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【ホラー小説】Fall down 17 現地報告”橋本家”

 橋本家は瀧来集落の北方に位置し、山の際に近いところである。
 現在は庭に夏草が胸程の高さまで生い茂っていた。
 正面に玄関があると聞いたが、橋本家の前にある道路からは草に埋もれてそれすらも見えない。かろうじて見える農機具小屋は、錆だらけのシャッターが半分ほど空いたまま放置されている。
 当時「死ね」「二度と来るな」「雨のにおいがきえない」等の怪文書が書かれていたという立札を探す。道路から見える位置の軒下にマネキンの首や腕などが刺さった農業用支柱がずらっと並び、その中心に立札はあったらしい。
 やはりここからは見えない。
 僕は事前に佐久間老人から、この橋本家について聞いている。

『橋本さんのジサマは重正さんつうんだけんど、あれがらおがしぐなっつまってなぁ。庭に虎バサミかけたり、きゅうりとかに使う緑色の支柱あっぺな、あれさ血まみれにしたマネキンの首やら腕やらバラバラにしてぶっ刺して飾ったりしてよぉ』
『民生委員さんが来たりしてたみでぇだが、怒鳴り散らして追い返さっちゃりしてたみてえだ。毎日毎日変な立札書き直したり、庭でマネキンの身体、ナタでバラバラにしてぶっ刺してよぉ』
『そんで東京に行った息子らが引き取っただがでもう今は空き家よ』

 気の毒だげんども、おがしぐなっちまうのはわがる、と暗い顔をして佐久間老人は語っていた。

 庭にあったという狩猟用の虎バサミがまだ作動するとは思えないが、僕は念のため庭の中心を歩かずに外側の縁ギリギリに沿って歩くことにした。
 草をかき分けながら家の軒下までなんとか進むと、玄関にたどり着いた。
 玄関の戸は1枚2mほどもある古びた板で大きくバツ印に封印され、ざっと見たところおよそ百箇所近くめちゃくちゃに釘打ちしている。
 この様子を見ると、家を封印したのは東京の息子夫婦に引き取られたという重正さん本人だろう。
 板は長年の風雨で割れて、玄関の戸にはめられたガラスから中を覗いたが、家の中は暗く何も見えなかった。

 そのまま軒下に沿って歩くと、立札らしき残骸と支柱に刺さったマネキンが折り重なっているのを見つけた。
 立札は風雨にさらされており、その文章は読めない。かろうじて「死」「雨」「身体」の文字だけは読み取れたが、これらの文字だけでも読めたことに重正さんが抱えていた念の深さと狂気を感じる。
 マネキンは恐らく元は五体ほどはあったのではないだろうか。それぞれの手、足、首等バラバラにされ、無造作に緑色の支柱に突き刺さっていた。
 顔は割れたものや、眼球のガラスを失ったもの、頭髪がほぼないものが殆どであり、苔むして黒ずんだ状態から恐らく重正さんがここを出るときに無造作にまとめて捨てられたまま放置されていたのだろう。

 そのまま農機具小屋の方へ近づいてみると、木製の犬小屋と鎖が見えた。これが上を向いて吠え続けたという犬がいた小屋だろう。
 佐久間老人はこの犬がどうなったかについてはあまり話したがらなかった。
 聞き取りをした僕はその様子から、おそらくこの犬については精神的に不安定になった重正さんによって殺されているのだと感じていた。
 小屋の近くには引きちぎられたようになった首輪らしきものが錆で茶色く変色して転がっていた。
 僕はこれほどの年月が経っても何故かこの首輪がここに残っていることに背筋を寒くしていた。
 犬小屋には名前を書いていたと思しき板があったが、その名前は掠れて読むことはできなかった。

 その先には水栓柱があった。
 これが当時母親が発見した時は出しっぱなしの状態で、子供用じょうろに水を貯めている途中であり、目の前でその水がじょうろから溢れ出したという水栓柱だろう。
 錆びた蛇口を手に取り、回してみる。
 回すたびに耳障りな乾いた金属音を立てるだけで、もちろん水が出ることはなかった。

『重正さん、おがしぐなっちまってよぉ、画鋲ってあっぺした。あれ、山ほど自分の耳やら顔やらにぶっ刺して血まみれになったりしてたんだ。ほんでそのままにしたりしてたのよ。そしたら、血だか膿だかで画鋲ごとべちゃべちゃに固まっちまってなぁ。おっかなくて目なんか合わせらんねがったで』
『東京に引き取らっちがらは、どうなったがわがんねぇ。生きてるやら死んでるやら』
 そう佐久間老人は俯いて語っていた

 橋本舞ちゃん。当時10歳。
 この家に住んでいた橋本重正さんの孫にあたる少女である。
 舞ちゃんは東京に住んでいる重正さんの息子夫婦と暮らしていたが、今から約30年ほど前、その日は息子さんの実家である重正さんの家に遊びに来ていた。
 重正さんは外出しており、舞ちゃんは庭で重正さんの飼っていた犬と一緒に小さな子供用じょうろで水をかけあって遊んでいた。
 母親が庭で舞ちゃんが犬と遊んでいるところを確認し、舞ちゃんの飲み物を取りに行こうと台所にある冷蔵庫に向かった。
 約2分後、犬が激しく吠えているのが聞こえたことから庭先に向かうと、犬は首を上に向けたまま牙を剥いて吠え続けている。
 どうしたのだろうと母が庭に出たところ、水栓柱の下に置いてあったじょうろを見つける。
 水が出しっぱなしになっており、どうやらじょうろに水を貯めていた途中だったらしく、母親が見ている前でじょうろの許容量を超えたため水が溢れ出した。

 これ以降、舞ちゃんは行方不明になっている。
 事件事故の可能性を踏まえ、相当な人数を投入して捜索したが現在もまだ発見に至っていない。
 母親がじょうろから水が溢れる瞬間を目撃していることから、ついさっきまで舞ちゃんはそこにいて蛇口を捻っていたことになる。
 それからことあるごとに犬は天を向いたまま吠え続けている。
 まるで、何かを知らせるかのように。

 この橋本舞ちゃんはVHSテープに記録された、最後に行ったノミコ数珠回し時のノミコ役の少女と、とても仲が良かった。
 住んでいるところは違えど、瀧来集落には子供自体の数が少ないため、集落に来たときはよく二人で遊んでいたという。
 舞ちゃんが行方不明になった際に重正さんが外出していた理由、それはノミコ数珠回しに参加していたためであった。
 つまり、僕が持っているノミコ数珠回しが記録されたVHSテープには行方不明になったことをまだ知らない重正さんの姿が映っている。
 舞ちゃんが行方不明になって以降、重正さんは精神が不安定になり、佐久間老人が語ったような行動を起こすようになっていった。
 そして重正さんは東京の家族に引き取られ、橋本家は現在のように空き家のまま放置されている。
 調べて分かっただけで、これで八件。
 全てノミコ数珠回しの後に、集落から子供が行方不明になっている。

 僕は家の中からふいに視線を感じた気がして振り返った。
 びりびりに破れた障子戸の向こうは暗く、何も見えない。
 僕はVHSテープに記録されていた重正さんの姿を思い出していた。

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