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ジョーカーだったかもしれない自分

京王線で痛ましい刺傷事件が起こってしまいました。
事件の犯人は、バットマンのキャラクターであるジョーカーに扮していたようです。
以前、映画ジョーカーについての投稿をしたので、この事件について考えたことも書いてみたいと思います。

事件に至る絶望

刺傷事件の犯人は絶望したのではないでしょうか。
自分や周りの人間や社会や、世界に絶望してしまった。
絶望し、すべてがどうでもよくなった。
そして、壊したくなった。
事件に至るまでの犯人は、おそらくこういった精神状態だったのではないでしょうか。

とても悲しい事件です。
どんな事情があるにしても絶対に許されないことですが、完全に他人事だとも思えません。
なぜなら、自分の中にも絶望の小さな芽はあるように感じるからです。
すべてがどうでもよくなる瞬間、いわゆる魔が刺す、という瞬間は誰にでもあるのではないでしょうか。

諦めは絶望の入り口

もし仮に周りの世界に絶望した時、私たちはどうしたらいいのか。
誰も自分のことを大切に扱ってくれない。
優しさも暖かさも自分には向けられない。
自分はひとりぼっちだ。
これからの未来に希望を抱けない。
そのように社会と断絶した(と感じてしまった)時はどうしたらいいのか。
「どうしたらいいのか」を得る機会は、周りを見渡してもほとんど見つけられないような気がします。

……と、以前の僕は感じていました。
周りを見渡しても誰も助けてくれない、と諦めていた。
絶望まではいかなくとも、自分の周りを膜のように薄い諦めが覆っていました。
諦め、という感覚は絶望の何歩か手前です。
諦めが最後に行き着く先は、
「希望を抱くことを諦めること」
「望みがすべて絶たれる」
ということ。
文字通りの
「絶望」
です。
ただ今は、諦めていたのは僕自身の能力が欠けていたからなのではないか、と思うようになりました。

助けてもらうための能力

ちょっと分かりづらいと思いますので説明します。
その能力というのは
「その人自身が自分の状況を認識して、その状況に対して適切な対処をする能力」
ということです。
今こういう問題が起こっているからこの分野に関してはこの人を頼ればいいなとか、あの問題についてはこの制度を利用すればいいのか、などと言った具合の能力です。
問題の把握と、解決先の選別と、実際の行動。
そういった能力があるかどうか。

もう少し分かりやすく言うと、
「私は困っています!助けて!!」
と言えるかどうか。
「ヘルプミー」と伝えられるかどうか。
そして、言う相手を見極められているかどうか。
助けて!を誰に言ったらいいかが分かっているか。

「ヘルプミー!!!」


これがなかなか難しい。
自分で書きながら、うまくできる気がしません。
具体的に誰にどんな言葉で
「ヘルプミー!!!」
と伝えたらいいのかよく分からない。
どうしたらいいのでしょう。

この問題について、僕の中で明確な答えがあるわけではありません。
ただ一つ思うことは、
不安を感じた時にその不安を伝え合うことができる関係性が周りにあるかどうかがすごく重要なのではないか、と考えています。
不安な感情を吐き出せる相手がいるかどうか。
弱音を吐ける人がいるかどうか


今って生きているだけで、コロナに関連した多くのストレスを受けているはずです。
「コロナ禍」と一言では言い表せないほどの、我慢や重圧や負担が降りかかってきています。
少なくとも、今現在の世界はとてもストレスがかかる状況だ、という認識は持っておいた方がいい。
「コロナ鬱」と言葉にしてみると他人事のように響きますが、自分の身にもいつ降りかかってくるのか分かりません。
そんな状況なんだから、もう少し弱音を吐いてもいいのではないか、と。
このコロナ禍に生きているだけで、もうみんな十分頑張っていると思うんです、僕は。
みなさん頑張っているはずなんですよ。
もっと弱音を吐きましょう。

ケアできていないのは誰か


例えば自分にとって大切な人が弱音を吐いた時、あなたはどう接するでしょうか。
その大切な人が弱っていた時にどうするか。
大変だったね。
よく頑張ってる。
あなたには価値があるよ。
ゆっくり休もう。
そういった言葉をかけるのではないでしょうか。
優しさを持って、暖かい言葉で受け止める。
少なくとも相手のことを否定したりはしないと思います。
一言で言うと
「労る」
ということをその大切な人にするのではないでしょうか。

身近な他人を労ることは、比較的誰であってもできるものです。
ただ不思議なことに、その「労る」という行為を自分自身にすることはそう簡単にはいきません。
大切なあの人を優しく労ることはできても、自分に対してはなかなかそのように接することができない。
なぜか、自分のことはうまく労われない。
「セルフケア」という言葉を聞く機会は増えているように感じますが、どれほどの人が個々の「セルフ」を適切に「ケア」できているのでしょうか。


自分だけが甘えているのではないか。
自分以外の人たちは、問題なく過ごしているように見える。
だとしたら、弱音は吐けない。
みんなが必死に頑張っているのだから自分だけが愚痴をこぼすわけにはいかない。
僕も頑張らなければっ!
私は大丈夫だから!
こういう考え方になっていたら、弱音はなかなか吐けませんよね。

「わたしはよくやっている。」

あの刺傷事件の犯人も、誰かに弱音を吐けていたらあんな事件は起こさなかったかもしれない。
愚痴に応えてくれる誰かが周りにいたら、絶望しなかったかもしれない。
あの犯人の姿は、そうであったかもしれない自分自身です。
ジョーカーの小さな芽はいつでも自分の中に根を張っています。
自分が同じような事件を起こさないとは、けっして言い切れない。
自分はそんなに強くないし、弱ったら労って欲しいし、些細なことで傷つく人間だから。

今回の投稿は、全部まるっと僕の愚痴で弱音です。
僕は最近疲れているなぁ、と言いたい。
弱音を吐きたい。
自分を労りたい。
頑張ってるじゃん、自分!と褒めたい。
殺伐としたニュースにも、綺麗な所しか見せないキラキラとしたコンテンツにも疲れました。
それが今の自分の本音。
それでも、自分はよくやっている。
不安やストレスが肌にまとわりつくような状況の中でも、投げ出していない。
自信を持っていい。

みなさんも自分自身のことを労ってあげて欲しいです。
嫌なことって何もしていなくても降りかかってくるものですから。
自分ぐらいは自分のことを大切に扱って下さい。
あなた自身がジョーカーにならないためにも。

#ジョーカー #弱音を吐こう #みんなおつかれさま #自分を労る #ヘルプミー

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