相沢沙呼著『雨の降る日は学校に行かない』

中2女子のRSが、いつも持ち歩いているという1冊。著者の相沢沙呼は『medium 霊媒探偵城塚翡翠』で昨年のミステリ・ランキングで3冠を達成した、話題の作家ですが、そのずっと前から、彼女は相沢沙呼のこの短編集を愛読していました。何度も何度も、読み込んで来たのでしょう。素晴らしい書評です。ぜひ読んでみてください!



『雨の降る日は学校に行かない』 評者 RS

 優しくて、大人しくて、その分迫害されやすい女の子。あなたの中学校の教室にきっといたそんな子を主人公に据えて書いた本が、相沢沙呼の『雨のふる日は学校に行かない』である。
「プリーツ・カースト」の語り手エリは、二年になってから不思議なことに気付く。それは、仲良くなる子のスカート丈が自分と同じということだ。そしてスカートの丈がクラスでのランクを表す。スカート丈が短ければ短いほど、ランクが上でクラスの代表として輝ける。長い子は暗くてキモい。スカート丈を短くできる子は短くできる子同士で集まり、短くできない子は、短くできない子同士で集まる。スカート丈の異なる子と仲良くすれば自分のランクも変動してしまうし、そもそも共通の話題がない。エリは前者で、毎日を謳歌している。
 この本の中で唯一キラキラしている主人公が彼女である。
 友人の梓が、その場にいない、スカート丈の長い真由を馬鹿にしているとき、エリは真由がおたふくに似ていると言ってしまう。「たとえ小学生のころ、あたしと真由が友達だったのだとしても、既にランクが違ってしまっている現在において、一緒に過ごす理由なんてない」と思うからだ。クラス全体にそれが広がり、真由は陰でおたふくと呼ばれるようになる。そこから始まったいじめは、真由のさわったものにはおたふく菌がつくとされる、真由の物が隠されるなど、悪化していく。
 自分のせいで真由がいじめにあっていることを気にしていたエリは、傘を隠され困っていた真由に傘を貸す。
 また別の日には教室を飛び出していった真由を追いかける。体育館の裏にいた真由は、だいぶ日が経っているのに傘を返していないことを謝る。
「教室で、返すと、きっと迷惑だから」
と。
 エリは梓のことをずっと「ふわふわしたおしゃれさん」だと思っていた。しかし自分達のしていることはいじめだと気づいたとき、梓のことを「支配者」だと思う。
 二人ともきっと優しく、弱いのだ。だからエリは真由を笑い者にしてしまう。真由はいじめられても黙っている。
 このあとにする大きな決断が私は好きだ。
表題作の語り手サエは、毎日いじめられている。きっかけはクラスの中心人物飯島さんからのメッセージを一日既読スルーしてしまったこと。それだけのことで友達だったはずの飯島さんは教室内外にサエを無視することを徹底させる。牛乳をふいた臭い雑巾を顔に投げられる。メッセージで悪口雑言を吐かれる。校内で口を聞いてくれるのは、同級生のいない中庭に逃げたときに会う保健室の長谷部先生だけ。それでもサエは教室に行く。普通でいたいから。サエは小二のときに、当時の担任と母親の会話を盗み聞きしてしまったときの「生きにくい子」「どうやったら治るのか」という言葉が忘れられないのだ。他のクラスの友人にも無視され、担任にも責められてしまったサエはある日限界が来る。学校に行けなくなってしまったサエを、長谷部先生がたずねてくる。教室に行けなくてもいいと沢山の選択肢を示してくれるのだ。長谷部先生は、学校で何回もホースを使って虹を見せてくれていた。サエは最後、虹は、作れるよ。と思うのだ。サエの虹は何だったのか。
 他の登場人物の言葉にも感情を揺さぶられた。
「ねえ、卵の殻がついている」の主人公ナツは、同じ場所にいたはずの友人が一歩前にいることに驚き、怖くなる。そんなナツが、いつも道標になってくれる人に言われる「人間は大きくなっていく、身体じゃなくて生きていく場所とか人との関わりとか。大変でも生きている」という言葉に背中を押される。
 「死にたいノート」の主人公藤崎涼が思う、「雨の降る日は好き。わたしが憂鬱に沈み込んでいても、神様が許してくれるような気がするから」という言葉に共鳴を覚える。
「放課後のピント合わせ」では、疎遠になっていると思っていた友人ナオに(内気で人見知りな)主人公しおりが言われる「あー。しぃちゃん写真好きだもんね」という言葉に、誰かが自分を見てくれているかもしれないと希望を持つ。
 サエや真由を追いつめたのが言葉だ。しかし私が支えられているのも言葉だ。この本では言葉の持つ力を考えさせられる。
 あなたは明日からどんな言葉を使いますか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?