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20 マジョリティが変わることから出発しよう

 小学校6年生の社会の授業のとき。教師が「豊臣秀吉の朝鮮征伐」と話すのを聞いて、「どうして朝鮮はこんなにみっともないのだろう」と悲しくなり、自分が朝鮮人だとばれないようびくびくしていました。
 これは、ある在日コリアン3世の経験談です。このような類いのことは、今もさまざまな移民の子どもたちが日々経験しています。
 社会が持っている差別意識は、子どもたちにも受け継がれがちです。移民の子どもたちも例外ではなく、その影響はより深刻です。自分とつながる国に対する差別意識を内面化してしまうと、劣等感を持つことにつながり、また他者を対等な人と認めることができない意識を生み出していきます。

▶共生のために必要なこと

 多様な出自・背景を持つ人たちが共に生きること=「共生」を阻むものの一つに、「差別」があります。あなたは移民に対する差別意識を持っていますか?ほとんどの人が「いいえ」と答えるでしょう。でも多くの当事者が、差別されることがあると答えています(法務省『外国人住民調査報告書』2017年3月)。「差別していない」という意識と「差別がある」という現実の間に大きな違いがあるのです。
 差別にはいろいろな形態があります。たとえば「日本人のようにふるまえば、同じように扱う」という同化の強要も、差別の一つです。その人の持つ出自などの固有性を尊重していないからです。日本の外国人政策はこれまで「同化」と「排除」の論理がとても強く、マイノリティ側の主体性を認めようとしてきませんでした。
 2019年4月からの新たな外国人労働者受け入れに合わせて、2018年12月、「外国人材受入れ・共生のための総合的対応策」を政府は発表しました。題目に「共生」という文字が入っていますが、本文で「差別」に言及しているのは1カ所だけ
です。

▶ここにいる

 移民が何かを主張すると、「嫌なら自分の国に帰ればいい」という反応がよく出てきます。この反応が出てくる下地には、「日本は日本人だけのもの」、「移民は黙って従えばよい」といった考え方があります。

 しかし多くの移民は、自分の夢・仕事や勉学のため、家族を養うため、あるいは国際結婚した家族と暮らすために、日本に来ました。また親の移動に伴う子どもたち、戦争や貧困といった過酷な情勢下で自国を離れざるを得ない難民や、人身取引被害者もいます。自発的であれ非自発的であれ、その人にとっては生きていくうえで来日する/来日せざるを得ない理由があって、ここで暮らしているのです。つまり、一人ひとりがそれぞれの歴史/生の軌跡を描きながら、この社会で生きています。それは、移民ではないマジョリティも同じです。にもかかわらず、移民やマイノリティは、この社会で生きる理由を繰り返し問われ、その理由が「正しいもの」、「日本の利益に合致したもの」かどうか審問されがちです。そして、「正しくない」「日本の利益に合致しない」と判断された場合、「嫌なら自分の国に帰ればいい」と言われてしまうのです。

移民やマイノリティだけが「ここにいる理由」を尋問され、判断されるというのは公正な社会とは言えません。


▶マジョリティが変わること

 米国のDianeJ.Goodman教授(教育学)が書いた著書に、興味深い指摘があります。「米国でダイバーシティ(diversity)という言葉は流行語となり、いろいろな意味合いで使われている。ダイバーシティに関する取り組みは多くの場合、文化的な違いを理解し、受け入れ、尊重しようとする動きである。こうした試みは大変重要だが、残念ながらダイバーシティに向けた活動は、たいていここで終わってしまう。」
 この指摘は、日本にもそのまま当てはまります。同教授は、もう一つ必要な要素が「社会的公正」であり、そのためには社会の支配的な集団=マジョリティが、その特権的立場に無自覚である状態から脱することが必要で、そのためのアプローチ方法を提示しています。性(ジェンダー)差別、人種差別、階級差別、異性愛主義、健常者優先主義など、さまざまな文脈を持つマジョリティとマイノリティとの関係性に共通して言えることです。
 「共に生きる」ためには、互いの主体を尊重することが前提でなければなりません。そうした尊重の環境をつくっていくために、マジョリティ側が変わること、そこから出発することが大切ではないでしょうか。

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