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『鬼滅の刃』の登場人物名を分析してみた

ひょんなことからこのお正月、話題作『鬼滅の刃』を全巻読む機会を得ました。

ストーリーやキャラクターに関する感想・批評、現実の大正時代に重ねた考察、ヒット要因の推量などの記事は探せばたくさんあると思います。
私が気になったのはやはり、この作品に登場する名前の数々。ここでは登場人物の名前に焦点をしぼって、構造や命名の傾向に分析を加えてみます。
なお、最終盤に登場するキャラにも遠慮なく触れておりますので、ネタバレにはご注意を!!

・竈門炭治郎(かまど たんじろう)
「たんじろう」という響きの名前は当時普通に存在していました。古風な表記では丹次郎となるものの、平安時代から「じろう」には次郎と二郎の表記揺れが存在し、江戸時代以降は治郎もそれに加わりました。「たん」に「炭」の字を当てるのはかなり変わっていますが、珍しい漢字を当てる人物も現実としてそんなに稀ではありません。何より「竈門」と関連づけて全体の個性を出すのは一つのテクニックです。さすが主人公、とても丁寧に作られた名前だと思います。


・竈門禰豆子(かまど ねずこ)
江戸時代の女性は、民(たみ)や松(まつ)といった二拍名が最も一般的でした。その一つとして禰豆(ねず)があるのだと想定できます。子(こ)は、かつては最上階級のみが使うことのできる、やんごとなき女性人名接尾語でしたが、大正時代には庶民にも増加傾向にありました。禰豆子(ねずこ)はこの二つを組み合わせた構造になっています。
「ねず」の意味はよくわかりませんが、そぐとかてわとかゆんとかるおとか意味のわからない名前の女性は少なからず実在しましたので、それほど問題ではないでしょう。「下の名前に『豆』の字?」と思った人もいるかもしれませんが、禰も豆も正統な万葉仮名であり、古代を専門とする私からすれば特に違和感は覚えませんでした。

炭治郎と禰豆子には他に、竹雄(たけお)、茂(しげる)、花子(はなこ)、六太(ろくた)という兄弟がいますが、彼らの名前は時代に照らして大変素直で素朴です。
父母は炭十郎(たんじゅうろう)と葵枝(きえ)ですが、引っ掛かるのは葵枝の「葵」の字です。「き」の音に当てる漢字使用としてはまずないかと思います。平仮名で「きえ」あるいはもっと卑近な漢字で「喜枝」なら当代っぽいです。


・冨岡義勇(とみおか ぎゆう)
名字の表記が通常の「富」でないところに、作者の故意が窺えます。あえてこちらの漢字を使用したのは個性の付与、あるいはただの衒気でしょうか。いずれにせよ、よくある名字なので、取り立てて述べることもありません。
しかし以前のブログにも書きましたが、この時代に、義勇(ぎゆう)のように一定の型を持たず音読みで統一された名前は大変珍しいものでした。現代人からすれば違和感はないでしょうが、大正の当代人から見れば、とっても変わった名前に映ったと思われます。


・鱗滝左近次(うろこだき さこんじ)
下の名前はいたって普通です。特筆事項ありません。
鱗滝に何か由来があるのか、作者のまったくのオリジナルなのかは知りかねますが、この響きの名前にしたいならこの表記以外はないでしょう。
響きの面で問題はないのですが、名字側の画数が多すぎて、名前全体の物理的バランスは不安定になっています。下の名前が漢字三文字なので、全体としてはバランスを崩しきってはおらず、ここは評価できるポイントです。


・我妻善逸(あがつま ぜんいつ)
フルネームでは、実は大正時代に一番実在してそうな名前です。名字の我妻(あがつま)は実在し、しかも稀少姓と呼ぶほど少なくもありません。では善逸(ぜんいつ)はどうなのか。音読み統一の義勇(ぎゆう)と比べて何が違うのか。以下で説明致します。
炭治郎の「治郎」もそうですが、近世近代には「三(ぞう)」を「蔵」や「造」、「五」を「吾」、「六」を「禄」、「十」を「重」のように、伝統的な数字表記を同じ音の別字にしたものが見られました。「一」の別表記が「逸」であると考えられ、事実そのような名前は史料に記録があります。すなわち元来なら「善一」と書かれていたであろう名前の近世近代バージョンが「善逸」なのです。「いち」と「いつ」で音が違いますが、吉(きち)⇔橘(きつ)という例があります。


