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【ホラー小説】Fall down 2 現地報告”佐久間家”

 電話で教えられた通り案内された佐久間家へ着くと、そこには一軒の古民家が建っていた。
 煤けたガラス戸と、錆びたトタンの壁。放置され続けたような庭には雑草が胸ほどの高さで生い茂っていた。
 錆塗れになった軽トラックの荷台にまで蔦や葛が届いている。おそらくはもう使っていないのだろう。あたりには焼けた土と夏草の匂いが立ち込めていた。
 ふと立ち止まり、額の汗をぬぐう。
 ヒートアイランドに苦しむ東京を離れ、山中にある小さな集落に来たとはいえ、8月の日差しは容赦がなかった。
 佐久間と書かれた木製の表札を確認し、建付けが悪くなって歪んだ玄関の引き戸を力を込めて開ける。
「こんにちは」
 僕が声をかけると、奥から返事が聞こえた。
 古い家特有の匂いと、奥の座敷からテレビのワイドショーが聞こえる。
「わざわざこんなどごまできてくっちぇ、学生さんは大変だぞない」
 にこにこと笑う佐久間老人が僕を出迎えてくれた。

「最後にやったのはバブルの後頃だがら、ひと昔も前だぞない、そん時ビデオ写させてくんちぇって学生さんが来たなど、電話で思い出したわ」
 ビデオの中じゃ俺もわががったべや、と佐久間老人は声をたてて笑った。

 僕がそのVHSテープを見つけたのは大学のゼミ資料室だった。
「瀧来集落のノミコ数珠回し」
 茶色のシミが出来ているラベルに黒マジックでタイトルがつけられていた。
 ノイズが走りコントラストがきつく見える映像には、十人ほどの男たちがお堂らしき建物の中、古い畳の上で輪になって座る姿が映っていた。
 輪の中心に小学校低学年くらいの少女が座り、その目の前には桶が一つ置いてある。
 周囲に座った男たちは無言で太いロープのようなものを座ったまま次の人へと手渡し、ぐるぐると回す。
 ロープには無数の玉がつづられており、これが数珠なのだろう。巨大な数珠の円周に沿って老人たちが座っているのだとわかった。
 男たちはわざと音を鳴らすかのように激しくロープを手のひらで擦りながら、隣の人へ伝い渡す。
 この数珠玉が触れ合ってじゃらじゃらと轟音を立てている。
 テープのケースには「協力者 佐久間正」と書かれ、住所と電話番号のメモが挟まれていた。
 このテープにまつわる論文はない。
 おそらく、資料として収集したもののなにがしかの形にはせずにここに眠っているテープなのだろう。
 僕はこれを元に佐久間老人に連絡をとったのである。

「こごは龍神様を天神だ、雨神だつって祀ってんさ、おたくもそご見てくたのが? 滝のとごさお宮あんだっけ」
 この瀧来集落には名前の由来ともなっている瀧来(たきらい)と呼ばれた滝がある。
 瀧来は集落を南北に通る中心の町道から一本東側へ入った林道から、その姿を望めるという。
 まずは佐久間老人から話を聞きたかった僕は、この「ノミコ数珠回し」を行い、龍神が祀られているという瀧来神社へはまだ行っていなかった。
「でもほんとはその先にでっけ川あんだげんじょも、その底さ本当のお宮があるっつんだ。龍宮つってな。だがらノミコの数珠回しやっとぎは、お宮でやった後は川の方を向いてもう一回お参りすんだ」
 佐久間老人はかつてのゼミ生に協力してくれたように非常に話好きでもあり、よそ者の僕にも温かく教えてくれた。

「数珠回しやっとぎは、タリサマ(神主、神職)が夢でみんだど。龍神様が出てきてノミコやれよ、ノミコやれよ、どお告げすんだど。最後にやったどぎのタリサマはもう死んじまってっから、そごの話はきがんになあ」
 VHSテープには袴姿の高齢の男性が映っていた。
 あの男性が瀧来神社の神主だったのだろう。
 少し残念に思ったが、息子が跡を継いでいると聞いたのでいずれ行ってみようと思っていた。

「やっとぎは一回り10メーターはあっぺな、そんぐれえでっけえ数珠をみんなで輪になって座って、それたがって(持って)お宮の中でジャラジャラ回すのよ。真ん中さノミコ座らして。そんどぎは喋んねぇでずっとジャラジャラ回すのよ。すっとジャラジャラ数珠の音だけすんべした、でっけえ音鳴らせば鳴らすほど龍神様喜ぶんだど」
 東北地方において「数珠回し」「百万遍念仏」と呼ばれる行事は各地で行われている。
 通常は地蔵盆や彼岸などの決まった日にお寺に集まり、巨大な数珠の円周に沿って座り、数珠を回しながら念仏を唱えるものである。
 自分のところに大きな数珠玉が回ってきた時に願いを込めると願いが叶うなどと言われている。
 瀧来集落で行われている「ノミコ数珠回し」は、この類型を大きく外れている。
 決まった特定の日に行う年中行事ではなく、神主からのお告げにより開催が決まり、真ん中に「ノミコ」と呼ばれる幼い子供を座らせる。
 さらに、念仏等を一切唱えず、無言で数珠を大きな音を出すように回す。
 何よりも、数珠回しとの名の通り通常は仏教的な儀式であるにも関わらず、行う場所は神社の中であり、その神社で祀っているのは仏でなく龍神である。
 この特殊性に強く惹かれ、僕は瀧来集落を訪れることを決めたのだった。

「数珠って普通丸っこいべした。こごの龍神様の数珠はちとちげえんだ、まん丸でねぇんだ。誰作ったかわがんねえほど前からあっから、誰もいづがらあっかなんて分かるのはいねえべな」
 VHSの映像では確認できなかったが、数珠自体も特殊な形状をしているらしい。是非見たい、ということを伝えると「今度タリサマんとごさ行ってきらっせ、見してくれんべ」と教えてくれた。

 人は忘れるものである。
 東北のオシラサマも信州のミシャグジ神も本来の意味と姿は既に忘れ去られてしまった。
 だからこそ、歴史書に残らない歴史を形にしていかなくてはならない。
 僕はそう教わった。

 佐久間家を出ると、外は雨が降り出していた。

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