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新しいコミュニティに入る前に持っておきたい気持ちの整理法

「海外へ留学かインターンを考えているんですが、アドバイスくれますか?」

勤め先の大学で、私たち「英語嘱託講師」が普段いる部屋には、時々この手の質問に学生が来る。
すると決まって、オーストラリアから帰国したばかりだということで、僕が対応することになる。

今日も、「英語圏への留学かインターンに行きたい!」という一年生の女の子二人に対応した。

彼女たちはまだ、漠然と海外に興味はあるものの、
本当に現地で何をしたいかが曖昧だったので、
まずは自分の行きたい国やプログラムに対してどんな期待を持っているのか、
一緒に整理するところから始めた。

渡航の時期や予算、その時までに何単位取得できるかなど、
考えなければいけないことをリストアップして、情報の調べ方を教え、
僕の海外での実体験を質問されたら答えるなどした。

留学や現地での過ごし方についての制度的、物理的なことから、(一番)「しんどかったこと」や「楽しかったこと」、現在の大学での仕事にどうやって就職できたかなど、質問の種類は多岐に渡り、
途中からトークイベントのスピーカーが、
客からの質問に逐一受け答えするような空気になってしまった。

僕の向こうでの一年間は、出会った人に恵まれたし、
帰国後そのまま仕事に就けたので、海外に行くことをつい気安く勧めてしまう。

だが、意外と最近の高校生・大学生くらいの年代が知っている世界は狭く、
「留学」や「インターン」などはおろか、海外に行くこと自体が、
あまりイメージの湧かないことだったりする。

これだけネットが普及し、
世界中の人とSNSで簡単にコミュニケーションができる時代において、
わざわざ外国に行く必要を感じなくなっているのかも知れない。

そしてもう一つ、それ以上に意外・・・でもないが、考えさせられることがあった。

彼女たちの最大の関心事は、実際に現地で「何を」するかではなく、「誰と」出会うか。
つまり現地でどんな人と出会い、彼らと友達になれるかどうかであった。

「英語や現地の習慣がわからんくても、外国人って親切にしてくれますか?」

「何か(海外経験のある)先輩言ってたんですけど、留学行くとその国の人だけじゃなくて、
色んな国の(色んな国にルーツを持つ)友達ができるって聞いたんですけど本当ですか?」

「うちコミュ障で、ここ(大学)でも最初やばかったんやけど大丈夫ですか?」

断っておくが、見た目も話し方からも確実に「コミュ障」とは対極の子たち・・・だと思う。
それはさておき、質問の内容に対する答えに関しては、
本当にどんなメンバーが参加するかで毎回変わることだと思うので、

「どうなんだろうねー」
「知り合った人には積極的にあいさつからでいいから話しかけてみたら仲良くなれるんじゃない?」

などと返答には苦労した。すると、

「やっぱり行く前からしっかり目標を持ってないとダメですかね?」とか、
「自分から動かないと何も変わらんから、受け身じゃあかんて高校でも言われた」

という方向に話が行きかけたが、そういうことではなかろう・・・

自分が海外で友達を作るために心がけたことなんかあったかなー、と思考を巡らせてみたが、
あいさつするとか積極的に会話するとか、
英語の授業でも言っているようなことしか思い浮かばなかった。

というかむしろ、そもそも人間関係に限らず、同じ体験をしたとしても、
実際にそれをどう解釈するかで本人の感じ方は全然違ってくるだろうから、
僕が本当にアドバイスすべきことなのか疑問に感じてきた。

留学のような大きな決断に限らず、
新しいコミュニティに入ったり、人と知り合った時、
人や物事の良い面に目が行くのか、
減点方式で人や物事の悪いところばかりに意識が向いてしまうのかで、
全く同じことを他人からされたり言われたり、同じ経験をしたとしても、
捉え方は変わってくるだろう。

