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言葉を交わして、想像力をつくる

一年に一本くらい、好きなドラマができる。今年のそれは、今日10話放送を迎えた、MIU404というドラマだった。

2時間くらいの内容なんじゃないかと思わせるエンターテインメント性もありながら、しっかりと伝えたいメッセージがセリフや設定の端々から感じられるドラマ。オリジナルドラマということで、野木亜紀子は坂元祐二の次にしっかりと名前を覚えた脚本家になった。(アマゾンプライムで、見ていなかったアンナチュラルも見た。めちゃめちゃ面白かった)

回を追うごとに見えてきた、MIU404全体を通したテーマ。そのひとつが、「社会から見えない(見えなくなっている)もの(人たち)」。not foundという意味での404でもあるとTwitterで知って、今までなんとなく感じていた表現したいものが分かった気がした。外国人労働者、非行少年、倉庫で暮らす人、…毎回ストーリーでその問題の背景も扱っている。(女性蔑視もちらほら)

そして最近、友達が働いている会社がつくっている雑誌「コトノネ」の最新号を読んだ。そこにあった記事は、「ホームレスたちのコロナ事情」だった。記事自体は重苦しくなく、少し軽やかに淡々と書かれていてそれがとてもよかったけど、どうしても私は自分が想像すらできていなかったその人たちを思って、なんだか少し、自分の想像力のなさに悲しくなった。見えないもの、全然見えていない。

普通に暮らし、働いている私たちから見えない人、見ていないもの、隠れてしまっているもの、前々から関心はあったけれど、そこに深く関わってきた経験はほとんどない。まあ、ある人から見たら見えない人たちの中に私も入ってるんだろうけど、世間のみんなから見えなくなってるわけではないから。

しばらくそのことについて考えていたけど、だんだんうしろめたさは消えていった。事実として、私にはホームレスの知り合いが一人もいない。言葉を交わしたこともない。伝聞での知識しかない。そういう人に対して、常に想像力は働くものだろうか?難しいんじゃないだろうか。

人の気持ちに対する強い想像力には、言葉を交わした体験が必要だと思った。ニュースや、新聞や、本の、第三者が編集した情報では伝わらないものが、当事者と直接言葉を交わすことできっと少しは伝わる。その体験がないと、どうしても、人は能動的に想像できないんだと思う。(でももちろんそうした小さな声を届けてくれるメディアの存在は気づく一歩をくれるからありがたい)

私がタイの田舎で会ったタイ人も、日本の田舎で会ったおじいちゃんおばあちゃんも、高校生も、大学生も、東京しか知らなかったところから地方に来て出会った人たちもみんな、出会わなければ、言葉を交わさなければ、想像の外にあった人たちだった。

育った背景や世代が近い人たちのことは、ある程度想像できる。ずっと。ずっとそういう人達の中だけで生きていくのは、私にとっては想像力を狭める、恐ろしいことなのかもしれない。

言葉を交わす、というのは、ただの言葉じゃない。その人個人から出た、個の言葉だ。本音や素とも言うかもしれない。何かかしこまった立場ありきでの言葉ではない。

そういう言葉を、もっともっと私の出会ったことのないような人たちと、これからも交わしたい。そうしないと、どんどん見えなくなるもの、想像できなくなるものが多くなる。直接出会えなくても、たしかにその人たち自身の言葉が書かれた本も読みたい。

同時に、今目の前にいる人のことも、ちゃんと見えているだろうかと思う。見えているつもりになって、きちんとその人の言葉に耳を傾けていなかったりしていないだろうか。両方大事にしていくなんて、笑いたくなるほど大変だ。でもそうして、生身の言葉や実感とともに生きていきたい。



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