メンタル白アーマー VS. ソロラン【ソロランに挑む理由】
「ぼくはこのゲームが大好きさ!」
”シーズン9ローンチトレーラーより、パスファインダーのセリフ"
フルパで遊ぶAPEXは楽しい。
最近、noteをきっかけに繋がった方々と遊ばせていただく機会に恵まれており、その際、ありがたくもフルパでAPEXをさせてもらえている。
これが何と楽しいものか……号泣
キルを取れば褒めてくれるし、ダウンしても励ましてくれる。部隊ごとやられてしまっても全然空気が悪くならないし、ほんとうに涙が出るほど楽しい。
そもそも。
私はかつて、スプラトゥーンで繋がったフレンドとAPEXも楽しんでいたのだが、私がAPEXへの情熱を加速度的に上げていったのとは対照的に、フレンドたちはAPEXから徐々に離れ始めた。
彼らはいま「原神」のブームに乗っているようで、私はいつの間にか、いっしょにAPEXをプレイしてくれる仲間をすっかり失ってしまっていた。
正直、とても寂しい。
フレンドたちと仲たがいをしたわけではないし、今でもたまに遊ぶときには楽しく遊んでくれるいい仲間たちだ。
でも、私がいまアツくなっているゲームに、彼らは同じだけの情熱を持っていない。
私のメンタル耐久値は「白アーマー」である。
今やプラチナ帯をソロでのし上がれるようにまでなったが、かつてのフレンドたちとの実力差は離れるばかりで、やがて募集をかけてもまったく参加者が集まらないようになってしまった。
それでも私は、ソロでAPEXをプレイし続けている。
やはりAPEXは面白いゲームだし、ソロで挑むランクマッチは単純に自分の実力を底上げしてくれる。やればやるほど毎回学びがあるし、何より自分の力だけでポイントを上げていくのは、成長が目に見えるのでとても達成感がある。
しかし、それが楽しいのかどうか、わからなくなってきている。
もちろん、楽しいし面白いから続けているのだろうし、今スプリットもダイヤまで行きたいモチベはある。
しかし、最近フルパでAPEXを遊ばせてもらう機会が多かったことで、「何でこんな修行僧のような気分でゲームをしているのだろう?」と我に返ってしまうことがあった。
それは果たして、「楽しい」と言えるのか、どうなのだろうか。
思うに、「ソロで遊ぶAPEXの楽しさ」と「フルパで遊ぶAPEXの楽しさ」は、全く別モノなのだと思う。
やはりソロでランクに挑めば、すべての責任は自分に降りかかってくる。キルの快感を共有することもできないし、デスの悔しさを分かち合うこともできない。
しかし、フルパは違う。キルを取ればみんなが褒めてくれるし、ダウンしても全員でカバーして励まし合うことができ、コミュニケーションもいっしょに楽しむことができるのだ。
…………
毎晩、ソロでランクマッチに挑む心持ちは、ゲームを面白おかしく楽しもう!というものではない。
敗北を恐れ、ミスを恐れる。
負けた悔しさを押し殺し、反省し、次に生かす。
勝利してもまだ先は長い。興奮を抑え、次の勝利に貪欲にならなければならない。
こんなにストイックに自分を追い込む必要はないのだが、もともとスポーツを競技者としてプレーしてきた思考のクセはなかなか治るものではなかった。
そのため、最近ソロランクをプレイできる時間は2時間が限界だ。それ以上は体力もメンタルももたない。
私のメンタルは白アーマー並みにもろいのである。
それでも私は、ソロランに挑む。
もう病気に近い。
かつての記事にも書いたことだが、私は「過去の自分を超えること」に「快感と優越感を覚える」と記憶してしまったのである。
他人に勝つのはもちろん楽しいが、自分に勝つのはもっと楽しい。
自身にコンプレックスを感じることが多い私にとって、目に見える形に残る記録が更新されていくのは、自分でも怖くなるほどの満足感を与えてくれた。
私がソロランに挑む理由は、自分自身を超えたいから。
裏を返せば、それは自らへの自信のなさだと言い替えることができる。
大げさだが、APEXは私に、小さな目標を繰り返し達成するという「成功体験」を数多く積ませてくれた。
それは目標を達成したのちに、とてつもなく大きな安堵として、「楽しさ」を感じさせてくれる。
真面目に取り組めば取り組むほど、ソロランは辛く長い道のりになってしまう。
しかし、それを克服する楽しさを覚えてしまったが最後、ソロランの果てに待っている大きな達成感を得たいがために、私は毎晩、ソロランに潜ってしまうのだ。
これを病気と言わずして何と呼ぶのか。
実生活にもポジティブなんですよね……w
詳細は割愛するものの、この「ゲームで成功体験を多く積んだこと」が実生活の仕事にも好影響を与えている。
私はいわゆる「アパレルショップの店員さん」で、接客をするのが仕事だ。接客はとてもスキルフルな仕事で、人と話すことが苦手でもスキルさえ覚えてしまえば接客はこなすことができる。
逆に言えばある程度技術を磨く必要がある仕事なのだが、私は今の仕事を長めに続けていることもあって、自分の接客技術に頭打ち感を覚えていた。
しかし、APEXでダイヤにたどり着いてみると、仕事における反省の活かし方や、結果が出せない自分への向き合い方などが、ソロラン中のメンタリティと非常に似通っていることに気付いたのである。
「何ができないのかを知り、どうやったら埋められるのかを知り、実践で試していくうちに自分のものになる」。
この文章だけ見れば、APEXでソロランを盛るために必要なメンタルなのか、仕事における基本的なメンタルの持ち方なのか、見分けがつかないのではないだろうか。
ばかばかしいと思うかもしれないが、ゲームにおける成功体験が、そのまま仕事のやり方に応用できているのである。
接客という技術を伴う仕事だからこその話なのかもしれない。
ソロランは後から。フルパは爆発的に。どっちも楽しい。
いろいろセンチメンタルになってしまった。
最近、馴染みのフレンドと遊ぶ機会が少ないことへの寂しさや、新しいコミュニティでAPEXをやらせてもらえる楽しさ、ソロランに挑む自分への理解など、考えることが多かった。
今回の記事はほぼ感情100%で、私のこれまでの記事を楽しんで読んでくれた方々には少々読みにくいものになってしまったかもしれない。
最後にそれをお詫びして、今回の更新を終えたいと思う。
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