離婚は人を狂わせるのか?

 離婚後に気が狂ってた時期がある いま正気かはわからないけど

 元夫との別居が始まった頃から風呂場にkindleを持ち込んで読書をするようになった。空白の時間があると苦しいことや良くないことを思い出したり考えたりしてしまう。だから、常に本を読んだり落語を流したり、隙間を埋め尽くすように生活している。
 今日は枡野浩一さんの短歌と文章を読んでいた。
 そして目に留まったのが冒頭の一首で、歌の中に自分のかけらを発見したような居ても立っても居られない気分になった。

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 世の中には円満と形容できる離婚もあるのかもしれない。しかし私の場合は離婚に至るまでの道のりは本当に険しいものだった。
 特に大きな痛みだったのは、夫婦二人がもつ善悪のものさしが全く食い違っているという事実に何度も直面させられたことだ。何が善いことで何が悪いことなのか、二人の意見が全く一致しない。そして全く話がかみ合わないのだ。

「自分のような華奢な人間が暴れていても怖くなどないはずだ」
「自分より身体の大きい男性が大声を出したりモノを投げたりするのは無条件で怖い」

「妻が目も合わせないし挨拶もしないのでイライラする」
「目を合わせるだけで『俺を見下すような目をするな』と怒鳴られるので恐怖を感じる」

 二人の間で過去にどのようなことがあったかという単純な事実確認でさえも、意見が食い違う。

「初めて妻を怒鳴ったのは、結婚して3ヶ月後のことだった」
「最初の暴力は結婚前、婚約してすぐのことだった」

話し合おうとする度に自分が信じてきた足場が崩れるような体験をした。自分の善悪のものさしや過去の記憶があてにならなくなり、もしかしたら自分は何かがおかしいのかもしれない、と思考がぐらつくようになった。
 それはまさに「気が狂う」ようなプロセスだった。

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 離婚届けを出して一か月ほどが経って、今では私は仕事をし一人分の食事を整え時には映画やコンサートに行き友人と会い、毎日を平穏に過ごしている。
 それでもふとした瞬間に不安になるのだ。人生の修羅場の直後なのにこんなにも自分が平穏に生きているのは重要な感情をとらえるべき回路が焼き切れているのではないか、と。やはり私は何かがおかしいのかもしれない、と。「いま正気かはわからない」と。
 おそらく私は離婚の後遺症の真っただ中にいる。
 信頼していたはずの人とすれ違いを重ねながら言い争うことはものの見え方や自分の立ち位置を不安定にさせる。自分が事実をきちんと捉えられているかどうか、自信を激しく揺らがせる。そういう意味では「離婚は人を狂わせる」のかもしれない。

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そんな風に考えていることを短歌のリズムに。

 人生が狂ったばかりのはずなのに狂えないという形の狂気

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