見出し画像

What is COMPASSION? What is GRACE? How to Do that?

第5回 日本GRACE研究会年次大会「コンパッションを深く学び 実践に活かす」に参加した。
私はこれまでコンパッションについて聞いたことはあるものの、どんなものか知らなかった。このイベントを機にコンパッションを学び、そこで考えたことをここでシェアしようと思う。

-まず初めに、compassionとは?
ジョアンハリファックス老師の論文を引用させていただくと、コンパッションは
①苦しんでいる人をケアしたいという感情
②苦しみを取り除きたいというモチベーション

の二つの要素からなるものとされており、
人が生まれつき持つ 自分や相手を深く理解し、役に立ちたい という純粋な思い、そして自分自身や相手に寄り添い"共にいる”力 と説明されている。

日本語訳では「慈悲」や「思いやり」と訳すことができ、
仏教的には「四無量心」=慈悲喜捨 と表すことができる。
慈=幸せであるようにと、安らぎを願う心
悲=苦しみを取り除きたい、和らげたいと願う心
喜=他者の喜びを自分のこととして共に喜ぶ心
捨=執着せず、偏りのない平静な心

そしてコンパッションには「利他性」「共感」「誠実」「敬意」「関与」という5つの資質があり、これらはGRACEのプロセスによって保つことができるとされている。

-GRACEとは?
ジョアン・ハリファックス老師が提唱するGRACEとは、コンパッションを育み人生の困難を乗り越えるためのメソッドのことで、言い換えれば、コンパッションの精神をもとにしたケアのあり方を育むためのトレーニング方法である。

GRACEの5文字にはそれぞれ深い意味が込められている。
Gathering attending:注意を集中させる
Recalling intention:意図を思い起こす
Attunement to self/other:自分の身体、感情、思考に意識を合わせる
Considering what will serve:最も適切な行動は何か見極める
Engaging and Ending:関与し終了させる

前述した「利他性」「共感」「誠実」「敬意」「関与」の5つの資質には「崖」も存在し、「病的な利他性」「共感疲労」「道徳的痛み」「軽蔑」「燃え尽き」が挙げられる。もし崖から落ちてしまっても、GRACEを実践することで元の場所に戻ってくることができると説明されている。

-今回のイベントでは、コンパッションに対する「抵抗感」というものが大きなキーワードとして挙げられた。
なぜ抵抗感があるのかという質問に対して、過去の体験が大きく関わっているという説明があった。つまり、助けてほしい時に受け入れられなかったり、否定された経験がトラウマになっていると、セルフコンパションに抵抗感を感じることがあるということだ。

私は話を聞く中で、“理解してますよ感”が抵抗感につながっているのではないかと考えた。少し話はズレるのだが、以前私はNVCを実践し、傷ついた出来事についてシェアした。話を終えたら相手から言葉をもらうのだが、“〇〇なのではないかな”と自分では思ってもいなかった、むしろその時の私の感情とは真逆の言葉を伝えられたことがある。
他者からはこのストーリーがそう見えるのかと新たな気づきになった反面、自分の意図をうまく汲み取ってもらえず、伝えることの大変さやめんどくささを感じ、また表面的に解釈をされたようでガッカリした。

「共感」はかえって相手を傷つける場合がある。特に自己満足になっている共感は危険である。だからこそ相手を思いやる気持ちを大切に、慎重に関わる必要があると改めて感じた。


-登壇されたアントニーHバック氏は、
「孤立が生じやすい不安定な社会はいつも効率を重視する」
「効率的でありながらコンパッションをいかにして保てるか」
「誰もが持っているGRACEの心を思い起こすことが重要」と話す。

目まぐるしく回り続ける効率重視の社会で他者を気遣う余裕や自分と向き合う余裕はない。

私は先月まで受験生として怒涛の日々を送っていた。
毎日やらなきゃいけないことがたくさんで、課題に追われ、試験日に追われ、焦りや不安から寝ることが怖かった。寝ることで自分を甘やかしている感じがして、自分自身を許せないような思いに駆られたのだ。そんな生活を続けていたため、体力は限界を迎え始め、精神的にもいっぱいいっぱいで、心の余裕など全くなかった。
そんな状態の時に知り合いが亡くなるという経験もして、私は受験に対するストレスを抱えながら、喪失感、深い悲しみから、自分がわからなくなった。
何のために勉強しているのか、何のために生きているのか、何がしたいのか、
感情が渋滞して、"何もしたくない。今なら死ぬことに恐れなんてない。
楽になれるなら死んでもいいかも”とさえ思った。
精神的に追い詰められて、このままじゃヤバいと危機感を覚え、気持ちを落ち着けようと瞑想する時間をとった。15分ほどしか座っていなかったと思うが、その数分の瞑想で気持ちがすごく落ち着いて、本来の私を取り戻せた気がした。

今回アントニーHバック氏が話されていたように、人は時々余裕がなくなって、自分にも他者にもやさしくできなくなることがある。
効率重視の社会で心の余裕を保つには、日常的なGRACEやマインドフルネスの実践を通して心を落ち着け、そして自己と向き合うことが鍵であると経験も踏まえ強く感じている。

-今イベントではじめてコンパッション瞑想を体験して、祈りのようだと感じた。
<手順>
 1.身体をリラックスさせる 2.心が落ち着く 3.慈悲の瞑想

コンパッション(慈悲の)瞑想では「願う」がキーワードであり、以下のようなフレーズを唱えると良いという。
「私が苦しみから解放されますように」
「私が安らかで幸せでありますように」
「私の安らかさや幸せを生きとし生けるものと共有できますように」
「生きとし生けるものが安らかで幸せでありますように」

瞑想をする上でのポイントは以下の2つである。
①自分の中に不快な状態がない時に実践する
②身体感覚とイメージを使って実践する

実際に瞑想を体験して、自己を見つめ、思いやるための方法として効果的だと感じた。前述した4つのフレーズを唱えることで、他者や自己を思いやる気持ちが強まり、心の余裕も生まれやすいような感じがした。短時間の瞑想しか体験していないため、これからも実践し変化に注目していきたい。


-私はGRACEやマインドフルネスを教育機関にとり入れ、若者世代が実践する機会を増やすべきと考えている。
ストレスの多い学生こそ、自身と向き合い心を落ち着ける時間が必要だ。しかし心を落ち着ける時間をとる機会はなかなかなく、そもそも方法を知らない人が多いのではないだろうか。
幼少期からのGRACEやマインドフルネスの実践は、困難に直面したとき必ず助けになり、他者との関わりにおいても役立つだろう。

そのような体験をする場づくり、機会づくりを積極的に行っていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?