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お話の話

 俺には甥がいる。甥は現在小学校の高学年に差しかかりつつあるが、まだ自転車に乗れない(何でも校則で定められているらしい)身長150cmの得体の知れない生き物だ。むろん甥なのでその母親は妹であり、俺が知る限りでは毎日のように姉と口喧嘩をしてとにかく文章というものをほぼ摂取しない人間だった。妹はテレビも見ないし雑誌も読まないし、あるいは意図的なものなのか、おそらく教科書でさえも必要な部分にしか目を通していないんじゃないかというくらい文章を読んでいる姿を見た記憶がない。身長170㎝を超えるスレンダーな女が文庫本でもめくっていればそれなりに画になるだろうに、ついぞそういった光景を見たことはない。
 その妹が甥に向かって「俺でも母親にここまで言われなかったんじゃないか、というかそもそもお前もあんまり勉強してなかったじゃん」というくらい甥を激しく叱りつけるのだ。俺はその妹の剣幕に気圧されると共にある事実に気付いた。おそらく今の甥は物語を読めない。
 
妹が甥に与えているのは忍たま乱太郎やクレヨンしんちゃん、ドラえもんなどの各エピソードが10分以内に終わって完結している、ある意味での短編アニメだ。一度甥に映画のDVDを貸した後に「内容を説明してみろ」と聞いてみた。甥は説明できなかった。その時貸したのが何かは覚えていないが、そう入り組んだストーリーではないはずだ。これはソフトの進化による弊害かもしれないが、おそらく甥は自分が好きなチャプターだけを繰り返し見て話の流れをほぼ理解していないのだ。これは個人的に思っていることだが、これからのコンテンツ産業は短くてそれなりに内容があるというものが主流になっていくだろう。youtubeのゲーム配信動画に育てられたような子供がそう簡単にタイタニックやシンドラーのリストのようなやたら長大な作品に馴染めるとは思えない。それ自体は時代の変遷の一部だろうし特に悪いとは思っていない。だが人間とは物語だ。歩くドラマだ。それを10分枠で切り取ること自体がほぼ不可能だしとても失礼なことだ。
 世界が10分枠で切り取られた未来を想像することは難しいが、どうにも俺のような時代遅れの人間には居心地が悪そうだ。別に後の世代が世界を10分枠で再編成しても構わないが、物語を解体しないで欲しい。それが今の俺の願いだ。

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