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〜潜水〜

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心のつぶやき
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2022年8月の記事一覧

感情に浸りきりたくとも環境が許してくれない。もうずっと長いこと。このまま麻痺していくのも壊れるのも怖いのに。こうして一生を終えていったのだろうか。(私も終えるのだろうか)持って生まれたものからは抜け出せない。受け入れるしかないとわかっている。でも時々茫然とさせてほしい。少しだけ。

日々、緊張が解けてるのかまだなのかわからない。自分がわからない。一生懸命なだけじゃ駄目。ほっとしてるようで寝てるようで何かしら考えている。何をしても耳元で「駄目」と囁かれる。
せめて私の小さなsmileを手繰り寄せたい。せめて。1年前に、やっと見つけた、たった1つの処方箋だから。

「琴線にふれる」って、なんて凄い言葉なんだ。生半可に使いたくない、とつくづく思う。

私と耳鳴りだけの世界

(真夜中あたまがいたくて目がさめる)

私という1つの幹に還ってくる。
そのこと、忘れたくない。
いつだって胸の奥にしまっておく。
人にも、いつだって私を
そう感じてもらえるように。
羅針盤をぎゅっと握る。

頼まれてもいないのに、常に真面目であろうと何故か生きてきた。私の中のポリシーだったのだと思う。ただ、「いい子」とは違ってたかもしれない。
家でも学校でも何処であろうと、私にとって「真面目(真摯)であること=反骨精神」ひいてはロック魂だったのかもしれない。
自分でも不思議な感覚。。

思い出した時は何度もこの話をしてしまうのだけれど。
若い時、長崎に少し住んでいた。方向音痴の私はその日も図書館の帰り、道を失ってしまった。いつの間にか迷い込んだ広場は表の喧騒と打って変わってしんと静かだった。
シンプルなモニュメントには「爆心地」と刻まれていた。桜と私だけだった。

10年以上も前の「いかに自分はジャミロクワイが好きか」を滔々と熱弁しているBlogを見つけてしまい、赤面している(笑)

Blogを始めてからというもの、いくつかSNSを続けてきて今に至るけれど。
「慰霊の日」と、広島・長崎それぞれ「原爆の日」には、必ず心境を綴ってきた自分がいる。
(なぜか終戦の日にはそれほどこだわっていないが)
震災の日もそうだ。
何が自分を動かしているのだろう。