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自分軸を他人に当てはめていた話

私は、他校に比べて部員が少ない部活を救うために大量に新入生を入部させた話を一つの「誇り」としていました。(詳細は前回の記事で)

でも最近は、実際にあれでよかったのかなと考える機会が増えました。

今振り返れば、私の中の新歓活動で一番大切なのは部員数を増やすこと。

デメリットなどブラックな部分は全く伝えずに優しく接してほとんどメリットしか言わない。入部したら退部するのは難しいから人員も部費も確保!!!

っていう感じで、新入生個人の貴重な3年間、6年間のことを深くは考えていませんでした。でも、私にも良心がありますから部活の利益だけを考えていたわけではありません。

部活に所属していたときの私は、「めっちゃきついけど、入ったら絶対充実するから後悔しない!!私もそうだったからきっと新入生も入ったら後悔しない充実した青春時代になるはず!!」という信念で新歓活動を行っていたんです。

そのような自分軸の信念を相手に当てはめていたんです。

今考えると、この部活に入ることが必ずしも新入生の貴重な青春時代を輝かせるわけではなかったのかなと思います。

きつい部活だったから途中でだれもが退部を考えたことがあると思います。でも退部するには、怖い顧問の先生と面談が必要でした。

中にはその勇気のいるフローを通して辞めていった子もいます。

そういう子が、全ての学年で少なくとも二人以上いたという現状を考えると、自分軸の信念で新歓活動を行ったのはよくなかったのかなと思います。

当時は、辞めていった子はつらいことに耐えられないんだろうな思っていましたが、顧問との面談をして辞めるという勇気は今ではすごいと思いますし、そこまでしてでも辞めたい部活だったということを考えると自分軸だけで考えるのは無責任だったと思います。

私が耐えられることが相手には耐えられないかもしらない。自分が喜びを感じることに相手は喜びを感じないかもしれない。その逆も然り。

自分の軸と他人の軸は全くの別物ということを全く理解してなかったんですね(^^;;

かといってその当時の新歓活動を改めた方が良かったのかというとそうでもないような気がします。

新歓担当長という立場上、圧倒的な人数不足という問題に対しての責任を放棄するわけにはいきませんでした。

また、ダンス部のためにこの学校に入ってきた子は少なく、「これから1年めっちゃつらいけど入る??」と正直に伝えたら誰も入らなくなってしまい、部活の存続が不可能でした。

なので、まあ難しい問題ですよね。これって。

体制変えればいいやんとなりますが、それも難しいんですよね。

私たちの代で「理不尽には怒らない」と決めて前より雰囲気はよくなりました。でも、中1のきつい中で学んだこともあったので体制は変えませんでした。

厳しくすることが愛だとも思っていたんです。難しい。

これも残ったメンバーが自分軸で考えた結果ですけど、、。

こーゆー問題って人生に10回ぐらいぶつかりそうですよね。


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