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本当の心は本当の心へと届く

こんにちは、コジコジです。

最近ツイキャスに少しハマっています。全く人と話す機会がないので、ツイキャスで適度に喋っておかないと、外出自粛終わったら言葉の出し方とか忘れてそうです。まあそんなことはないのですが。

ところで、皆さんはどんな人がタイプですか?この手の質問、合コンなどで常に飛び交ってますが、なかなか答えるのは難しいですよね。僕は大体優しい人とか適当に答えてます。あと黒髪とか。自分のタイプについて改めて考えると本当にキリがなくて、今まで好きになった人の特徴を思い出してわかりやすい共通点が全くないので困ります。例えば黒髪ロングの清楚系が好きって言ってる男の人、たまにいますよね。童貞っぽくてきもいです。ちなみに僕は、ガリガリよりも少しふくよかな方が好きかもしれません。

好きな人論争以前に、人をタイプで分けることがそもそもナンセンスですよね。例えば自分はどんなタイプの人間かって聞かれても、即答できません。自分の事ですら答えるのが難しいのに、他人のタイプについて判断するなんて無理です。人はそれぞれ十人十色の個性を持っています。また、人の特徴や信条は常に変わり続けるものなので、それを典型的なパターンで分類するのはほぼ不可能です。なので、「どんな人がタイプですか?」と聞かれたら、「僕の好きな人は毎回唯一無二の存在なので典型的な型に当てはめて分類できるような人間ではありません。」と突っ返してやりましょう。めちゃくちゃめんどくさい奴だと思われます。というかそもそも「どんな人がタイプですか?」って質問、パッと見では何の違和感も無さそうですが、意味わかんないですよね。直訳したら「どんな人が型ですか?」になりますよね。日本語的には「好きなタイプはどんな人ですか?」だと思います。まあどうでもいいですが。

とは言っても自分の好きなタイプっていうものは確立しておきたいですよね。わかります。そう思った僕は丸2日考え抜いて、やっと自分が好きになる人の特徴を発見しました。僕が好きになる人は「お互いの本当の心を理解し合える人」でした。皆さんなんじゃそれって感じだと思うので解説しますね。ここからが今日のnoteの本題です。

皆さん毎日平々凡々に生きてると思いますが、平々凡々なりに毎日自分に真摯に向き合って、自分の価値観に基づき、またその価値観を育みながら生きています。どんなに怠惰な日々を送っていても、やっぱり毎日頑張って生きている。全ての人はその人なりに毎日考えて考えて生き抜いています。えらい。でも、人それぞれ心の奥での葛藤がありながらも、それが当たり前のように生きています。なので、どれほど毎日必死に生きていても、他人から見たらその葛藤は見えないし、評価してもらえないものです。他人だからしょうがないのです。心ではみんな考えて考えて悩みながら生きていますが、それを見せずに健気に生活を送っているからこそ平穏な日常や社会が成立します。もちろん僕も悩みながら生きていますが、たぶん周りから見た僕はヘラヘラ生きてるように見えると思います。逆に僕から見れば、ほとんどの人がヘラヘラ生きてるように見えます。他人同士だからです。

そんな人間関係の中でも、たまに相手の心の葛藤が垣間見える人がいます。仮にAさんだとしましょう。Aさんは普通の生活を送っており、周りからしても特別努力しているようには見えません。しかし、なぜか僕だけにはAさんの心の葛藤や必死に生きている心がありありと見えてくるのです。そんな経験、ありませんか?他の人がどう感じているかはわかりませんが、僕には本当にたまにそういう人との出会いがあるのです。もちろん思い込みかもしれませんが、なぜか少し話しただけでその人の心が伝わります。そして、大体そういう人も僕の心の葛藤が見えていることが多いです。つまり、心と心が繋がる人っていうのがたまにいるんです。なんだかすごくスピリチュアルな話になってしまいましたね。でも、僕はそういうことがあると思っています。多くは語らずとも、何となくお互いの心が繋がる人。そして、お互いの人生に対して必死に取り組む思いや心が繋がる瞬間。僕はそんな人を好きになることが多いです。

うーん、漠然とした思いはあるんですが、文字にすると訳分からないですね。簡潔に言うと、毎日必死に生きてても周りからも評価されず報われないことあるよねー、でも僕には君の思いが伝わるよー、そういう人を好きになるよーってことです。ちなみに僕が今好きな人も、僕にとってそういう類の人です。表向きでは何となく生きていそうですが、実はその人なりに毎日苦しみながら生きている人。

基本的にはそういう心の奥での葛藤って人に伝える手段もないし、伝える必要も無いですよね。だからこそ、言わずとも心が繋がれる数少ない人を大切にしたいと思っています。お互いの物事に対する価値観だったり信条が近いから、他の人にはわからなくても当人同士の心は繋がるんですかね。僕は、どんなに周りの人に貶されても、そんな人に自分の心を知り、信じてもらえばそれで十分です。

そういう意味を込めて、本当の心は本当の心へと届く、というnoteのタイトルにしました。これ、小沢健二さんの言葉です。

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