食わず嫌いは可能性が拡がるかもしれない
どうやら大人になると味覚は鈍くなるんだそう
その原因は「味蕾」という細胞、読み方はみらい
舌にあるこの細胞は、味を感知して脳に伝達し、歳をとるにつれて減少するらしい
青年の頃、吉野家に行けば玉ねぎ抜きを注文し、
びっくりドンキーに行けばクリームソースのサラダから器用にグリンピースだけをつまみ出すほど好き嫌いが多かった
初めてビールを飲んだ時、に、苦い…と思う気持ちをマウントして大人ぶっってたのを思い出す
なんでこんなもんがコーラの2倍以上高いお金払ってまで飲みたいんだ親父はっ
それが今やビールなしでは生きられない
居酒屋に行けば玉ねぎステーキかオニオンスライス必須だ
僕のみらい細胞どれだけ減少してるんだろう?
このままおじいになったら、味なくなるんじゃないかと未来に余計な不安が増えました
でも、いつの間に食べれるようになったんだろうか?
人間は危機管理能力から記憶を遡ることができ、嫌いなものは嫌い。体の変化は感じないのにこんな感覚だけはあるから自ら動くことは考えにくい
あ、社会か
社会に出ると、会食やコンパなど見栄を張る機会が増える
何より、出されたものは残さない美徳意識という名の他人の目が気になる
そんな状況で嫌いなものを無理やり食べるとだんだん昔ほど嫌いじゃない気がしてくる
それが慣れてくると、自己的にちょっと嫌いだったもの食べてみようかなと謎の挑戦が繰り返される
い、意外と美味いじゃないか。。
昨日、なんとなくこんなことを考えていたらふと、
これって味覚だけじゃないではなかろうか?
食わず嫌いならぬやらず嫌い
いや、国語的にはやらず嫌いも一般的には食わず嫌いって言うか
そんなことはどうでもいい
子供の頃嫌いだった、好き嫌いも食わず嫌いも大人になってからやればどうなんだろう
なんとなく今までの経験上、舌だけでなく体全体に「みらい」があると仮説を立ててみる
そんな感じで国語が大嫌いな僕が、ブログを始めたら文章が好きになり、読書までする始末だ
きっとこの仮説は正しい
趣味も含めて、いろんなことを少し慣れるまでやってみると可能性が広がる気がする
そんな未来を検証しよう!
ちなみに納豆は今も嫌いです
おしまい
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