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古代の名前を理解するための基礎講座4

前回、前々回に引き続き、古代の日本語の基本法則のお話です。

今日のテーマは母音連続忌避です。

古代日本語には、母音連続は徹底的に避けられるという現象が見られます。この法則の説明には、ローマ字を使った方がわかりやすいので、ローマ字を交えて説明していきます。

たとえば、金打(かねうち、kaneuchi)、高市(たかいち、takaichi)といった言葉には、下線部のように母音(a,i,u,e,o)が連続している箇所があります。古代人はこれが本当に嫌いなので、何とかしてこの状況を打破しようとします。

まず、第一の方法は母音脱落です。これは連続する母音のうち、片方をなくしてしまうという手法になります。上記の例ですと、金打(かねうち、kaneuchi)はここから“e”を落として、金打(かぬち、kanuchi)という形になります。ちなみに、これがさらに「かぬち→かんち→かんぢ→かぢ→かじ」と変化していったのが、現代で言う鍛冶(かじ)になります。「鍛冶」の語源は「金打」なんですね。

第二の方法に母音融合があります。これは連続する二つの母音を合体させて、違う一つの母音に変換してしまうという手段になります。またも上記の例を使いますと、高市(たかいち、takaichi)は“ai”“e”に変換して、高市(たけち、takechi)という形になります。

このように“ai”が“e”になるパターンが母音融合の中では比較的多く。字訓だけでなく、漢字の字音に適用されることもあります。万葉仮名の介(け)は、介(かい、kai)介(け、ke)と変化したものであり、他にも愛(え、e)愛(あい、ai)拝(へ、he)拝(はい、hai)米(め、me)←米(まい、mai)など複数見られます。礼(れ)が礼(れい、rei)の短音化ではなく、礼(らい、rai)の母音融合であることは、江戸時代に本居宣長が既に指摘している通りです。

ただこの母音融合、大変厄介なのは何と何が融合して何になるかはっきりした法則がない点です。
上記の通り、“ai”が“e”にパターンは比較的多いのですが、必ずそうなるとも限りません。

とても珍しい第三の方法に“s”音挿入もあります。連続する母音の間に“s”の音を挟んで母音の連続を絶ってしまうという手段になります。

第一、第二の方法は、状況に応じて割と自由に用いられますが、“s”音挿入は特定の決まった語句にしか現れません。特に「雨」と「稲」に連なった熟語に多く、氷雨(ひあめ、hiame)→氷雨(ひさめ、hisame)、春雨(はるあめ、haruame)→春雨(はるさめ、harusame)、秋雨(あきあめ、akiame)→秋雨(あきさめ、akisame)、村雨(むらあめ、muraame)→村雨(むらさめ、murasame)、霧雨(きりあめ、kiriame)→霧雨(きりさめ、kirisame)、御稲(みいね、miine)→御稲(みしね、misine)、干稲(ひいね、hiine)→干稲(ひしね、hisine)、味稲(うまいね、umaine)→味稲(うましね、umasine)といったものが看取されます。

珍しいところでは、堅石(かたいは、kataiha)→堅石(かたしは、katasiha)といったものも存在しますがこれは例外的であり、常石(とこいは、tokoiha)は常石(ときは、tokiha)と母音脱落の変化をしています。
ちなみに、石(いは)とは岩(いわ)のことです。古代で「いわ」は「岩」とは書かれず、もっぱら「石」か「磐」で表記されます。

よって応用が利き、頻繁に見られるものは、母音脱落と母音融合の二つです。

さて、上記の母音連続忌避の現象を知っておくと、上代人名を読むのにどう役立つのでしょうか。

奈良時代の貴族に葛井諸会という人物がいます。まず前半が読みにくいと思うので先に言いますと、葛井(ふぢゐ。現代仮名遣いで「ふじい」)です。何故そう読むのかと聞かれても、「葛」はつるを巻く草の一種で、同じくつるを巻く植物である「藤」に関連があるからとしか言いようがありません。今はとりあえずそれで納得してください。
で、問題の下の名前ですが、諸会をそのまま素直に読むと諸会(もろあひ)(現代仮名遣いで諸会(もろあい))になります。しかし上記の通り、古代の日本人は母音連続を非常に嫌います。すなわち諸会(moroahi)という読みも、何らかの手段を以て改変されたはずです。
このケースでは、母音脱落を起こして諸会(もらひ、morahi)になったと考えられます。出雲毛良比売(もらひめ)という名の人物が確認でき、古代に「もらひ」といった人名が存在したことが想定できるためです。逆に、この毛良比売の名前も、意味通りに表記すれば「諸会女」となるでしょう。

ちなみに、Wikipediaではこの人物の名前は諸会(もろえ)となっていますが、これはちょっと考えにくいです。「会」は会釈(えしゃく)、法会(ほうえ)のように「え」(歴史的仮名遣いでは「ゑ」)と読まれますが、この字を万葉仮名として使うのは当時一般的ではありませんでした。
出雲諸相売という人物もおり、こちらの方はどうやっても「もろえ」とは読めません。この時代には諸会・諸相(もらひ)という名前がしばしばつけられたと考えるのが良いでしょう。

他のケースですと、曽祢韓犬高屋韓犬など「韓犬」という名前が古代には散見されます。この「韓」という漢字は「唐」と同じく「から」と読みます。古くは中国のことも朝鮮のことも「から」と呼びました。
なのでストレートな読み方をすれば、「韓犬」は韓犬(からいぬ、karainu)となります。しかしこのままでは母音連続が生じてしまうので、これを避ける働きが作用します。
こちらの場合、母音融合が生じて韓犬(かれぬ、karenu)になったのだと思われます。諸会の時と同じくヒントになる人名を求めてみれば、丈部賀例努(はせつかべ・の・かれぬ)という名前が見つかります。つまり、韓犬は「かれぬ」と読み、賀例努の名前の意味も「韓犬」を意味していると推定できます。

このように、母音連続を何とか回避しようとする動きは、人名にも適用されたのであり、この事象を頭に置いておけば、人名をただ読むのにも、また元の意味を推し量るのにも役に立ちます。

……ただ、基礎講座と銘打っておきながら、応用編に足を突っ込んだ内容になってしまったのは反省かもしれません。Wikipedia先生に間違ってるぞって言えるレベルですから。

【今回のまとめ】
・古代の日本語では母音連続は非常に嫌われており、主に三つの手段を用いてなんとかこれを避けようとする文化があった。
・人名においてもそれは例外ではなく、母音連続忌避の現象を知っておくことで、正しい読みや意味を推定しやすくなる。

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