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アクティブ・リスニングの可能性【SDGs表現論DIALOG#7】

 こんにちは。インパクトラボ・スタッフの畠です。



 「SDGs表現論 -プロジェクト・プラグマティズム・ジブンゴト」書籍化(3/31出版予定)にあたり、SDGsに取り組む大学生・高校生と、書籍の内容をもとに「SDGsに取り組む」ことについて対話する企画が「SDGs表現論DIALOG」です。
著者である山中 司(立命館大学生命科学部教授)と上田 隼也(一般社団法人SDGs Impact Laboratory 代表理事)とゲストの方々との対話をお届けします。

 SDGs表現論は、一人一人が「自分ごと」としてSDGsをどう捉えるべきかについて、考える機会を提示するものです。キーワードは哲学としてのプラグマティズムと、方法としてのプロジェクトです。個々の興味、関心、問題意識は、必ずSDGsにつながるという信念のもと、一人一人がマイプロジェクトを立ち上げ、そこにSDGsを乗せ、まず活動してみることを提案します。戦略的にSDGsの視点を入れ、一人一人が社会を変える主役になるべきことを強く訴えます。2019年度立命館大学教養ゼミナールとして開講され、2020年には大規模オンライン講座JMOOCにて開講し、約5000名に受講されました。


 今回は、立命館守山高校国語科教諭の太田知佳先生をゲストにお招きしました。ゲストの太田先生が所属する立命館守山高校では、高校3年生のグローバルクラスを対象にグローバルAP科目を実施しています。この授業は、立命館大学教養科目のSDGs表現論のエッセンスが入った高大連携の授業になります。その授業の講師を山中先生と上田先生が担当しています。ライターの私自身立命館守山高校の卒業生であり、太田先生には高校生のうち2年間大変お世話になりました。
*APは、Advanced Placementの略になります。

 はじめに、ゲストの太田先生から本を読んだ感想や気になった点についてお聴きしていきました。

自己と他者、利他と利己。

太田 読んでいて「自己と他者」というキーワードを軸に「利他」も浮かび上がってきました。「ジブンゴトになる」ということはやらされているという感覚から内発的にやりたいであるとか、やっていくということに変換されるのかなと考えていました。例えば、探究のトピックを決めかねている生徒がある人へのフィールドワークや取材で自分の気づかなかった内発的なヒントを得たり…

山中 SDGs表現論という講座を1年半担当しましたが、好きなことの追求をしながら単位や授業が成立するのってコスパが良すぎるのでは?と考えていました。もちろん、好きなことの追求、という内容ではうまくフィットする学生と中々そうでない人がいますよね。こういう部分に教育機関の限界を垣間見たり、そもそも好きなことは授業や講座外でもできてしまうとさえ思ったりしました。

太田 なるほど。私自身、この1年はジブンゴトがやっと鮮明になった年でした。教師である以上、〜でなくてはならない、〜しなければならないというある種のガードがあった気もします。しかし、生徒たちとひたすら自分が好きだと感じることをしていくと、みんなにフィットした部分が多く、感謝の気持ちや何かお返ししたいという気持ちが浮かび上がってきました。そこで生きてきて初めて、誰に言われたわけでもなく論文という形で文字に落とし込んでいます。それが苦じゃないんですね。でも、生徒には多く論文を書かせてきたので、「あんなに沢山文章を書かせてごめん...」と言いたくなりました。純粋に自分が体験したことから自分なりの想いをやりたいこと化していて、他者・感謝というものに可能性すら感じましたね。

山中 それでいくと、好きなことの発見や問題意識を発見するのは必然的ではないのかもしれませんね。

太田 人にどれだけ巻き込まれたのか、みたいなところが明確になってそれが偶発的に起こると素敵ですよね。

上田 そうですね。僕の経験からして「評価されるから」という理由でうまく評価する人に合わせて話してくる人はわかるようになってきました。偶然見つかるやりたいことを発見する力を20歳前後で見つけるなんて同世代の中でも100分の1の確率といっても過言ではなさそうです。ある種の職業病で感じるのかも思いますが、そういう好きなことやジブンゴトを見つける上で運を引き寄せるというのもキーになってきそうです。借り物競争に強い人が勝つ、みたいな感じですね。