・嘴平伊之助(はしびら いのすけ)
全主要人物中、最も普通の名前をしています。しかしそれは下の名前に限った話。「嘴」を含む名字はほとんどなく、この「嘴平」は実在しません。名字を創作するのは楽しいですしまったく構わないのですが、鱗滝左近次と同じく先頭の文字重量が大きすぎてバランスを損ねている点が惜しいです。オリジナルの名字を創るなら、下の名前を合わせたバランスも考慮して欲しかったと感じます。


・煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)
名前全体として最も当代風から遠い人です。まず第一に「煉獄」はキリスト教カトリックの用語であり、何があったらこんな名字になるのか疑問です。
下の名前について。「郎」につながる要素は「太」と「次」および「一」から「十」までの数字であり、江戸時代以前の例外は吉郎(きちろう)のみでした。それが明治時代以降、達郎(たつろう)や哲郎(てつろう)といった型が出現し、さらには訓読み要素を前に取った正郎(まさろう)、亀郎(かめろう)なる名前も現れました。すなわち寿郎(じゅろう)という名前が存在したとしてもおかしくはないのですが、それにさらに別の要素を冠するのは大変に奇異です。これが突発的に行われた一時的な命名なら理解できるのですが、少なくとも父親の槇寿郎(しんじゅろう)の代から受け継がれているというのはとても不可思議です。
また「杏」の字を人名要素として用いるのは現代のブームであり、それ故にレトロさとは遠い印象を与えます。「煉獄」に「杏」に「寿郎」と、まずあり得ない要素の重ね塗りのため、「最も当代風から遠い」という評価をつけました。


・宇髄天元(うずい てんげん)
名字は実在の宇随(うずい)から文字を替えたものだと思われます。宇随自体、栗花落(つゆり)と同じくらいの稀少姓なので、名前で個性を与えるならばそのままの「宇随」で事足りています。名前に似つかわしくない「髄」という漢字を使って、名前らしさから離れていくのはマイナスポイントです。名前らしさの弱い名字にするならば、下の名前で名前らしさを補うと良いですが、下の名前も義勇(ぎゆう)と同じく、人名接尾語も人名訓も持たない不定型の音読み統一です。名字も名前もどちらも大正時代らしくなく、これでは人の名前というより何かの技名みたいです。
元忍びという立場は特殊ですが、忍びの名前は武士とそう相違ないので、やはり当時として奇異という結論は変わりません。


・甘露寺蜜璃(かんろじ みつり)
常識的に「蜜」は名前に用いる字ではありませんが、「甘露」と「蜜」で関連を持たせており、竈門炭治郎と同じテクニックを用いた名前と思われます。加えて、瑠璃・玻璃とは宝石またはガラスを意味する言葉であるため、「ガラス容器に入った甘い蜜」のイメージが想い起こされます。
甘露寺は実在する名字なので創作名字の不自然さもありませんし、無理やりな読ませ方の漢字もありません。文字の疎密のバランスも良く、かなり美しい名前だと言えます。
漢字を無視して「みつり」という言葉に意味があるかと問われれば、無いかもしれないというのが正直なところではあります。しかし歴史的な実情から言えば、意味がさっぱりわからない名前は実在しました。しさなとかちぼらとかなけみとかめはきとかが史料に残っていますが、意味の有無はおろか、あまり名前らしくも見えません。なので「みつり」という響きの名前は十分にあり得ると思います。
とはいえ、この時代に「子」などの接尾要素を持たない三拍の女性名は少数派であり、さらに「蜜璃」という新鮮な漢字を当てられたところまで考慮すると、実在可能性はかなり少なくなります。しかしそれを補って余りあるほど、名前としての完成度は高いです。


・悲鳴嶼行冥(ひめじま ぎょうめい)
義勇(ぎゆう)、天元(てんげん)と同じく不定型音読み統一ですが、どうにもキャラ的にお坊さんのようです。僧侶の名は基本的にこのような形であるため、これはごく自然です。私は僧名には明るくないのですが、形状の上では、変な名前には映りません。
問題は名字にあります。素直に漢字を当てるなら「姫島」になるでろう「ひめじま」に恐ろしく特殊な当て字をしています。「ひめ」に「悲鳴」の字を当てている段階でもう十二分に個性を与えられているにもかかわらず、一般的には難字に分類される「嶼」まで使うのは過剰です。あえてこの漢字を用いることで全体のバランスが良くなっているかと言えば、そうでもなく、むしろ普通の「島」の方が全体が整って見えます。


