理解と愛との関係性
「このひと、好き。」
それが、情愛の顔を借りた承認欲求なのではないかと疑い始めたらもう止まらない。
私は造形には欲情しない。美しい男を見ても「へぇ、綺麗だね」と思うだけだ。
知性と尊敬を感じた時にのみ、私の心は傾く。
いや、待てよ。思い返してみればそれは“理解”に対する興奮だったのではないか?
思いついてしまったら最後、今まで「好きだ」と思ったどんな男を思い浮かべても、私は理解されることに興奮を覚えてきたことに気が付かされる。幼少期でさえも。
子供の頃から、"馴染む"という言葉とは無縁の生き様を露呈してきた人生。ここ最近は非定型発達を疑ったりなんかもしている。そんな自分を受け入れてくれる存在は、私には親鳥に見えてしまうんだな。
尽きることのない理解への欲求。人間の根底にある承認欲求。
脳をむき身にして見せ合うことができたら、それは私にとっての最高の愛である。