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音楽を聴けなかった季節について

 諸般の事情により、およそ半年間ほど新しい音楽を聴けなかった。俺自身も曲を作りたまに人前で演奏し歌う。腕前はとても褒められたものではないが、俺にとって音楽というのはかなり重要なものであり、それが2018年からほぼ更新されないというのはなかなか苦痛だった。

 そういった時に俺を助けてくれたのがsound cloudだった。何しろかなりの曲がタダなのだ。俺が辿り着ける音源はたいていが元になるような音源ありきのマッシュアップだったが、稀に「よくこんなわけ分からん曲を作ったな」というような完全オリジナルの奇妙な曲もあった。そういった過程で今まで生でやろうとしていた自分の曲の演奏や歌唱などを見直そうかという個人的なムーブメントも起った。曲も歌もドヘタクソならば、いっそガッチガチに作り込んだものを録音し、それをなぞるように練習しまくればいい。ある意味では俺の中でブレイクスルーが起こった。また歌詞というか、そこに何を込めるかという面でもブレイクスルーがあった。

意味なんて一切必要ないのだ。全部破壊すればいい。それは聴いた人が各々で感じ取るものであり、俺が君が代を歌おうがデンタルフロスの曲を歌おうが可能性としてはほぼ同じだ。


 ある意味では絶望的ですらあった。俺はずっと音楽が好きで、追いかけ続け、ある時からはプレイヤーになった。でも俺はこんな単純なことにさえ気付けないまま36年も生きてきたのか?なかなか認めたくない事実だが、これは俺の現実だ。

 そうしたあまり直面したくない現実により、逆に自分の現状が見えたという面もある。おそらく俺は言葉というか語義というか、そういったものに縛られすぎていた。だがそれも捨てるべきものだ。俺は言葉に囚われていた。36年もの間だ。

だから俺は俺の語彙を破壊する。


 これに囚われて36年も生きてきたのだから、新しい可能性を試したっていいだろう。ダメならまた新しい方法を探す。もっともこれをやり続けてずいぶんと経過しているようだが。俺には色んな面で全く斬新だというような曲は書けそうにない。でも音楽やめたいとは思わないし、新しいやり方を探すべきなのかもしれない。俺は絶対に音楽をあきらめないし、何かしら新しい方法があるならそれを追い求めるだろう。俺はミュージシャンなどではない、単なるショーマンだ。アーティストなどという陳腐な肩書きは大嫌いだ。

ステージに上がる度胸以外にショーマンに何が必要なんだ?俺にはそれすら理解できない。


https://soundcloud.com/discover/sets/personalized-tracks:22531906:670697267

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