷を癒すことができる。

 あの日、確かに私は夫の家族との会議で一矢報いる台詞を言うことはできなかった。それでも、その前日に友人とたっぷり笑いあったことは私の気持ちをとても軽くしてくれた。
 私の中の棟梁は顔を出してくれなかったが、与太郎は私を救いにきてくれたのだ。

   *

 いつかは私も棟梁のように言えるだろうか。
「暴力を振るわれて黙っているようなお姉さんとは、お姉さんの出来が違わァ!」
 舌を噛んでとちらないように、練習をしておいた方が良いかもしれない。

 

(付録:私の近況)
支援を依頼する弁護士の先生を決めました。連休明けから具体的な行動を始めます。きっと辛いことも多いと思いますが、明るい未来を信じて。

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