【ホラー小説】Fall down 9 現地報告”ノミコ”
VHSテープにはノミコ数珠回しの映像が記録されているが、その準備段階からテープは録画されており、その中でノミコ数珠回しの準備を取り仕切っていた人物がいた。
佐久間老人にVHSテープを見せて聞いたところ、菅野孝蔵さんという方で瀧来神社の氏子で神社総代なのだという。
そのため、ノミコ数珠回しの手順等にも詳しく以前録画した際も準備から撮影を許可してくれたという。
「いい人だから行ってみらっせ、電話しといでやっから。タリ様とも仲いいがらそっちもお宮の中見せてくんちぇって頼んでみらんしょ」
佐久間老人の紹介により、菅野家へ訪問することにした。
菅野家は集落のほぼ中心に位置し、瀧来へ行くための林道からもほど近い。
菅野家は非常に高さのある家屋だった。屋根の上に腰屋根が乗り、縦長の窓がついていた。
典型的な養蚕農家の家屋である。
事前に瀧来集落では林業のほかに養蚕をする家もあったと聞いていた。
現在では国内の養蚕農家は極端に減っている。
出迎えてくれた菅野孝蔵氏はすでにご高齢で、80歳を超えていた。
あがらんしょ、と通された客間でお話を聞かせてもらった。
客間に行く途中養蚕のことを聞いたところ、やはりかつては蚕を飼育していたという。
菅野老人は懐かしな、と天井を見つめて呟いていた。
「ノミコはこめらこ(子供)から、一人選んで数珠回しの真ん中さ座らせっぺした。んで、目の前に桶あったべ、あれ空の桶なんだ」
VHSテープで記録されていた映像の中には確かに輪になって座る男たちの中心に、小学校低学年くらいの少女と桶が映っていたことを思い出す。
「んで、数珠回しの終わりなんだげんじょ、真ん中さ置いた桶あんべ、あそこからノミコが手で水掬うフリすんのえ。んだば『水出た、水出た、沸いた、沸いた』ってでっけえ声でがなって(叫んで)その空の手から水飲むフリして『うまい、うまい』ってがなって終わんのよ。それでおしまい。」
ノミコとは飲み子と書くのだろう。
映像では手を入れて何かを飲むような仕草と声は記録されていたが、中身が空であることは説明がされていなかった。
そのため僕は実際に水が入っていると思っていたので驚いた。
いわゆる約束動作、儀式的演技というものだろう。
実際に水を入れても構わないわけであるが、それをあえて空の桶で行うということは実際に空の桶から水が沸いたこと、その奇跡を再現するために行っているのだろう。
決められたセリフを叫ばなければならないところ、そしてその言葉を考えると”ノミコの行為自体”に意味があるのだ。
「ノミコやんのはちっちぇ時に川に落っこちたどが、溺っちゃごどあっとか、ちょろちょろしてすぐどっかさ行っちまうこめら(子供)がいいんだど。そんなのが一番なんだど。そったこめらこが龍神様は好きなんだどな」
まぁ大人の手かかるこめらだごっちゃ、菅野老人は笑った。
菅野老人の紹介から、瀧来神社の神主である清野氏に連れられて、僕は瀧来神社に入ることを許された。
清野氏はVHSテープに記録されていた前神主の息子だという。
僕が調査していることに非常に興味を持ってくれて、後でテープを見せてくださいと言われた。
なんでも、ノミコ数珠回しの手順は口伝でしか伝わっていないため記録は非常に貴重なのだという。
調査にも協力的で「いつでも聞いてください」と電話番号を差し出してくれた。
瀧来神社の中で、今度は格子戸からではなく直接龍神像を見る。
目の前で見ると圧迫感を感じるほどの視線と大きさであった。
「小さい頃は、龍神様の像が何だか怖くて。泣いてよく父に怒られていました」と清野氏は教えてくれた。
その気持ちは分かるような気がした。神々しさ、というよりも畏怖や恐怖と言った言葉の方が先に出てしまうほど、この異形の神像から感じる圧力は凄まじいものがあった。
なんだか、今にも動き出しそうな生々しさがあるのだ。
格子戸から覗いたときは暗さのためか気が付かなかったが、龍神像の周囲をぐるっとロープ状の物が折り重なるように吊り下げられている。
巨大な数珠だった。数珠を天井から何重にも折り返して吊り下げているのだ。
数珠のこのような保管の方法は見たことがない。空中からぐしゃぐしゃと丸めるようにして吊り下げるとは、間違いなくこの地域独特のものだろう。
これがノミコ数珠回しに使用する数珠なのだという。
数珠玉も佐久間老人が言った通り、このような形状をした数珠玉は見たことがない。
まるで、龍神の周囲に沸く雨雲だ。
その特殊な数珠玉の形状と、数珠の保管状況をスケッチさせてもらいその場を後にした。
瀧来神社を出ると、遠雷が山の向こうから聞こえた。
雨が近い。
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