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映画レビュー『対峙』 良作でした

公開2日目に見て記憶も薄れてきたところでのレビュー

※ネタバレあり

まずは『対峙』の公式紹介文

アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が勃発。多くの同級生が殺され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。それから6年、いまだ息子の死を受け入れられないジェイとゲイルの夫妻は、事件の背景にどういう真実があったのか、何か予兆があったのではないかという思いを募らせていた。
夫妻は、セラピストの勧めで、加害者の両親と会って話をする機会を得る。場所は教会の奥の小さな個室、立会人は無し。「お元気ですか?」と、古い知り合い同士のような挨拶をぎこちなく交わす 4 人。そして遂に、ゲイルの「息子さんについて何もかも話してください」という言葉を合図に、誰も結末が予測できない対話が幕を開ける──

映画「対峙」公式HPより

会話劇でこれだけダレないとは…!

111分と決して短くはない上映時間。
ほぼ室内での会話のみ。なのに中だるみ無し。
・手に汗握る緊迫感
・湧き上がる憐憫の情
・時に、怒りも生まれる
・登場人物の感情に連動したカメラワーク(?)

 被害者遺族、加害者遺族、どちらの思いも無視できない…
 観客も双方の葛藤を背負い、重苦しい心のままにラストのあの展開へ…


終盤 被害者母の行動について

母が最後に赦す展開は多くの人が予想できていたのではないでしょうか。
・面会前の母自身の前振り
 ⇒苦しみから解放されたいのだろう。すると最後に言うことは…アレしかない。
・話し合いの場は教会

被害者遺族は赦した。赦す以外に苦しみから解放され前に向いて歩いていける道は無いから。

息子が生きたこと、苦しんだこと、それらを無かったことになどできない。
何故苦しんだのか。その答えを面会に求めるも、突き詰めてもそこには納得できる答えも落としどころもない。
息子が”生きたこと” ”自分に喜びを与えてくれた素晴らしい存在であったこと” ”この世からいなくなった今でも尊い存在であること”
それらは確かなことだった。

壮絶な苦しみの果てに…。
この赦しへ向かう流れは最大の緊張が走る場面でもあり、観客の感情が揺り動かされ、

ラスト見上げていた絵画はイエスキリストの母マリアでしょうか。(違うかも。うろ覚えなのもあり自信なし)
母マリアは息子イエスを罪なくして殺されました。マリアと母を重ねる演出?

罪、赦し、希望、回復の物語

罪の”許し”

対話の中で被害者母は赦しを宣言しました。
しかし、加害者父は面会の最後、(おそらく)赦しの祈りの最中も居心地が悪そうで、面会後は逃げるように去っていきました。
何故なのか。

ずばり、罪の意識でしょう。
最後、加害者母の告白が真実であるならば…そういえば対話中も「仕方が無かったんだ」と言わんばかりの防衛的な冷たさを感じたような…

加害者父は罪を告白もできず、背負ったまま、本当に意味で赦されてはいないままだからです。
被害者遺族の抱く赦せない思い。そして、その責任や原因を自分達に見い出し、責める眼差しで観てくるその苦しさ。

赦しの宣言があったのですからそこからは解放されたのです。もう責められることもない。
でも罪から解放されたわけではないので、決して気持ちが楽にはならない…。

加害者父の人生背景は自身の口から語られることはほぼありませんでした。
一体何があったのか。実は抱えていて言えなかったことが他にもあるのか。誰にもわかりません。
この先、罪に向き合う人生が待っているのか…
誰も一方的に裁くことはできませんから、観客にとってはなんとも表現しがたい感情のまま置き去りにされる展開ですね。

加害父は先に去っていきますが、加害者母と被害者母は最後お互いに抱き合い、労わり合っていました。
赦しは愛です。被害者母は加害者を赦しました。
自分の人生の為でもあったかもしれませんが、心から加害者を赦し、愛する気持ちが確かに生まれていたのです。
人と人が愛し合うこの瞬間こそが、観客が最も温かな涙を流す瞬間だったのかもしれません。

最後に教会の讃美歌の中、被害者遺族夫婦は手を取り合います。
夫婦の人生が回復した瞬間なのでした。

映画『対峙』は鑑賞時間のほとんどが苦しく、しかし、愛と希望に溢れた作品でした。
鑑賞できて本当によかったです。

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