見出し画像

「ぬ」Nujabesと昼寝と上野でフラれたあの日

 昨日は金曜日ということもあり、気持ちよーく酔って仕事の疲れを肴にさっさと寝てしまいました。それも幸せですよね。日々を生きることに価値を見いださないと自分自身を見失いそうになります。これだけ世の中が情報に溢れていると人と自分を比較することなんて容易です。例えば、みんなすぐに誰それと結婚しただの、子ども生まれましただの。比べている時点で幸せになれる可能性はゼロに近いですよね。その中で自分なんて価値のない人間だとついつい思ってしまいがちですが、そんな時ほどそういうことを考える前に寝るか、いい音楽聴いて酒を飲むに限ります。

さあ、今日紹介するのはNujabesという方で読み方は「ヌジャベス」で合っていたかと思います。

軽くバイオグラフィーから。

アーティスト名 "nujabes" という特異な名前は、彼の芸名「瀬場 潤・セバジュン」をローマ字表記にしたSEBAJUNを逆から読んだものである。
Nujabesとしての音楽活動は、1995年に渋谷区宇田川町のマンハッタンレコード店を曲がった奥まった高野ビルでレコード店 (Guinness Records) を開店したことが始まり。コムデギャルソンのパリでのファッションショーでは音楽ディレクターを務めたことがある。
「Luv(sic)」シリーズでのShing02など、多くのヒップホップMCとのコラボレーションが活動の中に見られた。渡辺信一郎監督からのラブコールを受け、アニメ『サムライチャンプルー』に数トラックを提供した。
2010年2月26日深夜、東京都港区で起きた交通事故で逝去、享年36[1]。
2011年12月3日、3rdアルバム『Spiritual State』が発売された。
2018年、Spotifyが発表した「海外で最も再生された国内アーティスト」で3位となる[4] Wikipediaより

色んな切り口から語れる方なのだが自分の思い出とその後の影響について今回はまとめていきたい。

過去の人であり、今尚愛される人

 Nujabesのリリースは彼の生前では最新作で2005年。その死後、音源等は公開されており今尚愛されている人物である。

その2005年発表のmodal soul より彼の一番の有名な一曲をどうぞ

2005年の曲なのか!?と疑いたくなるくらいアーバンで今のシーンにピッタリの曲である。今まで自分が思いで描いていたHIP-HOPとは一線を画す曲調であることにも注目してほしい。

ジャズ由来とでも言うべきか、サウンドの角は取れているし、もったりとしたドラムのサウンドに促されるように、曲が始まっていく。自然と肩を揺らしながら聴いていしまうこと受け合いだろう。元々、ラップやヒップは苦手分野だった自分の扉を開いてくれる一曲となった。

また、このNujabesなのだが海外人気のほうが凄まじく、Wikipediaにもあるように2018年の今になって日本のアーティストの中で3番目に聴かれるという快挙を成し遂げている。

むしろ、亡くなってから8年も経ってから彼の魅力をやっと私達が認識できるようになってきたとも言えるだろう。

最近、You TubeやSpotifyでムーブメントを起こしているジャンルがある。チルホップ、ローファイヒップホップと言われるようなジャンルである。その元祖としてNujabesは君臨している。

その中でもこのChilledCowのチャンネルがいちばん有名だろう。生配信でおよそ全世界の四万人近くが生でこのチャンネルを視聴しているのだ。

聴いてもらえば分かるだろうがどこを切り取ってもNujabesの影響下にあると言っても過言ではない。独特のヘタったビートにメロウなサウンド。そして、それが限りなく続いていきそうな展開は作業用BGMとしても秀逸なのでおすすめです。

現代の音楽シーンの特徴を私的に書こうとすると気持ちいいサウンドがなり続けていることが一つのシーンを持っている様に感じる。シティポップの再評価然りだが、音楽として整然でいながらも、ノスタルジーを感じさせてくれる。曲の構成としても、そして叙情的に言っても気持ちのいい音楽が沢山の人の支持を得ている。これを私はグッドミュージックが評価される時代が来ていると前のCIKIの時にも書いたがそれの走りが彼、Nujabesであったのだ。