・時透無一郎(ときとう むいちろう)
実在の名字・時任(ときとう)の文字替えだと思われますが、「透」は名字には不似合いです。宇髄、悲鳴嶼、時透などの名字らしくない漢字を使うと、大正時代らしさどころか名字らしさが失われ、どうにも悪目立ちしてしまいます。
調べたところ「髄」、「嶼」、「透」それから「獄」という漢字を含んだ名字は実在はするらしいです。しかし、もの珍しい漢字を乱用して、いたずらに名前らしさから離れていくのは、短絡的で稚拙に映ります。
江戸時代から明治・大正に至るまで、「無」を名前に含む人物は少数ながら見られますので、下の名前はあまりないけどあって良いところを突いておりポイントが高いです。ただ名字はやはり時任であった方が全体のバランスも綺麗に見えるので、ちょっと余計なことをしたのではないかと感じてしまいました。


・伊黒小芭内(いぐろ おばない)
十内(じゅうない)、源内(げんない)のように内(ない)を末尾に持つ名前は、鎌倉時代から実在する伝統的な通称名で、これは内舎人(うどねり)に由来すると言われています。ゆえにそれは良しとして、気になるのは前に置かれた小芭です。
歴史は長いものの、「郎」や「助」に比較して「内」の使用例は少なく、どのような言葉を前に置け得るのかの分析は難しいのですが、「芭」はまずあり得ないのではないかと思います。
相対的に用例が少ないからかもしれませんが、「内」の前に置かれるのは、「平」や「清」と言った氏要素。「権」や「惣」といった職要素。その他でも「幸」や「喜」など、昔から名前によく使われるものが大半で、珍しい要素が使われにくい保守的な形式であったと思われます。
加えて、漢字に関わらず「ば」という音が名前に使われること自体が奇妙で、「ば吉」や「ば兵衛」という名前は見たことがありません。いわんや「ば内」は相当に考えにくい形であると言わざるを得ません。
上記に加えて、この時代の人物名に冠される「小」字は小太郎(こたろう)や小助(こすけ)、小右衛門(こえもん)のように「こ」と読まれるのが普通であり、古代のように「小(お)」が被されているところには違和感を覚えます。
結論としては、大正時代としてもその他の時代としても、中々に奇妙な名前であります。


・胡蝶しのぶ(こちょう しのぶ)
「胡蝶」という名字は実在しないものの、白鳥(しらとり)、猪熊(いのくま)のように生物の名前を取り入れた名字は普通に存在するため、むしろ本当に実在する「宇随」などよりも実在っぽいと呼べるラインです。
先述の通り三拍の女性名も実在しますので、下の名前も十分あり得ます。
コンパクトにオリジナリティを発揮した良名と言えるのではないでしょうか。


・不死川実弥(しなずがわ さねみ)
不死川という名字は見た目の面妖さとは裏腹に実在するらしいので、これは置いておきます。気になるのは下の実弥(さねみ)で、この字面でこの読みの名前はちょっと考えられません。この字面であれば「さねや」あるいは「じつや」と読み読まれるべきです。そもそも「弥(み)」という音は、万葉仮名か仏典程度にしか現れない呉音で、名前はおろか通常現れるものではありません。
この時代にはすでに「弥(や)」という人名接尾語が広く浸透していたことも考慮すると、やはりここで「弥(み)」を使うのはほぼあり得ないと言えます。
弟の玄弥(げんや)の使い方が普通の例です。彼ら兄弟の就也(しゅうや)、弘(ひろし)、こと、貞子(ていこ)、寿美(すみ)もかなり普通だと思います。「さねみ」という読みにこだわるのであれば、もっと別の「実視」や「実身」といった表記にしていればと思います。


・栗花落カナヲ(つゆり かなを)
江戸時代後期には、はるい、ことえ、きくの、かしよ、うめをのように、「いえのよを」で終わる女性名が多く、専門的には“いえのよを型”と総称されています。この時代、名前がカタカナなのも「お」を「を」と書くのも普通です。大正時代は「子」を持つ名前が増加し、前時代的な名前が減少する時期にあたりますので、少し古風な名前と捉えられていた可能性はありますが、奇妙ではなかったはずです。