山中 そういうことが発見できる確率を10,000分の1からいかに1,000分の1にするか。多くの人にチャンスを!と思ってもなかなか難しいですよね。


余白を上手く与えることができるか

太田 「余白」であるとか、「利己」という言葉も一つキーワードにも繋がりそうですね。若者にはこの余白がたくさんあるはずなのに、これまでの教育ではそれをうまく引き出せていない感じがしました。「個性的であれ」という言葉でさえ、既にモデル化されているようでそれが評価の対象、すなわちその評価で余白は消されてしまっている。一方で、コロナがいい影響を与えてくれたという風にも思います。これまで、授業の流れに沿った答えを出さねば!とキョロキョロしていた生徒がどっしり構えているように感じるようになりました。自粛期間は自分と向き合う時間が多かったはずですから、その影響ですかね。それぞれの学校内で守るべきポジションが無くなった、という特殊な状況だからこそ、そういった変化が起きた気がします。

上田 余裕をいかに見せるか、という部分での駆け引きだったりとか、学校ごとのコンセプトによっても教師は教えるのか、はたまたいろんな機会や場を与えるのか。学生の裾野を広げる、みたいな。探究を行う上で、教える側は必ず通る問いかなと思います。

太田 自分に影響を与える誰かがいるか、ということを考えさせられますね。そういう色んな変化を楽しめたかとか、かけがえのない誰かとは誰なのか・内発的なものは何かといった余白・他者が重要になってきそうです。

上田 ベンチャーキャピタリストって言って、未来を想定しながら、投資をするプロなんですが、キャピタリストはあの人、この人を繋げようっていうことをよくやっていて、教員の可能性もそこで広がる気がします。コーチングとチーティングの使い分けとかですかね。

山中 人の見分けは苦手分野な人もいて、わからない人だっていますし。確かに先生というそのものも変わっていくべきなのかもしれませんね。

上田 そういう意味では、私は所属も含めて今かなり恵まれていて、教えている立命館の附属校生と将来一緒に仕事がしたいか、とか、大きな期待をしている部分はあって。そういう人、仲間を増やしたいですね。それは、決して、経済合理性だけでなく、社会合理性など複数の軸で考えています。

太田 経済的なことだけでなく、ってことですね。

上田 そうです。僕自身もよく自分自身の存在意義(パーパス)を考えますし、そんなこと考えると頭がオーバーヒート寸前になります。

山中 上田くんの場合は一つの肩書きで語れなかったりするもんね。上田先生だったり、上田さんだったり。そういう曖昧さが生徒にとっては新鮮なんじゃないかな。なんと呼ぶのか、という境界線をあえて壊している感じ。特に日本はどの人にも〇〇さん付けでほとんど通るでしょう。こんな国は世界に唯一だと思いますね。ジェンダーも上下関係もさほど感じない平等な要素ですよね。

大学生と高校生のマイプロジェクトの違い

太田 SDGs表現論やAPをする中で、高校生と大学生の違いってありますか?

山中 大学生は耕していくってイメージですね。探っていくみたいな。高校生は成果の追求をしてしまいがちですが、特に立命館の附属校では公立と全く違った学びの場が提供できるので、もったいなかったという悔いは残したくないと思います。もっとできたかなあ・・と思うところもありますが。

上田 高校生には僕、優しいですねってすごい言われるんですが、みんなすごい悩み相談をしてきてくれます。APを通して、若くして多くの悩みを提供しているなと感じると同時に、いわゆる上澄の層の子とそこにしがみついていく子っていうのを見てると社会の縮図を見ているようです。良いスパイラルに入れた子とそうでない子がいるので、きっとAPのような授業を2〜3ターンしていくと1クラス40名いたら半分以上が良いスパイラルに入っていけるのではないかと考えているところです。 

