見出し画像

01 「移民はここにいる」を前提にした政策を

 メイは、日本人と結婚しているタイ出身の女性です。来日して20年以上、タイの友達や故郷の家族とスカイプで話す以外、日常生活ではほとんど日本語しか使わないこともあって、流暢な日本語を話します。そんな彼女も、日本に来たときはまったく日本語ができず、ボランティアの人が教えてくれる教室にしばらく通った後は、テレビ番組などを観て独学で覚えたといいます。
 彼女は、数年前、下の子どもが小学校に入ったのを機に、縫製工場でパートの仕事を始めました。つい最近、テキパキと仕事をこなすメイの姿を見た社長から、「社員にならないか」と声をかけられたそうです。子どもにお金がかかるようになっているので、とても嬉しかったんだけど、と、その時のことを思い出しながらメイは首を振りました。というのも、その工場では、パートは現場の仕事をする一方、社員は事務を担当しているからです。メイが「日本語は話せるけど、読み書きは苦手」と告げると、せっかくの社員への昇進話は立ち消えになってしまいました。社長からは「話し言葉はとても流暢なのに」と驚かれたといいます。

▶移民の存在と政策の不在

 2020年12月、日本に暮らす外国籍者の数は約297万人(在留外国人人口と非正規滞在者を合わせた数)を超えています(図表1)。この数は、日本の総人口の約2.4%を占め、外国にルーツをもつ日本国籍者など移民のバックグラウンドをもつ人を含めれば、その割合はもっと多くなります。また外国籍者のうち半数以上が、「永住者」や「定住者」「日本人の配偶者」など定着性の高い在留資格をもっており(図表23)、これからも日本で暮らす可能性が高い人たちです。つまり、日本政府が「移民はいない」とどれだけ言い張っても、日本にはたくさんの移民が暮らしています。
 にもかかわらず、「移民はいない」という前提を取り続けると、どのようなことが起こるでしょうか。その一つが、政策の不在です。移民政策には、国境の管理をおこなう出入国管理政策と、移民の日常生活を支える統合政策がありますが、日本の場合、前者に偏っており、統合政策はほとんどとられてきませんでした。「移民がいない」以上、「移民政策は必要ない」というわけです。

 しかし統合政策には、移民の人びとが社会に参加する際のさまざまな障壁を和らげる重要な役割があります。たとえば、日本語ができない移民の人たちは、職場、学校、病院、役所などさまざまな場所で、言葉がわからないという困難に直面します。それは、彼らにとって、そのつど誰かに頼らなければならないということを意味しています。そのため「自分は何もできない」、「子どもみたい」など、自分が不十分な存在になったかのように思えてしまうこともあるのです。こうしたとき、移民向けに公的な言語習得コースがあったら、そこで日本語を学び、社会に参加しやすくなります。たとえばドイツでは、移民に600時間のドイツ語学習機会を提供しています。

 このほかにも統合政策は、職業訓練、差別に対応する施策、母語・継承語の保障など、移民の人たちの権利保障と社会参加を支えるものです。それは、社会の構成員の誰もが、この地に「居場所」と「出番」がある社会を作ることでもあるのです。

▶今、必要なこと

 すでに述べたように、政府はこれまで統合政策を確立してきませんでした。そのため、メイのように、日本に移住してきた人たちは、一人ひとりがいわば「サバイバル」のように暮らしてきました。2019年、政府は移住労働者の受け入れを拡大する制度を始めましたが、これを「移民政策ではない」として、統合政策を確立しないままだとするならば、移民の人たちを「置き去り」にする体制がより深刻化してしまうでしょう。それは、彼らにとって生きにくい社会であるばかりか、結果として格差や貧困につながることにもなりかねません。
 むしろ今、必要なことは、「移民はここにいる」という現実を直視し、誰もがこの社会で尊厳と権利が保障されるような基盤を整えることです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?