・産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)
現代のキラキラネームに比べて遜色ありません。「哉(や)」はこの時代にも拡大の兆しがあり、この要素の使用はまったく問題ありません。問題は耀(かが)にあり、これはまさに元の読み「耀(かがや)く」の一部を切り取った、昨今のキラキラネーム要素そのものです。国語辞典を引くと一応「かが」という言葉は載っていますが、品詞は語素。「かがやく」、「かがよう」、「かがり」とった言葉の中にのみ存在でき、すなわち「かが」を名詞のように単独で使うことはできないのです。
誰かの記憶にあった恋雪(こゆき)も、「恋(こい)」の一部のみを切り取った同タイプで、このあたりの名前は、命名の悪いお手本と言えます。フィクションだからまだ許されますが、これを現実に応用しないように。


・継国巌勝(つぎくに みちかつ)
この作品中では、とても珍しい諱(いみな)型の名前です。諱型というのはざっくり言うと、教経(のりつね)とか義政(よしまさ)とか定信(さだのぶ)とかいう、すべて訓読み、漢字二文字で、全四拍の名前が大半となる型です。
巌勝の「巌」を人名構成要素で読むとしたら「いわ」、「みね」、「たか」くらいであり、「みち」と読む理屈はよくわかりません。ただ『漢字源』という辞書で調べたところ「巌」字の名乗り訓の欄に「みち」がありました。戦国時代は、なぜそう読むかわからない用字が増加する時期であり、「巌」という漢字を「みち」と読む可能性はあります。
ただ、弟の縁壱(よりいち)はほぼほぼない名前であると考えます。この名前は、音訓不統一なので諱ではありません。通称と考えても、人名に用いられる数字の書き分けとして、この時代には「壱」の字は使われません。大正時代でも珍しいと思いますが、戦国時代ならなおさらです。縁壱(よりかず)という諱ならまだ可能性があったと考えられます。
単行本に巌勝と縁壱の命名エピソードが載っていますが、両者の名前のタイプには大きな隔たりがあり、名づけ親が父母で違うというだけでは説明がつきません。
ま、そもそも、出自が戦国時代の武家なら大人になるまでは幼名を使うので最初から諱を持っている時点で不自然なのですが。


・鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)
本編で鬼舞辻無惨は平安時代の生まれと明言されています。私は平安時代の文化全般に詳しい訳ではないのですが、回想で描かれる姿を見るに、少なくとも貴族ではあった模様です。
20歳が近かったような描写から推量するに、既に諱は持っていたはずです。大正時代から逆算して千年前、すなわち西暦900年頃であれば、幼名の慣習が芽生えたか芽生えなかったかの頃なのですが、幼名があれば幼名を、なければ最初から諱を持っていました。少なくとも生まれながらにして「無惨」という名前であったとは到底考えられません。
いつからこの名前だったのかは本編で示されていませんが、変化を嫌い不変を好む無惨が、ころころ改名していたとは思えません。おそらくはこの名前を用い始めたときから、ずっとこの名前なのでしょう。
無惨は鬼名として例外的に捉えられるにしても、鬼舞辻には引っかかりを覚えます。鬼、すなわち鬼舞辻無惨の部下たちは“名字らしきもの”を持っていません。“名字らしきもの”を冠しているのは鬼舞辻のみです。平安時代後期には高辻家が興ったりしていますが、「辻」が名字らしい要素と捉えられるにはもう少し時間がかかったでしょう。それより何より「舞」の異質さが気にかかります。前述の「髄」、「嶼」、「透」などと同じく名字らしくない用字です。鬼であるなら人間の文化に添うこともないですが、「辻」を使うなどして名字らしさを出しているのなら、「舞」のような名字っぽくない要素は避けて欲しかったと強く感じます。

いないと思う名前でも背景が描写されていれば、納得ができます。例えば、鬼の妓夫太郎(ぎゅうたろう)はこれが人間の時の名前と同じであり、「役職名をそのまま名前としてつけられたのは妓夫太郎だけではないだろうか」と説明されています。妓夫太郎が人間だったのは江戸時代中後期と想定できますが、そのころ朝廷の役職名を名前として用いることは普通に行われていました。花街の役職名が本名になることはまずないと思いますが、上記の通り説明が施されており、納得ができると言うか、むしろ面白いとすら感じました。


