タイトルがダサい!

タイトルをつけるのが苦手だ。

小学生の絵画、中高で書いた小説、大学で設計した建物、などなど。
ビシッと決まるようないい感じのタイトルが付けられない。


付けられない、だけではない。タイトルを覚えられない。

母親から「ベートーベンの『月光』がさ…」と言われても
新歓で先輩から「じゃあ『新世界』やったことある?」と言われても
ピアノの先生から「次ショパンの『革命』やってみようか」と言われても

曲を聴かないとわからん。

タイトルだけ聞いてもわからないので「えっと、どんな曲でしたっけ?」と聴くと「こいつこんなことも知らないの?」という顔をするし母親は「知らないの?」と馬鹿にしてくる。


これは幼少期の私の音楽の聴き方に問題があると思う。
音楽を聴く時は大体車の中で、母親がクラシック音楽と山下達郎と忌野清志郎とQUEENのCDを流し続けていた。音楽を聞いていても母親にいちいち「これ何ていう曲?」と聴かないので曲だけが記憶する脳に育ってしまったのだ。
もし私が車でJ WAVEを聴く家庭に育っていたら、曲の後に必ず声のいいナビゲーターが「〇〇で〇〇〇でした」と言ってくれるので、曲とタイトルと演奏者までセットで覚えられる脳に育ったに違いない。



以前私の愛するNulbarichのJQが、作品のタイトルについてこう語っていた。

「美術作品のタイトルとかマジで嫌なんです。自分の思いみたいなものを、絵っていう決してわかりやすくはないものにあえて落とし込んでいるのにも関わらず、そこにわかりやすいガイドとなるタイトルをつけるのって、すごくナンセンスな気がする。」


私がタイトルをつけられないのもそういうことである(違う)

彼が生み出す作品は、本当に素晴らしくて飴で作られたシャンデリアのような、「わあ!」ってなるものばかりだし(この例えあってるのか?)
曲を聞いてわーって広がる高揚感みたいなのが「ああ、やっぱこのタイトルがしっくりくるよね」って落ち着く。
自分で何を言っているのかわからないが、要はJQと私はタイトルのセンスに差がありすぎるのだ。


タイトルよりも中身を重視したいし、タイトルなんてどうでもよくね?と思っていた。時期もあった。


noteを始めて少し感じたのが、読みたい記事はタイトルで選んじゃうよなあということだ。
「え?なになに?続きどうなるの?」と思えば本文も読みたくなっちゃう。


いや待って。タイトル大事だと思ったことないわ。建築物も!絵画も!

大事だと思ったのnoteだけだった!



タイトルは意外と大事らしい、相変わらず付け方がわからないけど。

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