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「経験者である」ということだけで相手を黙らせてはいけない

今回は、国際協力や新規事業を行う者として、個人的にしてはいけないなあ、と思うことを経験と共にまとめました。初めはあまり関係なさそうですが、最終的にはつながりますので、是非最後までご覧ください。

大江健三郎の講演会

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MNOchさんによる写真ACからの写真

広島市へ原爆投下が行われた8月6日「原爆の日」に大江健三郎が広島大学へやってきて講堂で講演をしていた。なんとなく参加しようと思い、会場に入ってみると、もうしっかりと座席は埋まっていて、前から2列目にぽつぽつと空いているだけだった。

空いている座席に座るや否や、定刻となり、司会者の紹介後に大江健三郎が登場した。話の内容は全く覚えていないが、しっかりと覚えている光景がある。

被爆者の耳打ち

講演が終わった後には、質疑の時間が設けられた。会場真ん中あたりで手が挙がり、広島大学の工学部の男子学生が質問を行った。緊張していたと思うが、丁寧に挨拶をしてから講演会の内容について質問をしていた。その質問の内容も忘れてしまったけれども、前列に座っていたお方が隣の席に方に耳打ちしているのが聞こえた。「広島大学の学生がこんなことを聞くなんて、時代も変わったものだ、経験していないからあれほどバカげた質問が出来るのだ。」よく見てみると、僕の前列、つまり最前列には被爆者たちが座っていた。

僕は「経験者であること」と「経験者でないこと」の間にはこれほどまでに大きな溝があるのかと思った。大江健三郎の講演自体は、悲惨な被爆体験をどのように後世に伝え、残していくのかということだったと思う。経験した人間が経験していない人間に対して、経験していないことを語り、伝えるときに超えることができない壁がある。それを乗り越えようとすることがその講演会の趣旨だったのに、目の前で乗り越えられない壁を痛感したのだった。

相手を黙らせるカード

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どの業界でも、相手を黙らせることが出来る必殺のカードが存在する。ある業界では、「あなたの言うことは論理が崩壊している。」であり、また別の業界では「あなたの容姿は劣っている。」ということかもしれない。海外経験についても同様のことがあって、「君は海外に行ったことがないでしょう?」や「あなたは、アフリカに住んだことがあるんですか?」は相手を黙らせることが出来るジョーカーである。それまで、アフリカに対する支援や異文化コミュニケーションについて意気揚々と語っていても、それらを言われると為す術なく、口をつぐむより他はない。

刹那の征服感

そうやって必殺カードを出し、相手を黙らせることで得られることは、刹那的な征服感です。普通に気持ちいいんですよね、相手に黙らせて話ができるのって。ただ、経験のある/ なしによって圧倒的な上下関係を手に入れて相手を征服させることが出来ることと引き換えにして、同じ土俵で議論し、共に新しい地平を見出すチャンスを失っていると思う。だから、「経験者」のカードは出したくない、と僕は思っているのです。刹那的な征服よりも、豊かな議論がしたい

「俺って変人なんだよね…」的な雰囲気

国際協力の世界にいる人って、青年海外協力隊で聞いたこともないような国に住んでた経験とか経験者数の母数が圧倒的に少ない経験があることが多いので、「俺ら、玄人だぜ」感というか、「俺らって、ちょっと変わっちゃってるんだよね」感みたいな、空気感を醸しやすいんだと思います。それって、超絶ダサいんだよね、吐き気がするくらい。

国際協力×新規事業とかも、あんまりいない分野だと思う(別に他意はないよ?)ので、自分はそうならないように日々、自分を疑いたいと思います。誤っているかもしれないということを織り込まない知性は知性ではない!

それでは、アディオス!

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