そう考えると、思ったよりも自分の頭の中がスッキリした気がしたし、
むしろそういうことを助言してあげても良いのかも知れないと感じた。

そこで僕は、彼女たちに分かってもらえるようにいくつか例を取り入れて、
考えついたことを伝えることにした。

すると、彼女たちの方から、

「要は人のいいとこ探そうとした方が、新しい環境になじみやすいし、友達もできやすいし、
何かあっても成長できるってことやね。うちそれ高校の顧問にも言われたー!笑」

などと過去の経験と結びつけて解釈してくれたので、まあ理解してくれたんだろう。

ただ、僕が何でそんな話をしたのか若干不思議そうに、「先生って心理が専門ですか?」と訊かれた。

違うと答えたが、二人からは「あまりくよくよしないタイプ」だろうとか言われ、
「気持ちを強く」保つ上で何か僕が心掛けていることがあれば教えて欲しいとのことだった。

これも答えるのが難しい・・・!
でも確かに、心当たりが全くない訳ではなく、
毎日日記を書くようになってから自分も他人も無駄に責めることが減り、
友達作りについても、最初苦手だと感じた人と仲良くなることが増えた気がする。

けど「日記書け」なんて言ったら面倒くさがりそうだなと思って、どう伝えようか考えていた時、
ふと『言葉にできるは武器になる』(梅田悟司著)という本の一節を思い出した。

(モヤモヤした気持ちがあって頭がスッキリしないときは)

“書き出す言葉は、単語でも、箇条書きでも、文章でも構わない。無理に文章にしようとすると、うまく書こうとしてしまったり、論理的に考えようと身構えてしまうため、良い結果に結びつかない。〈中略〉最初のうちは頭に浮かんだ内なる言葉が消えてしまう前に、とにかく書き留めるのが良い”

ここで言っているのは、「日記」というと腰を据えて文章を(うまく)書くことをイメージして、面倒だと感じる人もいるが、思いついた時に一言その時感じたことをメモするだけでも、自分の気持ちをスッキリさせる効果はあるということだ。

確かにこの本を書いた人も、慣れてきたら文章でまとめた方が良いとは言っている。ただ、単語を並べただけだったり、雑然と思ったことをそのまま書いた方が本音に近くて、後で見返した時にもああこういう時こう感じるんだなと、その時のシチュエーションや心の動きをより俯瞰しやすいとしている。

僕がこの本と出会ったのは、毎日「気持ちの整理」をする為に1日の記録のようなものをつけ初めてから半年くらい経った頃だった。
元々そういう習慣を設けたのは、忙しい毎日のストレス軽減のためだったが、1ヶ月後くらいには毎日それをやること自体が苦痛になっていた。
それが、何故かは覚えてないけれどもこの本を買って読んで上記の考え方を参考にしてから、毎日「嬉しかったこと」・「成長したこと」・「感謝したいこと」・「スッキリしないこと」の4点を一言でいいから書いてみようと、することが明確になり、それくらいなら無理なく続けられている。

だから今、前に比べたら必要以上にすごく落ち込んだりすることも減り、毎日の生活の楽しさや満足度も上がっている体感を得られている。

またこの本はこうも言っている。

“「自分の常識という前提」をいかに捨て去るかが、コミュニケーション効率を高めることに寄与するとすら考えて間違いない”

僕たちは勝手に壁を作って自分の限界を決めてしまいがちである。

この本では、その壁を取っ払うために、
もし異なるシチュエーションや条件下に置かれたらどうするか、
あるいは(身近でイメージしやすい)友人や家族、同僚ならどう考えるかといった、
異なる視点での捉え方を想像しながら書いてみることを提案している。

それによって、今自分が感じている物事の解釈の仕方が偏っていたり、もしかしたら決めつけであることにも気づくこともよくあるという。
特に、人との関係において、人に冷たくされたとか、悪意を持って接してきていると相手に対して感じている時に、あえて何故その人(たち)が苦手なのかを考えて、文字に書き出してみることで必要以上にその人や、その人と上手くやれない自分自身を責めないで済むようになるのではないかという考え方である。

そういう内容を、かなりざっくり学生たちにも伝えると、

「だから先生、私たち(大学生)に身近な内容で色々たとえ話してくれたんですね!」

と褒められているのかよく分からないフィードバックを受けた。

この辺で他の学生や同僚らが部屋に入ってきたので適当に切り上げざるを得なかったが、二人とも疑問を解消してスッキリした表情で部屋を出て行ったので良かった。

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