【ホラー小説】Fall down 14 現地報告”マツリ”
ノミコ数珠回しは時期が決まっているわけではなく、神主が龍神からのお告げを夢に見ると行われる。
数珠回しとは別に瀧来神社では毎年彼岸に「マツリ」と呼ばれる龍神に関する祭礼が行われる。
マツリは一般にも開放された祭礼であるが、VHSテープやほかの資料で触れられておらず、佐久間老人から「せっかくだから見たらどうだ」と誘われたため、同席させて頂くこととなった。
まず、手順としてマツリが行われる前日にたくさんの魚を用意する。
魚の種類はウナギ、ナマズ等の川魚で種類はあまり問わないそうで、集落の男たちが瀧来の先にある川で釣ったり網で捕まえてくる。
少なくとも30匹はいただろうか。ウナギ、ナマズ、コイ等魚種は様々であり、これを骨ごとぶつ切りにしてそれぞれ鍋に入れ、塩と共に長時間煮る。
そのまま火を止め、煮魚を冷やす。すると魚に含まれるゼラチン質が溶けた後に再凝固する。
川魚の煮凝りだ。
ウナギ等で煮凝りを作る場合はあるが、このように様々な種類の川魚を雑多に入れて作るケースはあまり聞いたことがなかった。この集落独特の郷土料理と言っていいだろう。
ぶつ切りの魚肉の周りに、濁った半透明の乳白色をしたゼラチン質が固まっている。
これを龍神に捧げるのが「マツリ」だという。
マツリの当日、瀧来神社には集落の老人たちが集まった。
神主である清野氏の「だんだん始めっぺが」の言葉でマツリは始まった。
老人たちは社の前に首を垂れて並び、清野氏が川魚の煮凝りを三方に乗せて、恭しく龍神像の前に捧げた。
清野氏は祝詞を唱え、龍神像の前で柏手を打つ。
頭上に仏具である数珠が折り重なって垂れさがる前で、神道式の儀式を行う神主とそこに鎮座する龍神像がなんとも奇妙に見えた。
捧げものは川魚の煮凝りである。
長野県諏訪地方でかつて祀られていたミシャグジ神も、脳和えというシカの脳と肉を和えたものを捧げていたというから、このような独特の捧げものをすること自体が、現在の龍神信仰という形になる以前からの原始的な祀り方を継承しているように感じられた。
柏手を打つと、三方を手に取って龍神像の前から降ろす。
老人たちの前に置くと、既に準備されていた龍の図柄がある大皿に煮凝りを移していく。
佐久間老人はこちらを見て「これで龍神様に上げんのは終わりだから、これからおれだちでこれ、バラして食うのよ」と耳打ちしてくれた。
どういうことかそのまま見ていると、老人たちは箸を使って皿の上に乗った煮凝りから、魚の肉とゼラチン質の部分とでより分けていく。
すっかり魚肉と乳白色のゼラチン質に分けられると、老人たちはゼラチン質の方を口に入れる。
「うまい、うまい」
「おおん、おおん」
老人たちは口々にうまい、うまいと大げさに声を上げると、次にまるで泣き真似をするかように目を手で覆ったり、目を擦ったりして声を上げている。
驚いて見ていると佐久間老人が教えてくれた。
「これ、龍神様に上げたやつは魚じゃないとこだけ食うんだ。ゼラチンっつうのが。口さ入れたら『うまい、うまい』つった後に泣き真似すんのが決まりなんだえ。こうすっと龍神様喜ぶだど。そうが、これが泣くほどうめえのがってきっと喜ぶんだべな」
老人たちは次々と解体した煮凝りを食べると、皿は魚肉の山だけが残った。
この魚肉については食べずに捨ててしまうのだという。
他に類を見ない奇妙な祭礼であったが、僕はミシャグジ神祭祀のような太古からひっそりと続く儀式を目撃出来たような気がして、興奮を抑えることが出来ないでいた。
しかし、僕が興奮を抑えられずにいたのは貴重な儀式を目の前で見れたことだけが原因ではなかった。
既に忘れ去られた太古の神意、いや意図が見え隠れし始めたからだったのだと思う。
ふと見上げた龍神像の眼が、僕だけを見ているように感じた。
大型爬虫類が獲物を攻撃範囲内に入れた時のような、感情のない眼だった。
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