山中 勿体無いのは、みんな本質的に他人のプロジェクトに興味がないところですよね。色んな人にコンタクトを取りまくる子もいれば、しようとしていてそのままになった子も。しかしそれはやれ、と強制できないんですよね。それではジブンゴトになっていないので。


太田 評価者のことを気にしすぎると結局見せかけだけの努力になってそこにエネルギーがないのにやらないとあかん、っていう風に陥ってしまいますよね。評価者と自分だけの世界じゃなくて、その間にもっと他の人がいたり、新しい世界が広がっているのになあ。

上田 SDGs表現論を受講してくれる大学生って、完全に利他的なのかなと思いきや自分のスタンスがわかっていくと3割利己で7割利他、みたいにわかってきます。ビジネスは利他的である方が有意だったりしますが、そういう仕組みづくりが学校内で行われていないなと感じます。みんなで評価の持ちポイントをシェアする、という方向性になればいいのですが・・・

「主体的に聞く」 アクティブリスニングの可能性

太田 高校三年生の授業を担当する中で、現代文の授業で対話を行いました。フィードバックで意外だったのは、対話を通して人前で話す力がついたという実感を持っていた生徒の存在でした。その背景に他人が自分の話をこんなに聞いてくれるんだという状態を経験したというものがありました。その状態になるともっとうまく話したい、伝えたいという気持ちがスピーキング力向上につながっているのかもしれません。ジブンゴトの濃度を高める、みたいな。対話では、ディベートやディスカッションでの勝負ではなく、その場にいるからこその気づきを発見したり個性が出てくるものです。

上田 確かに、そこから過去の自分を深ぼることがあれば自己開示になりますね。対話に答えはありませんし。対話では相手への伝え方を深く考えるので、Z世代のマインドとマッチしている気がします。コンペティション(競争)ではなくコ・クリエーション(共創)ですね。

山中 私が言語を教えている立場として言えることは、日本人はやっぱり割り込みができない。幼い頃から人の話を最後まで聞け、といわれる民族ですしね。それに比べて英語ではそれこそディベートとか、主張したもん勝ちな部分があります。対話においても日本人は一見弱そうですが、太田先生の対話の授業に対するフィードバックからもわかる通り、みんな参加的に聞いているんですね。主体的に「聞く」。そして喋ったかのような気にさせる。日本人の強みであり、生き残っていけるツールの一つにさえなりうるでしょう。

太田 聞かないと、聞かれないと、質問されないと自分の中に「はてな」は生まれて来ないですもんね。

上田 なので僕は、多くのワークショップやプログラムで取材して記事に落とすスタジオ活動を取り入れています。学校にもそんなカリキュラムができればなと思っていますし、「その場をデザインする人」を作っていくのが僕のミッションでもあると感じています。APでは1年かけて生徒を見れたので、ある程度の人の分析ができたのでそこが強みかなと思います。

山中 もう少し工夫が必要だよね。メタ的な人は放っておいても育たないから。

太田 今後の授業作りに向けていい課題発見になりました。


 ここまで、対話の内容を抜粋してご紹介しましたがいかがだったでしょうか。紹介できないない内容もたくさんありましたが、様々な観点から議論が広がっていました。

 前回はゲスト側、そして今回はライターという立場でダイアログに関わらせていただきました。高校生同士ではやはり出てこない言葉のチョイスや話題の転換の様子を見ているとすごく勉強になりましたし、面白かったというのが正直な感想です。対話の授業も・A Pの授業への参加や、SDGs表現論 -プロジェクト・プラグマティズム・ジブンゴト-も読んでの参加だったのでより自分の考えを深めるとともに、大人の対話を体感することが出来ました。
また、改めて自分が今置かれている環境が素晴らしく恵まれていることなのか実感しました。

さいごに

 最後までお読みいただきありがとうございました。インパクトラボでは、SDGs表現論などSDGsと教育に関する講演やセミナーを実施しております。気になる方は、インパクトラボの公式HPから活動をご覧ください。




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