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無人島から世界遺産登録まで~アフリカ大陸にとっての大航海時代~

アフリカの西海岸で1460年頃に発見されたサンティアゴ島は、ポルトガル王室領の無人島となり、その後、何年もの間、付近の群島を探査した結果、寄港地として定められるようになりました。

リベイラ・グランデの誕生話であり、現在の世界地図が完成される大航海時代の始まりです。

アフリカ大陸西端のセネガルのダカールから、約375km離れた大小18の島から成る大西洋の中央に位置する島国、カーボベルデ。その島の中の一つ、サンティアゴ島に位置するリベイラ・グランデは、ポルトガル語で「大河」という意味で、かつての首都です。

1453年オスマン・トルコがビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼし、ボスポラス海峡を掌握すると、ヨーロッパの貿易商人達は従来の地中海ルートを利用できなくなり、ユーラシア横断以外の新たな貿易ルートを開拓する必要性がでてきました。

当時、すでにアフリカ大陸に進出していたポルトガルは、新たなルートの起点としてサンティアゴ島に拠点を築きます。初めは、西アフリカの海岸を往来する寄港地でしたが、

1492年 大航海時代(いわゆる「新大陸発見」)が始まると
1494年 トルデシリャス条約締結により、
    ポルトガル、スペインの植民活動が調整され
1497年 ヴァスコ・ダ・ガマが訪れ
1498年 クリストファー・コロンブスも訪れ

リベイラ・グランデは、アフリカ大陸最南端の喜望峰までの拠点として、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸間の大西洋三角貿易と呼ばれるアフリカ人奴隷貿易の中継港として発展して行きます。

3つの大陸をつなぐ地理的条件により、16世紀に入ると発展速度は高まり、リベイラ・グランデは、ヨーロッパ最初の公海の航海を実現した場所として、世界に広がるポルトガル貿易の主要交差路の役割を担っていきます。

ヨーロッパはもちろん、ギニア、インド洋、インド、ブラジル、西インド諸島等を行き来し、色んな商品、植物、人間、情報の交換所となります。

そして、1553年には司教教区しての地位を得ると、後にアメリカやヨーロッパに連れて行かれるアフリカ人奴隷への、キリスト教宣教の地として、ポルトガルの一都市となって行きます。

一方で、世界各地から集められた植物の種の保管所と、栽培地としての実験的庭園ともなり、植物の種子は新たな輸出品となります。温帯と熱帯の中間地域という事もあり、植物栽培には適していました。サトウキビ、バナナ、ココナッツ、トウモロコシ、綿花等々。ここでの実験的な植物栽培は、アフリカ人奴隷にとってアメリカ大陸での「恐怖のプランテーション」の礎になったのでしょう。

カーボベルデのバナナ

リベイラ・グランデは、大西洋横断の三角貿易を行うにあたり理想的な位置にあり、この地政学的な重要性は、寄港地や輸出基地としての役割を大いに果たすとともに、奴隷市場としての役割を果たしました。決して広くは無い土地空間ではあるが、リベイラ・グランデは大きな富を蓄積して行きます。

リベイラ・グランデの存在は、当時のヨーロッパにも広がり、海洋発展途上諸国の標的になって行きます。1585年にイギリスの海賊、サー・フランシス・ドレイクにより略奪されたことをきっかけに、1590年にレアル・デ・サン・フェリペ要塞を築き、防衛強化をはかります。

17世紀以降になると、海洋発展途上国であったオランダやフランス、イギリスが力をつけ、大航海時代の勢力図は大きく変わって行きます。1712年にフランスのナント出身の海賊であるジャック・カサールにより、攻撃を受け甚大な被害を受けると、

以前のような豊かな富と強力な海洋拠点では無かった事から衰退を始め、1770年隣接するプライアに貿易寄港地の役割を引き渡すことになり、その頃から「大河」という意味のリベイラ・グランデは、「古い都市」という意味のシダーデ・ヴェーリャと呼ばれるようになります。

無人島であったサンティアゴ島をポルトガルが、熱帯地方で最初のヨーロッパ人の入植地として、大航海時代の礎を築いてきたカーボベルデ。

この海を越えるとアメリカ大陸

21世紀、インターネットの普及により世界が身近になったのなら、この世界は、今から約550年前、大航海時代により繋がったと言えるでしょう。その始発点となったカーボベルデは、同時に、アフリカ人にとってはこれから始まる、長い長い奴隷の歴史の始まりでもありました。

今もシダーデ・ヴェーリャには、ペロウリーニョと呼ばれる白い円形の柱があります。1520年に建てられたさらし台で、一見ただのモニュメントのように見えますが、アフリカ人奴隷の歴史を今に伝える重要な柱です。

ペロウリーニョを含め、シダーデ・ヴェーリャは、2009年に世界文化遺産に登録されました。

リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ

日本ではあまり知られないアフリカの島国ですが、カーボベルデはアフリカ人にとっての大航海時代を、今も世界に伝えてくれています。

大西洋に浮かぶカーボベルデの地図

※この投稿では、サハラ砂漠以南の「いわゆる黒人」をアフリカ人と表記させていただいてます。特に2020年以降アメリカを始め世界的に差別用語としての議論がされており、私なりの敬意と配慮を持って、表記させていただきました。ご了承いただければ幸いです。

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