怪談師と町中華を。1 麻婆豆腐

「玄人が麻婆豆腐に何を求めるか知ってるか」
 レンゲを口に当て、音を立てて麻婆豆腐を啜り上げる奴の姿は泥水を啜るガマガエルを思わせた。
「ヒントを教えてあげよう」
 奴の黒縁メガネが光るように見えた。
「どうせ辛さだろ」
 僕はため息混じりに答えた。
 僕らが空腹を満たし、さらには奴の与太話を聞くほど暇を持て余しているこの中華料理店「姑娘飯店」に来てから、かれこれもう二時間になろうとしていた。
「君は相変わらず全く分かってないね。辛さなんていくらでも足せるだろう」
 奴はずいっと口角を上げたので、よく開く口内が見える。
 やっぱりガマガエルだ。
「ヒントは怪談と同じだよ」
 このメガネをかけた怪談オタクのガマガエル、名前は田村貢太郎という。
 卑屈で、悪趣味で、理屈っぽい。
 怪談好きが高じて今は「怪談師」と名乗り、怪談を書いたり語ったりすることで糊口を凌いでいるそうだ。
 どこまで本当やら。
 そんなに金を稼げるほど、怪談に金を注ぐ奇特な客がいるのか。

「答えは喉越しだ」
 貢太郎は続ける。
「麻婆豆腐は絶妙な喉越しこそが妙味だよ。口の中で味わい尽くし、砕いた豆腐たちが胃へと落ちていく時の片栗粉のとろみが成せる喉越し。この調整の匙加減に職人芸が宿る」
 改めて貢太郎が食べている麻婆豆腐を見る。
 ふぅっと香る唐辛子、生姜、八角をはじめとした華やかなスパイス。荒目のひき肉、全体として黒っぽく、紅い。その中に散らされたねぎの青さと白い豆腐が鮮やかなコントラストを描いている。
「怪談というのはね、聞き終わった後、読み終わった後が重要なんだ。怪異そのものを楽しんだ後こそが」
 怪談とはそんなものなのだろうか。
 聞き終わった後の処理まで気にするのだろうか。
 本文を楽しめればそれでいいのではないか。
「怪異そのものではないのか?」
「勿論、怪異そのものは大事だ。当たり前に決まっているだろう。その話はまた今度だ。しかし、今重要なのは『どんな怪談が最恐なのか』ということにもつながる」
「麻婆豆腐からか?」
「麻婆豆腐からだ。いいか、最も怖い怪談とは『聞いた後にそれを思い出して怖くなる怪談』だ。聞き手の想像力に勝てるものはないからな」
 貢太郎は再びレンゲを口の中に放り込んだ。
 恍惚とも呼べる微笑みを浮かべている。
「怪談には原因も理由も理屈もなく怪異と遭遇するものがある。それは言い換えれば『いつか自分も遭遇するかもしれない』ということになる。よって! 全ての怪談は自己責任系へとなり得る訳だ」
「自己責任系……?」
「それは長くなるから今度だな」
 またガマガエルが微笑む。
「つまり、聞き終わった後に『自分もこうなるかもしれない』と思わせることこそが肝要だ、という話だよ。それが、怪談の良い喉越しだ」
「はぁ」
「そして記憶に残る。まるで口の中に残る辛さのようにな」
「結局重要なのは辛さじゃないのか」
 貢太郎は口角を片方だけ擦り上げて、デザートの杏仁豆腐を口に運ぶところだった。

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