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「き」KANDY TOWNと終電

 今回は、今まで紹介していたところから時代は飛びまして2010年代後半あたりのことについて書いていこうと思います。この頃からサブスクの流行とともに自分自身の音楽の幅も広がり始めた時期のことです。

日本のHIP-HOPへの偏見

 日本のHIP-HOPについて、2017年までの私の偏見混じりで説明させてもらうとずっとアメリカのシーンの上辺をサウンド面、外見でなぞりながら、歌詞は日本語で韻を踏みまくり悪ぶっている音楽という印象だった。

まず持って、日本語のラップは聴いていてなんとなく腰砕けになるような感覚に襲われるのだ。いわゆる2000年代初期の「YO!チェケラ!!」と言ったイメージから脱却できないでいるように感じる。日本のチャートを見てみると歌謡の流れをくんだサビがしっかりある曲が好まれる傾向から、元来ラップの文化はなかなかに浸透しづらいのだろう。また、HIP-HOPの4大要素とも言われる「ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJプレイ」のすべてが日本では独立した文化として受け入れられてしまっているところからも本質的にHIP-HOPを享受するという土壌自体が無いのだ。

そんな日本は、HIP-HOP後進国であったと言っても過言ではないだろう。しかし、今のHIP-HOPシーンを浅くしか知らない私だが、そんなやつにも届いてくるHIP-HOPは10年前と比べると圧倒的に格好いい。(SANABAGAN、田我流,唾奇,PUNPEEそして今回取り上げたKANDYTOWN等)聴いてしまう。

では、KANDYTOWNから一曲聞いてください。

サウンドが段違いでかっこいい。うまく言葉に表せないが、日本のHIP-HOPがアイデンティティを獲得してきたと言えばいいだろうか。

音楽が循環する瞬間

 まず、KANDYTOWNって何者だ、という人のために。

KANDYTOWN(キャンディータウン)は、東京都世田谷区出身の総勢16人のメンバーで構成されたヒップホップグループです。ラッパーだけでなく、DJ、フィルムメーカー、トラックメイカー、エンジニアなどマルチな才能を持つメンバーが集まっています。彼らはいわゆる、過酷な環境や暗い過去などとはまったくの無縁。ただ”イカした”音楽を作り続けるシティボーイ達であり、他のラッパーとは一線を画しています。 HIPHOP部より

16人と大所帯のため私が追っているRYOHU(↓写真参考)を中心に話していきたいと思います。

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私がRYOHUを初めて知った瞬間はサチモスのこの曲のフューチャリングとして登場したときだ。

あとはあいみょんの愛を伝えたいだとかのリミックスなんてのも手掛けている。

この時彼はCDを一枚もソロで出しておらず、情報的にもすごく少なかった記憶だ。しかし、調べてみると意外なことが書かれていた。

ズットズレテルズに所属していた。

はああああ!?となった。ズットズレテルズといえば10代限定フェス閃光ライオットで他の爽やかなバンドとは一線を画してブラック・ミュージック由来のファンクロックを奏でていたバンドだ。実際生で見てぶったまげた記憶は今でもこびりついて離れない。

そこにいたんかーい!!状態である。大学の新歓でそんなに仲良くないのに出身が一緒で一気に距離を詰められた。そんな感覚になった。心の前みつを握られ始めていた。

そして、このバンドにはオカモトズのメンバーがいたり、KANDY TOWNのリーダー的存在であり、草刈正雄の息子であったYUSHIが所属していたのだ。そして、彼らが主戦場としていたライブハウスが「下北沢GARAGE」だ。

このライブハウス出身者として、YogeeNewWaves、オカモトズ、ampel(後のtendre)、ズットズレテルズ、YONCE(suchmosのVo)と今のシーンを牽引するそうそうたる顔ぶれがいたんですね。そして、長岡亮介(ペトロールズ、東京事変)さんも出入りしていたと。もう、どのバンドも大好きですよと。しかも、私のちょっと上の世代の人達ばかりで、バンドをやっていた身からするとニアミス状態で興奮するみたいな感じです。色んな駅が環状で一気に繋がったような。