ここまで述べてきたことをまとめると、以下の結論となります。

・全体を均して見れば大正時代らしさが出ているが、主要人物に着目すると奇妙な名前が多い
全体を俯瞰的に見れば、それほど外れた名前ばかりではないのですが、主要人物名は創作時に肩に力が入るのか、違和感を覚えるほど外れているケースが比較的多く観察されました。
炭治郎の弟・茂(しげる)、稀血の清(きよし)は大正時代の人気の名前ランキングトップ10の常連です。蝶屋敷で働くきよ、すみ、なほも当時的にごく普通の名前であったと言えます。この程度の名前を上手く混ぜ合わせて構成できれば、もっと美しい名前の幹部たちが創れたのではないかと思います。


・漢字や名前に対する関心は強そうだが、文字バランスや音訓には無頓着
「髄」や「芭」など名前には滅多に見られない漢字。「嘴」や「嶼」などそもそも難しい漢字。こういう文字をわざわざ使っているところに、作者の漢字に対する関心が看取できます。それに「ひめ」に「悲鳴」の字を当てているところから、その応用に挑む姿勢も感じられます。
ただ、鱗滝左近次や嘴平伊之助といった、文字の重量バランスが偏った名。時透無一郎や不死川実弥といった、音訓不統一の名が平然と現れるなど、運用レベルは未成熟。
半天狗の喜怒哀楽鬼・可楽(からく)、積怒(せきど)、哀絶(あいぜつ)、空喜(うろぎ)を見た時は「何でそこ訓にした」と思わず声に出してしまいました。
文字バランスや音訓は、特別な鍛錬を経ずとも簡単に調節できるので、創作をする方は是非とも注意していただきたい点です。


・諱型の名前が少なすぎる
ここまでは登場した名前について触れてきましたが、登場しなかったがために気になる名前もあります。とにかく諱(いみな)系統の名前が少ないです。主要人物では継国巌勝のみで、それも鬼になる前の過去のもの。その他となると、炭治郎の祖先・炭吉(すみよし)。実弥が出会った隊士の匡近(まさちか)。無惨が化けていた子供の俊國(としくに)、それから巻末のおまけに出てきたたかはる。ここまで細かいところまでほじくり出さないと見つからないほど少数です。特に味方サイドの主要人物に一人もいないのはアンバランスと言わざるを得ません。
ただしかし。現代編に登場した炭治郎子孫の炭彦(すみひこ)と、善逸子孫の善照(よしてる)は諱型の名前です。現代風の命名に迎合するならば、たとえば炭翔(たんしょう)、たとえば善賀(ぜんが)のようなに名前になるはずです。また最終巻のおまけには実弥の子孫の実弘(さねひろ)も出てきました。
もっといてもよかった大正時代の序盤にほとんど登場せず、そういった型の名前が減っている現代にいくつも現れる。諱型の名前が終盤から急に増えたあたり、作者が気づきを得たのもしれません。そうとすれば次作への期待が高まります。


――色々述べてきましたが、「言葉遣いまで全部当時風にしろ」、「当時存在しなかった語句を出すな」、という主張が極論であり非現実的であることは重々承知しています。それに、服装や髪型を当時にきっちり合わせていたら、画面映えせず少年漫画として退屈でしょう。
ただ、漢字や名前に関心が強いのなら、名前くらいは正しくこだわって欲しかったというのが私の正直な感想です。

全体を通して「当時らしくない」、「名前らしくない」と否定的なコメントをした名前が多かったかもしれません。しかし、ぶっ飛んだ名前・常識外れの名前はいつの時代にも存在していました。大岡破挫魔(おおおか はざま)という人物が実在しているのを見ると、どんな名前も「あり得ない」と断言はしにくくなります。それこそ魘夢(えんむ)や猗窩座(あかざ)といった名前の人間すら存在しかねなかったのです。ここまでの分析文で「まずあり得ない」、「いないと思う」という言い方をしているのはそのためです。
なので、ここで述べたことに反する実例を見つけたとして、鬼の首を取ったように喜ぶのはやめてくださいね。

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