切り売りパート 図書館と昼寝編

 Nujabesとの出会いを書こう。

彼との出会いは引き寄せられるようだった。当時、大学4年生の私は就職の試験もあるのに能天気で無駄な自信を持っていたため、就職に対する勉強に不真面目であった。今に始まったことではないのだがどこかで世の中を舐めていることはこの頃からあったんだろう。その後痛い目を見るのだが。

その時の格好の昼寝の場所が大学の図書館だったのだ。気が向いて講義に行こうと思えば行けるし、行かなくても良い。この距離感が大好きだった。別に来いとも言われずともなんとなしに足を運び、用がありそうなら出向かうようなそんな大学生時代は最高だった。暇をつぶそうものなら至るところに並ぶ本の森の中から自分の興味のあるものを拾ってくるだけで、起きている間の暇も潰れる。Wi-Fiもある、パーソナルスペースも十分に確保されている。こんな幸せな場所はあの頃の自分にとっては無かった。

その頃の昼寝の相棒としてYou Tubeがおすすめしてきたのが、Nujabesだった。

ちょうど一時間位で気持ちよく寝られるリズムとラップ達。今思えば彼に最高の時間を貰っていた。まあ、この頃は今から6年位前なので、海外で評価されていることは知っていてもここまで知られる存在になるとは思いもしなかった。

あ、音楽の話はここまでです。

切り売りパート それと上野公園編

 さあ、その時の上野公園の思い出話を書こう。というか私の切り売りパートには上野公園が必須なのだろうか。と思えるくらいにこの街は登場する。谷中霊園に行って吊り橋効果を狙ったときもそうだった。Dと花見をしていたのも上野だった。思い出しかない。

その時私は大学4年生だった。もう、この4年生というのはサークルで言えばボーナスステージみたいなもんで、無駄に後輩たちから崇め奉られていた。(今でもその笠を着ようと顔を出そうとする自分に最近では反吐が出ますが、、)

その前年、私はサークル長をしていたこともあり、就職試験もあるというのにこのサークルに良く顔を出していた。

もう、察しのいい貴方なら分かるだろう。私の後を継いだサークル長の女の子にその時私は恋をしていたのだ。彼女をMとしよう。

お久しぶりです!成長しない私に叱咤激励をくれ。

画像1

温故知新などという言葉があるが、中々それが恋愛で実るのは難しいことである。古きを訪ねてどうやって新しきを知れっちゅうねん!と

その子ともそこそこいい感じになり、二人で飲み屋に行ったりもした。ああ、懐かしい。

そして、昼から上野に行こう!ということになった。

二人で回った、アメ横は今でも忘れられない。あの夏前に一緒に見た、Tシャツの柄は何故かチキンラーメンが印刷されており、二人で笑った瞬間を今でも思い出せる。

ダウンロード

こんな柄が一面に広がっていた。

その後、日も暮れてきて、二人で飲み、帰る前に

私「上野公園を散歩しませんか」
M「いいですよ〜」

アメ横を出たところから、上野公園に入り、二人でああでもない、こうでもないという空に溶けていくような会話をした後、なぜか西郷隆盛の像でMと西郷どんのツーショットの写真を撮った。という記憶があり、携帯を探ってみると本当にあった。恐ろしいものだ昔の記憶というものは。

画像3

本来なら右下にMも写っていたが諸々考えて切り取りました。それにしてもこの手ブレ感からも私の焦燥が伝わってくるようである。

(これは、、、、イケるんか、、、、、)


まあ私はこの後、20分も経たない内にMに告白したのだが、結果は言わずもがな。

爆散。

イケるって思うほど、イケないんだなあ えぬを

爆散した後にもエピソードがあるです。それについてと、その後についてもあるのですが、長くなってきたのでそれについてはまた明日に。では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?