最近だとこの頃についてRYOHUが話してる動画もあるのでおすすめです。

みんなでガッチリといい音楽作っていこうぜというこのチーム感いいですよね。ジャンルは違えどグッド・ミュージックを提供することに変わりはありませんから。

そんな彼がメジャーデビューアルバムを最近出しました。その一曲がこの記事について3分ちょっとで歌っているのでぜひ、聴いてください。

切り売りパート 社会人編「終電逃しちゃった」の巻

 はい、やっと切り売りパートに入ります。今回は書きたいことをまとめるのに苦労しました。ここからは話し慣れたことなのでギュッとしていきます。

2016年サチモスやヨギー、ネバヤンと言ったシティポップとくくられるバンドがビッグバンのように流行ったと同時期、私の社会人としてのライフがダラダラとスタートしていた。

特に職場に仲のいい人もいなかったので兎にも角にも暇でしょうがなかった。

その時、私には飲み仲間の女友達Cが一人いた。10年来の知り合いで大学は違えどちょこちょこと良く飲んでいた。

社会人一年目の私はこの頃大学とのギャップからか、人恋しさに締め付けられていた。正常な判断ができなくなっていた。これを念頭に(言い訳として)置いて読んでほしい。

Cとはだいたい上野だったり、錦糸町と言った洒落ているとは100年経っても言えないような街でよく飲んでいた。秋晴れのその日も昼間から上野、御茶ノ水あたりで飲んでいた。

その日は二人とも調子よく、気がつけば時間は日をまたぎ1時近い頃になっていた。

私「これ終電やばくない?」

場所は御茶ノ水、山手線ユーザーのCと終電を目指して秋葉原まで走った。見事、秋葉原駅の入口には檻のようなシャッターが降りていた。

こんな時、私がさながらプレイボーイであれば、気がつけばあんな場所やこんな場所へなんて行けるのかもしれない。だが、私はこの時セカンド童貞爆発中であったのだ。

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モテキの主人公宜しく。「どうする。どうする。どうするうううう!」という言葉が反芻していたのは言うまでもない。ちなみにCはシャッターが降りていた駅から5,6駅北上したところにあった。

そこで私は一つの答えを出した。

私「歩いて帰ろうぜ!家まで送るよ」

4年前の私よ。つくづく思う。君は実に馬鹿だな。

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さあ、時刻は1時過ぎ。夜中の北上散歩の開始である。

しばらく歩いていくと上野公園があった。私はあんなに静けさに包まれた上野公園は今でも見たことがない。公園がここまで静寂だと後ろに気配を感じ始める。

さあ、東京近辺の地図が頭に入っている人ならわかるだろう。上野を更に北上していくとある場所にたどり着くのだ。

あ、鶯谷じゃないですよ。

そう、「谷中霊園」です。地理的にもこれを超えねばならず。二人で丑三つ時あたりにここを通り抜けねばならならなくなったのだ。

この時、アホな私の脳みそにあることがよぎった。

「吊橋効果」
吊り橋効果とは、心理学の実験で吊り橋の上のような不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、恋愛感情を抱きやすくなる現象のこと。

実に浅はかではあるが、幽霊への怖さをだしにさらっと手を繋ぐことに成功。実際自分も怖すぎて近くにいてほしかったんですよね。体験したい方は午前2時位にこちらへどうぞ。後悔することでしょう。

その後、日が明けるまでお互い手をつなぎながらCの最寄り駅まで歩を進めた。しかし、日が出て来るということは人々が活動を始めるというわけである。人の目が向けられる瞬間に彼女の手は離れていった。うん、そうなるよね。

あれは、谷中霊園に眠る正岡子規(戒名:野球)が見せてくれた、一夜だけの夢だったんだろう。ありがとう野球(読みがなは「ノボール」)。

結局Cとは付き合うとかそんなことには全くならず、今でもお互いの彼女、彼氏と別れた時とかにあーでもないこーでもないという仲だ。

人間、人に見せる顔というのは色んな顔があると思う。その中でも一番、くだらなくて、汚い顔をお互い見せ合える人間であるからこそ、それ以上の関係にはならないのかもしれない。

今になって感謝する。「ありがとう。あの時の「セカンド童貞」という名の俺。」

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