受け入れる

ひとのせいにするのは、じぶんのせいだと、罪だと、向き合うのがつらくてくるしいから。

だから他人事で反省ができない。

つらくても、や、つらいからこそむきあうのだ。
いまむきあえていないことはなんだ。

とりかかるのがおそくて変更が間に合わないことだ。
それは躯体図にじかんをさきすぎて、もっというとわからないことが多すぎてそうなってしまった。

もっともっというと、きくのがこわくて、こんなことしらないのってばかにされるのがこわくて、こんなこときくなっていわれるのがこわくてそうなった。

それってどんな心からくるのだろう?
たぶんだれかにみられたらはずかしいっておもってるのが大きい。
そうやって考えてるから話も入ってこないし、そのばで理解できていないからまた時間がかかる。

なんでそんな自意識過剰なのか。
じぶんも他人を気にしているからそうなのかも。
あ、おこられてる、あ、またミスしてるって。
でもだからといってなにかおもうかというとおもわない、かわいそうとも思わないな。

うーーん、あ、はずかしいんだ。
おこられてるところをみられるのが、ミスしてるとしられるのがはずかしいんだ。

はずかしいってどこからくるんだろう。
わたしのはずかしいという気持ちは「かくしたくなる気持ち」だ。

だからとっさにごまかしたり、うそをついたり、平然をよそおったり。
どう処理したらよいかわからない感情なのだ。

どう処理したらよいかがわかればはずかしい気持ちがなくなって、もっと仕事がはやくなるのかも。

で、どうするか。

まずとっさになにかするのをやめる。
そしてちゃんとかんがえること。
たとえばミスしておこられた。回りに人がいる。
みられてるからばかにされる→されない。
またやってると思われる→おもわれない。たぶん風景のひとつ

…私はなにをきにしていたんだろうとおもうくらいだ。

そして、なぜミスをしたか、これから成功するためにどうするか、反省をしっかりしていないことがわかった。

いやいやいや、まずそこだわ。
反省をして次はおなじ失敗をしないという意思をもつこと。
はずかしいは思い違い。言い換えてすとんとくることばにすると受け入れられる。
てれくさいだとかはそう。

もうすこしまとめられそうだからつづきはこんど。

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